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「ミニ自分史」(24)わが結婚 その2
「ミニ自分史」(23)
「ミニ自分史」(25)
ここに掲げる三つの断章は、その前後の"悲壮なる決意"と"開き直り"とも言える心境である。
なお、当初、「行かない」といっていた新婚旅行だが、翌日(2月4日)、大阪の父母・兄夫婦にあいさつし
(遠方だった私の身内は一人も出席せず)、瀬戸内海航路で別府に入り、阿蘇・長崎・唐津・福岡などを回った。
あ)1972.11.26(便箋に)
*橋本健午という男について
30才…まだ違いについては判らないつもりでいる。
性格…他人が言う程、気むずかしくもなく、変テコでもないと思う。ただテレ屋で、さびしがり屋で、
少し自意識過剰な処がある。(これは幼い頃からの環境によるもので―尤も、それらのセイにする気は毛頭ないが
―アラを見せないという欠点につながる)
物事をすべてはっきり言わない欠点がある。それは君が判ってくれると思うからだが、まだ言葉が足らないと思う。
いつもひかえ目であるが、僕が口にすることは、最大の希望であって、口にしないことは、自分で我慢してしまうことと思ってほしい。
とはいえ、まだ判らないことだらけだろうから、いろいろ聞いて欲しい。
仕事…これはかなり特殊、他人に話しても、すぐに理解はできない。家に出入りする人たちでも判ってはいない。
たヾ、先生の家がどういう家で、そういう処に7年もいた(まだ当分はいるはず)という事実は否定できない。
それを理解して欲しい。
希望…物書きを初めから目指している。それにしては勉強が足りないのはマイナス。才能があるかどうか判らないのに、
未だに夢を捨て切れないのは、作家を目指したものの宿命である。これは幼時からの家庭ならびに生活環境に起因している。
*小田さち子という女について
以上をさらけ出した男が、すべてを賭けた唯一の女である。
い)一九七三年一月十四日(日)正午 橋本健午(1枚)
全くよい天気である。
西荻での生活も、およそ二年、間もなく上荻へ引越である。恵まれた天候、何の取柄もない私に、天は少しは気を使っているものと思われる。
人生は長いのか短いのか、とに角三十年生きて来てしまった。少しは勉強しなければと思うのだが、お天道様のお慈悲で、いつもなまけてばかりいる。
結婚――少しは私も人並みになったのだろうか、楽しい夢のようでもあり、また厳しい現実でもあるような、そんな日々が間もなく来ようとしている。
心機一転し、なおかつのんびり行こうとは思うが、人生色々なことがあるだろう。また楽し、である。
いつもとりとめもなく、そしてテレている私自身に別れを告げる時期が来たのだ……。
う)一九七三年二月十一日 上荻 橋本健午(4枚)
結婚――自分ではそれ程、お目出度いこととは思わぬけれど、他人はそうとってはくれない。
他人を前に醜態をさらけ出すつもりは毛頭なかったのだが、結果は、惨タンたるものであった。
二人の"幸せもの"と、数多くの花を添える人たちの間に、相反する感情があるのは、止むを得ないことだろう。
結婚式で、数多くの人は楽しくなく、余りいい気分で過ごさないだろうことは、始めから分り切ったことである。
なのに、何故そうしたのかと問われヽば、返す言葉がない。
全くの自己満足か、他人の善意・迷惑を見越しての、僣越な行為であろう。
今さら、終ってしまったことに、くよくよしても始まらない。
他人様の、いろんな言葉を、善意に解釈して、よりよい方向にもって行くより方法はない。
確かに、結婚して二人の生活というのは、様々な社会的責任やら、義務やらが伴うものであり、始めからくじけていては、先が思いやられるだけだ。
私にとって、結婚は新たなスタートであり、すこしは、他人の為ばかりでなく、自分のための生活をしたいためである。
仕事をおろそかにする積りは毛頭ないが、他人様の機嫌をとるばかりが能ではなく、むしろ誤解の元になるなら、やらない方がましである。
いつも言われ、いつもそうしようとまで話は行くのだが、現実は、そういうことを許さなかった。
生きて行くためには、どんな苦労もしなければいけないが、善意はいつも、他人に見過ごされるだけだ。
人生には、色々なことがある。いちいち気にしていたら、神経がまいってしまう。早く忘れることが肝心である。
くよくよしていても、何の得にもならない。過去のことは、どうやっても戻っては来ないものである。人生は前進あるのみである。
他人は、何かと言いたがるものである。好い子であるのは、望ましいことだろうけれど、疲れるものである。
どこかで、切り換えをしなければならない。他人は、常に変らぬことを望むけれど、それも限度がある。
万人に望ましいことは、有り得ない。誰かに好ければ、誰かが文句を言うものである。
情けは人の為ならずと言うが、やっと我が身に係わりが出来たようである。
少し落ちつきを失っている。心が落ちつけば、何とかなるものである。
思うだけでは気持は通じないと言うが、心の通じないことは悲しいことである。
一つの単位が出来上がることは、大変なことである。しかし、多くの困難を乗り越えなければ、歓びも少ないものである。
他人の気持は複雑。それをいちいち気にしていては、身がもたない。それぞれの都合で人々は、好き勝手なことを言う。そこには責任がないから。
生きていることは、苦悩がつきもの。それに負けては、人間、進歩は望めない。
素直な気持が必要。他人に愛されることは好いが、愛はいつも憎しみを抱いているものである。
新たな気持。人間は謙虚であらねばならない。
《ちなみに、"結婚"に関する最初の発言は本HPのプロフィール欄、1966(昭和41)年3月の項にある「"結婚"について」である(1963.9.20/21歳のとき)》