96/5/3橋本健午
「10人に1人"ケイタイ"時代」と伝える本日の東京新聞によると、95年度の携帯・自動車電話の年間加入台数は587万台とのこと。
昨年7月からサービスの始まったPHS(簡易携帯電話)の約150万台を加えると、これまでの総累計は1171万4干台に達し、
いつでもどこでも掛けられる電話は国民のほぼ十人に一台の割合だという。
この大ブームの主役は若者で、ある調査によると、利用者は二十代が全体の三割を占め、十代も一割に。
通話が集中するのは午前零時前後で、若者がポケベルを一番使う時間帯と同じだという(個人利用が多いDD1−セルラーグループの今年3月の調査)。
世の中が便利になり、それを利用するのは個人の自由、他人に迷惑を掛けなければ、何をやってもよいとは思う。
しかし、若者、個人利用、深夜、この三つがキーワードとなると、ある姿が見えてくる。
数年前、やはり東京新聞がカラオケブームを報じたなかに、個人専用マイクを預ける店ができたというのがあった。
その後、抗菌グッズがブームとなり、今もかなりの分野で流行っている。そして、この個人専用の電話を加えると、"潔癖症症侯群"の若者たちが巷に溢れているといえないか。
しかし、私がここで言いたいのは、そのような若者のことではない。
個人利用の電話は必要があって使うのではなく、単なる自己確認の道具でしかない。いま自分がどこにいるかを確認するために、
友人の声を聞き、束の間の安心を得るために電話を掛ける。見えないから何でも話せると彼らは言うが、充足したわけではない。
相手も同じで、ただだらだらと時間の過ぎるのに任せて、現実逃避をしているだけではないか。
推測するに多くの若者は、一人で悩めない、自分を見つめない、じっと堪えることができないのではないか。
そのような自信のない若者はブームに踊らされ、皆について行き、せめて電話でも持っていないと仲間外れにされるからと……。
親にも問題がある。今でもそうかもしれないが、私の若いころは、車を与えれば子供は不良にはならない、
間違った道には行かないという親の心理を逆手にとって、車を買ってもらうものが多かった。
自らの安心のために、電話を買い与えれば、子供と直ぐに連絡がつくからというのは、親の"論理のスリ替え"であろう。
そこに見えるのは、"他人依存型孤独"の若者とそれを助長する親の存在である。
若い時代は時間がある、誰でもはじめはそれを持て余すだろうが、じっと一人で堪えられるように、親はもっと自分の子供に"悩む訓練"をさせるべきだ。
本来、人間は孤独な存在である。相談する相手はあっても、最後は自分で解決しなければならない。
本を読み日記を書くのもよい、自分を見つめ、孤独に耐え、自分で考える努力をすることだ。
そうすれば、今までと違った魅力ある世界が見えてくるだろう。