2005・10・03 橋本健午
2005・10・03 橋本健午
*人と作品36「武者小路実篤」清水書院1969・06〈編著者:福田清人・松本武夫〉250円
福田による「序」に、「筆者松本君は、早稲田大学のロシア文学科を卒業後、立教の日本文学科大学院へ進んできて、
私の研究室にいた。そして修士論文として『武者小路実篤論』を提出したのであった。/いま、それを基礎として本叢書の企画にしたがって新しく書いたのがこの本である」。
《68年3月、立教大学大学院文学研究科日本文学専修修士課程修了。69年といえば大学卒業後3年目だが、執筆はかなり前である。
私は、この本の第2編に収録された7つの「作品と解説」のうち、彼から頼まれて書いたものがある。
どれだったか思い出せないが、わが日誌に「M君に頼まれて、武者小路実篤の作品評を二、三書いた。一万円になるという」(66・09・21)とある。
したがって、トビラに「橋本健午様 松本武夫」のサインが》
*人と作品42「井伏鱒二」清水書院1981・12〈編著者:福田清人・松本武夫〉480円
福田による「序」に、「純粋に自分の座を守りつつも一路半世紀をこえるこの作家は、それだけ作品も多く、
また、氏の作品に心を寄せる人の文献も少なくない。こうした個性豊かな現存作家を限られた枚数にまとめることはなかなか困難なことであったにちがいない。
しかし、松本君は精一杯に打ち込んだのであった。井伏氏の歩んだ道を描くに当たり、その回想記の類をよく分析し述べているが、
なお、疑問なことは、直接、井伏氏に面会し正したという。注記は、そのことを示している。おそらく井伏氏も、
早稲田の後輩というよりも、松本君の純真な人がらを認めて語ってくれたのであろう」。
《前書同様、トビラに「橋本健午様 松本武夫」のサイン》
*〈エッセイ〉文芸プラザ「ある午後(松本武夫)」…日本児童文芸家協会編集「児童文芸」'83新春臨時増刊、ぎょうせい発行
《肩書:作家。幼い一人娘が、迷い猫を家に入れたところに帰宅した彼が、首輪があるから飼い猫だといい、
娘は"飼ってはいけない"と悟り、外に連れ出すところで終る…。/表紙および掲載ページのコピー》
*〈資料紹介〉報道班員・井伏鱒二の『鼠ボーイ』(松本武夫)…昭和文学研究会編集「昭和文学研究」第6集、笠間書院発行1983・02
《さいきん、本棚などの整理をしているが、自作品の中にちょこんと納まっていた、この抜き刷りに出あった。
同“研究”の表紙と奥付を入れて12ページある。それにしても、マメに送ってくれたものだ。遅ればせながら、追記する次第である。2009・06・06橋本健午》
*「回想集による 近代文学」中央書房1986・04〈編著者代表:小林一郎、池上研司・神田重幸・松本武夫・山崎甲一〉2000円
《担当は10点のうち、後藤宙外『明治文壇回顧録』および相馬黒光『黙移』の2点。奥付の肩書:東海大学短期大学助教授。
トビラに「橋本健午様 学兄 松本武夫」のサイン》
*〈エッセイ〉月報「七月六日記(松本武夫)」…新潮社「井伏鱒二自選全集」第12巻1986・09
《他に、安岡章太郎「鶏のゐる風情」、萩原得司「匠気」。表紙および掲載ページのコピー》
*講座 昭和文学史 第1巻 都市と記号(昭和初年代の文学)「五 反=都市/反=近代」…「井伏鱒二の〈くったく〉」(松本武夫)有精堂出版1988・02〈編者:有精堂編集部〉3500円
《奥付の肩書:東海大学短期大学助教授。表紙および掲載ページのコピー》
*「井伏鱒二の『聚芳閣』勤務時期」(松本武夫)…「国文学 解釈と鑑賞」至文堂1988、89(?)年6月号
《肩書:東海大学短期大学助教授。掲載ページのコピーのみ。掲載年は未記載》
*「井伏鱒二研究」明治書院1990・02〈共著:松本武夫+須藤 宏明〉価格不明
*「新構想 近代日本文学史」国書刊行会1990・08〈共著:松本武夫+?〉詳細不明
*〈特別インタビュー〉「永井龍男 折々のこと」井伏鱒二(聞き手 松本武夫)福武書店「海燕」1991・01号
《掲載17ページ分のコピーと奥付。なお、奥付に「松本武夫(まつもと たけお)1942年生れ。著書『井伏鱒二』」とある。
/このコピーをもらったあと、彼から次のような手紙が届いた。
「拝啓 先日はお電話をありがとうございました。/その後、思いましたが、橋本君の御好意は大変有難く存じましたが、
ある意味では、君のいうような内容の記事は、読み手の取りようによっては誤解を生じる場合もありそうですし、
