もうひとつ、祖母・小田クラに関し、次のような"天盃"が残されていた。
「恩賜天盃 養老 大正四年大禮恩賜」
御沙汰書
耋(てつ)ヲ存シ耄(もう)ヲ問フハ人ニ孝ヲ教フル所以ナリ恵ヲ敷キ恩ヲ足ルヽハ民ノ乏キヲ済(すく)フヨリ先ナルハ ナシ茲ニ登極ノ勤(つと)メニ方(あた)リ祖宗ノ遺範ヲ紹述シテ養老賑恤(しんじゅつ)ノ典ヲ行フ 其レ有司ニ諭シテ朕カ意ヲ宣布セシメヨ
大正四年十一月十日 天盃拝受之日 謹写之
八十歳 小田クラ 代筆 為岩
《これは、桐の小箱に入れられた口径90ミリ、朱塗りの盃で、オモテ中央に金文字で大きく「養老」とあり、
裏にはぐるりと「大正四年大禮恩賜・」の8文字が"・"を伴い、やはり金文字で書かれている。
小箱の蓋には「恩賜天盃」と墨書され、十文字にかけられた紐は萌黄色だが、やや色あせている。
「御沙汰書」の趣旨:長寿者を思い、訪ねたりすることは人々に「孝」を教えることである。
恵を与え、恩を十分にするには民の乏しさを助けることより優先されるものはない。
ここに天皇の務めとして、祖宗から受け継いだものにしたがい、老人を労わり、貧しき人々に施す式典を行う。
役人に言い聞かせて、朕(私)の気持ちを広く行きわたらせよ。
なお、大正四年は1915年で、いまから90年以上前のことである。》
小田悟氏の略歴にふれると、明治45(1912)年4月29日、東京市神田区猿楽町21番地で、父為岩、母つねの長男として出生。
東京府立第六中学校(現・都立新宿高校、昭和3年ごろ、5年生?)→東京商業高等学校(現・一橋大学)を出た後、
東京電力に勤め、のち子会社の尾瀬林業に移る。尾瀬は東京電力の水源地であったのだろう。
趣味はおもに和風で、踊り、囲碁・将棋など。
「夏が来れば思い出す…」尾瀬といえば、私も若いころに行ったことがある。