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「ミニ自分史」(52)「74年夏・雑感」

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《74年といえば、結婚した翌年であり、最初の子供が生まれる前の年である。仕事上でも、何かと大変だったころでもある。 書き残したものも少ない……。》

(1974.6.14) 橋本健午

   人間は性的か、聖的か、あるいは政的か、生きている人間だけが人間で、
   だから、いずれにしても、いくらか異常であり、凶的であり、
   機会あれば、あるいは何かのキッカケで、本性が顕われてくるものだろう。
   それを無理して、あるいは意識的に歪めてしまうのは、
   余り良いことではないと思う。

   遠慮することは、他人には有難いことかもしれないが、本人にとっては、
   つまり自分の、人生にとっては、余り意味のあることではない。

   誰も他人のことをかまってくれはしないし、
   (尤も他人の立ち入ることのできないものであるが)
   それを期待するのは、少し甘えが多い、虫が良すぎる。

   善意―これは正常な判断を誤らす以外の何ものでもない。
   だが人間はいつも、それにすがっていたいものだ。

   この頃、よく眠れない、寝つきは悪くないのだが、とにかく浅い。
   変な夢を見る。遠い少年時代の友人が出てきたり、近くの人が出てきたり、
   何とも寝覚めのよくないこと、いやなものである、

1974.6.14   夜明けの雷

長い廊下を、数人の子供たちが
何度も、何度も
かけぬけるように、遠く近く
鳴っている

やがて、雨
じっとこらえていた 涙が
どっと あふれるように
落ちて来た

   怪僧ラスプーチン
   スターリン(1953年没)
   満洲、大連

左利き (1974.7.13午前6時 橋本健午)

 七日は七夕、
 選挙の日であった。ずっと雨模様で、気分の晴れないものである。
 投票には、もちろん行かない。これは、二十歳になって、初めて選挙権を得たときに、都知事選で阪本勝(元兵庫県知事)に入れただけで、 あとは一度も行っていない。
 何か空しいのである。意味がないのである。国に、人物に失望しているのである。今回はかなり投票率が高かったというが、 それでも三人に一人はキケンしているようだ。
 NHKの速報(他局のは大同小異で、NHKの比ではない)番組は、あれは日本人の国民性の表れであろうか。
 何もいそいで深夜遅くまでやることはないのではないか。
 数百人の候補者と、その周囲の人間には、一刻も早く結果を知りたいという気持ちがあるだろうが、 そんなに大騒ぎする必要があるだろうか。

 石油危機で、各テレビ局が深夜の放送を自粛してから、まだ半年ぐらいで、もう危機は去ったというのか?  夜遅くまで放送するという姿勢は、一体どういう考えからなのだろう。
 恐らく馬鹿にならない電力消費量だと思う。NHKが全国民の何割かを半強制的に起こしておいて、 テレビをつけさせるのだから…。
 いつも気になるのは、日本人の国民性、あるいは主体性というのはどこにあるのか、いや一体そういうものはあるのかどうかということである。
 付和雷同、ことなかれ主義、評論家好き、マスコミ享受型、自らの主義主張というのは、いつどのようにして培われるの、不思議でならない。
 いつもバスに乗り遅れまいとするだけで、一人歩きも、あるいはバスを乗っ取ることもできない。 (武器を持ち、衆を頼んで乗っ取ることはあるだろうが)"評論家"と称する連中がやすやすと生まれ、 ぬくぬくと生きて行けるわけだ。


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