"先生"にご迷惑をお掛けいたすことになる可能性も少ないとは言い切れず、私の略歴(先生との)や個人的な側面に属することはやめて、
客観的な面で、もしも取り上げるのであれば、していただきたく考えました。これは、橋本君と梶山先生との御関係を思えば、
私の願いも理解してもらえると思います。『海燕』新年号のインタビューは純粋に、発行人T氏からのご依頼によるものでした。
どうぞよろしくご理解ください。/新聞に記事を書くようになったこと、大慶に存じます。益々のご発展をお祈りいたします。
平成2年12月13日/ 松本武夫/ 橋本健午様」。
このころ日記をつけていたが、本件に関する記述がない。彼の文中にある"橋本君の御好意"と"新聞に記事を書く"という表現で思い出したのは、
この暮れから翌年にかけて、北海道新聞日曜版に出版や本に関するコラムを13回書いており、その中で彼と井伏先生のことに触れてよいかと"提案"したことだったと思う。
文中にあるとおり、"師弟関係"の扱いはまことに難しいのである》
(わがHP「心―こころ―橋本健午のページ」…"書くこと"−北海道新聞・日曜版〔ほん〕欄「目・耳・口」参照)
*〈追悼 井伏鱒二〉『井伏文学の風土』(松本武夫)…講談社「群像」1993・09
《他に、小沼 丹「五十五年」、寺田 透「追悼井伏鱒二」、飯田龍太「恩寵の絆に―釣のことなど―」、庄野潤三「井伏さんの本」、三浦哲郎「遺訓」。表紙および掲載ページのコピー》
*〈追悼・井伏鱒二〉「井伏文学の"姿勢"」(松本武夫)…筑摩書房「ちくま」1993・09(N0.270)
《他に、中野孝次、吉岡達夫、増田みず子。目次および掲載ページのコピー/これを同封した封書に印刷した紙に
「拝啓 お元気でご活躍のことと存じます。私も、相変わらずではありますが、まあまあ元気でおります。
/しかし、私の研究のライフワークとも言うべき井伏鱒二先生がお亡くなりになり、少々まいっております。
/"井伏鱒二 追悼"の拙文をお送りします。ご覧いただけますれば幸いに存じます。 /敬具
/追伸 NHK『井伏鱒二〜人と文学〜』 お暇がございましたなら、ご覧いただけますれば幸いに存じます」とあり、
ハガキ大の案内状(コピー)が添えられている》
*〈エッセイ〉『井伏鱒二〜人と文学』取材旅行(松本武夫)…講談社「読書人の雑誌 本」第12巻1993・12
《肩書:東海大学静岡校舎教授・近代文学。この"取材"は同年10月10日放映のNHK衛星第2『井伏鱒二〜人と文学』
(午前10時〜11時55分)の「監修」役を務めた彼が、3か月前にNHKスタッフと井伏家を訪ねたときのことをさす。表紙および掲載ページのコピー》
*「井伏鱒二 新潮日本文学アルバム」新潮社1994・06〈共著:松本武夫・安岡章太郎〉1260円
*「井伏鱒二 宿縁の文学」武蔵野書房1997・04、本体価格2500円
《職歴:1985年 東海大学(静岡校舎)、1996年 立正大学文学部国文学科…贈呈され、お礼のハガキを書く。
97・04・09「拝復 ごぶさたしております。このたびはご著書をお送りいただきありがとうございました。
さっそく読ませていただき、井伏先生と貴兄との間の"畏怖"くない関係を垣間見ることができ羨ましく思いました。
/私も少しずつ仕事をしておりますが、梶山先生の二十三回忌に当たる今年、夫人による『積乱雲』(仮題)の刊行の手伝いをしておりますが、
別途、先生にまつわる拙稿の出版話も進んでおります。/まずは、お礼と近況報告まで」
/この本に関して同年6月3日、「松本武夫さんの出版を祝う会」(新宿・日本出版クラブ会館)が開かれる。会費1万円》
*「井伏鱒二年譜考」新典社1999・12価格不明
*「井伏鱒二『山椒魚』作品論集」クレス出版2001・01〈編者:松本武夫〉価格不明
*日本の作家100人 人と文学「井伏鱒二」勉誠出版2003・08、1800円+税
《専攻:日本近現代文学、現職:立正大学文学部国文科教授。贈呈された証拠に「謹呈 著書」の栞が入っている》
*「井伏鱒二「宿縁」への眼差」東京堂出版2003・10、8000円+税
《専攻:日本近現代文学、現職:立正大学文学部日本語日本文学専攻教授//「謹呈 著書」の栞。
お返しに拙著『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』(明石書店2002・11、2800円+税)を送る》