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「ミニ自分史」(54)「目撃」

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《この82年正月、何かが起こるという"予感"めいたものがあり、思い立って「3年日記」を購入し、毎日書きつづける……。 10日ほどして友人から仕事の話が2件あり、一つは『父は祖国を売ったか−もう一つの日韓関係−』(日本経済評論社82・07)の上梓となり、 ついで8月後半、知人から「サラリーマンになりませんか」という、思いも寄らぬ電話が入った。 私は四十歳を迎え、"フリーの生活"は、せいぜいあと二年かそこらで、足を洗わなければ、と当てもないのに、友人に"決意"を語ったばかり……。 当時"脱サラ"が流行っていた時代で、この年はその分岐点でもあった。人生は何が起こるかわからない?!》

目撃  その一                1982.8.19 橋本健午

 所用があって、新宿から私鉄に乗った。夕方五時半すぎだが、あまり混んではいない。動き出してしばらくすると、 ドアそばに立っていた私の背後から、男同志の言い争う声がする。
 見ると、並んで座っている、女づれの若者と中年男が、靴先でズボンを汚した汚さないというやりとりである。
 若い男は胸をはだけて、髪形もツッパリスタイル。浅く腰掛けて、組んだ足の先は床の方を向いておらず、 明らかに隣の男のズボンにすれそうである。
 ガタンと電車が揺れれば、その足は隣の男にぶつかる。いや、ぶつかったから、相手は注意したのだろう。
 ふつうなら、「スミマセン」と謝って、その組んだ足を解いて床に下ろすだろう。ところが、若者は「オレはぶつけてない」といいはり、 挙げ旬に「何を、このバカヤロウ!」と、食ってかかっている。
 それだけではない。相手が乗ってこないと見ると、「おまえ、臭いじゃねえいか。一か月ぐらいフロに入ってないんじゃねえか。 くせえなあ!」と挑発している。
 中年男は、やれやれという顔をしながら、つれの女に、「お嬢さん、止めてやってくださいよ」というのだが、こちらは反応なし。 ガムをかんだ口をクチャクチャ動かしているだけだった。

目撃  その二                1982.8.19 橋本健午

 その後、簡単に用事をすませて、駅近くの中華料理店で、夕食をとることにした。 食欲もなく、初めての店なので、無難と思われる野菜いため定食を注文した。
 店は、十四、五人も入れば満員になるソバ屋である。先客がひとりいて、ラーメンをすすっていた。
 他に調理場に主人と思しき男が、店にはその妻と四つぐらいの男の子がマンガ本を読んでいた。 誰が見ているのか、大きな音を立ててテレビは夏の高校野球を放映している。その分、親子の会話もうるさい。
 やがて出てきた野菜いためは無難どころか、やけに塩からい。文句を言おうとしたが、なにか店の雰囲気がおかしい。
 六時になると、子供番組の『ニルスのふしぎな旅』になった。奥から、小学一、二年生の長男が出てきて、客用だが、 彼のいつものテレビ席に座った。
 母親はすかさず、どなった。
 「○○(呼び捨て)、宿題ちゃんとやったの? やってなければテレビ見せないわよ!」
 「やったよ」
 「ほんとにやったの? 何をやったの?」
 「こくご……」
 「バカ、国語なんて毎日やるもんじゃないわよ! 算数はどうしたの!」
 「…………」
 長男は母親の怒声にはなれっこらしく、次男と同じように、テーブルを一つ占領してテレビに見入っている。
 ガラガラと表の戸が開いて、学生ふうの男が入ってきた。しかし、主人も妻も、「いらっしゃい」の一言もない。 コップに水を入れて差し出すが、「何にしましょうか」と聞くでもない。
 つづいて、親子四人づれの客が入ってきた。主人夫婦の愛想が悪いのは、客が少ないからだろうと思っていた私は、 これで少しは機嫌が直るかと思ったが、相変わらず、「いらっしゃいませ」ともなんとも言わない。
 妻の口から出てきた言葉は、
 「○○(またも長男を呼び捨て)、どこに座ってるの!」
 ようやく、この妻が八つ当たりしていることが分かったが、なにしろ客商売ではないか。 いくら自分の家とはいえ、少しは場所をわきまえたらどうなのだろうと、我慢しながら野菜いためをつついていた。
 なれっこの長男は、黙ってカウンターのほうにきて、私の近くに座って、またテレビをみ始めた。
 主人夫婦はネギや肉の仕入れの確認をしていたが、何か主人がミスしたらしく、妻は「ボケ!」と悪態をついた。
 親子四人づれは、なかなか注文が決まらない。それに業を煮やしたのか、妻は「注文を聞きなさい!」と夫に命令して、 表に出ていってしまった。

 やがて料理を作り始めた主人は、冷蔵庫から取り出したエビかなにかの具を器ごと落として、割ってしまった。
 割れた音がしたとたん、それまでテレビに熱中していた長男が、カウンター越しに身を乗り出して、言った。
 「また割ったの! いったい一日に何回やりぁ気がすむの!」
 妻にも小学生の息子にもバカにされた主人は、それでも口の中でブツブツいうだけである。
 私は、日常茶飯、という言葉を思い出した。


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