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『梶山季之と月刊「噂」』

(梶山季之資料室・編著2007・05松籟社〈京都〉A5判360ページ定価2,300円+税)

《その内容について:目次》

 オビ(推薦文)成田 豊
 「噂」表紙一覧 口絵カラー(71・08〜74・03全32号分)
 挨拶状(1971年7月7日 噂発刊の日に 梶山季之)
 梶山季之略年譜(および主要作品)

第T部 「噂」と梶山季之

 創刊 その意図したもの(橋本健午)
 《昭和四〇年代の日本と梶山季之/伊藤 整との約束/担当編集者の集まり…三土会とは/前評判は、上々?/いよいよ創刊 /励まされる一方で/"先輩"編集者から期待と危惧が/本業は、なお忙しく、喀血も/心配する執筆者や仲間たち /「噂」を高く評価する声/頭を悩ます流通問題、書店の反論/ついに休刊、そして急死/「噂」と梶山季之について /「噂」賞と、文壇野良犬会/まぼろしの"季刊"「噂」》

 「噂」目次一覧(全32号分)

 企画別・内容一覧/解説(1)〜(17)(高橋呉郎)

 ※コラム

 「速記者の分際」竹島 茂

 「エコール・ノルマル・シュペリウール」小石原 昭

 「『噂』の前後」間室 胖

 今回、表紙に使用…未完の原稿(14枚、未発表)→

第II部 「噂」その舞台裏(橋本健午)

 その1 それは"契約"から始まった  《梶山家と、季節社と/「噂」発刊の準備段階/発行所変転の事情とその対応/素人集団、若者たちの活躍 /「数字旅券もない?! ばっかもーん」/「どうせ出すなら、月刊にしようや」/"湧き出る"プラン/「定価はいくらがいい?」 「エー、二百円では…」/誌面を飾る人たち、編集を支える人たち/当時の物価や運賃は…/原稿料について /思うに任せない売れ行き/定期購読者への対応/広告と宣伝と/オイルショックと累積赤字/月刊「噂」の残務整理 /季刊「噂」刊行に向けて》

 その2 支部づくりと懇親会

 その3 「読者のうわさ」・「読者ロビー」について

第III部 「噂」掲載広告一覧(全32号分) /「噂」広告料金表・中吊り広告

 あとがきにかえて ―我が家の「噂」時代― 梶山美那江

第IV部 復刻
 (1)「噂」創刊号(昭和46年8月号)
 (2)「海を渡った文士の講演旅行」樋口進〈きき手・梶山季之〉(昭和47年9月号)
 (3)「初代編集長登場」〈「週刊TVガイド」鈴木重雄〉(昭和48年6月号)
 (4)「プレイバック」「直言曲言」(昭和48年12月号)

*梶山季之資料室(代表:梶山美那江)…作家・梶山季之(1930-1975)の活動の記録を残すため、梶山の生前から今日にいたるまでの、 関連資料の収集・整理・保管を行っている

[付記](タイトル・扉ウラ)
・当資料室は、梶山季之の全仕事に関わるあらゆる資料を保管している。 本書をまとめるにあたり、「噂」に関する新聞等の記事や梶山自身のメモ類、また帳簿や入出金伝票などにあたり、記載内容に間違いのないよう努めた。
・「『噂」創刊号』ほか、本書に再録した文章には、今日では不適切と思われる表現が含まれているが、資料的価値を鑑み、訂正を施していない。 明白な誤りについては、余白に注記を載せた。
・なお、本文では敬称を省略させていただきました。
        梶山季之資料室


月刊「噂」と梶山季之に関する"記事・発言集"

抜粋 (敬称略、文責・橋本健午)

 朝日新聞「"まじめな噂"」(71・3・12)〈コメント〉

 サンデー毎日「梶山季之センセイ"まじめな雑誌"創刊の真意」(71・3・28)〈コメント〉

 新刊ニュース「雑誌『噂』について」(71・7・1)〈巌谷大四と対談〉
  「巖谷 今回(創刊号)は大宅さんの特集を中心にして、だいたい文壇をやっておられるけれど、政治、社会、そういうこともやっていかれるんですか。」

 東京新聞「伊藤整先生との約束 雑誌『噂』の創刊」(71・7・6夕刊)〈執筆〉

 新刊展望「編集者は労働者に非ず」(71・9・10)〈池島信平連載対談〉
  「池島 少しは、わかってくれましたか、出版社の苦労が。」「梶山 わかりましたね。流通機構なるもの、いかに複雑怪奇でむずかしいものか。」

 日本経済新聞「グラス片手に噂の話」(71・10・29)〈扇谷正造と対談〔サントリー放談室〕〉
  「扇谷 普通三号でつぶれるというんだけれど……(笑)これはもちそうですな。「噂」の創刊号をいただいて拝見したとき、文藝春秋の創刊号がふと頭に浮かんでね。・・・・・」

 山口 瞳「やぶれかぶれの正義感」(『巷説 梶山季之 裏から見た梶山読本』集英社72・08非売品〉「『噂』という雑誌はゴシップ雑誌であるけれど、裏話のほうに真実があるわけで、私には、やはり彼が一人で情報時代の嘘に挑戦しているように思われる。」

 河盛好蔵「新潮」連載「文学巷談 5やさしいひと」(72・05)
  「私は梶山季之君編集の『噂』という雑誌を毎月愛読し、現代日本文学の研究家は例えば岩波の『文学』と同じぐらい『噂』を利用することができなければ、本当に血の通った作家研究をすることはできないだろうと信じている。・・・・・」

 谷沢永一「血の通った作家研究」(『完本・紙つぶて』文藝春秋78・08所収)
  上記、河盛の言葉を引用し、「だれもがうすうす思っているところをズバリ一言いい得て妙だ。」

 田辺聖子「噂というものは面白いものである。(昔『噂』という雑誌があったころの文壇ゴシップが面白かった)自分のことでも他人でも。」(04・09・12東京新聞コラム「敬老の日」)


 松浦総三「ジャーナリズム作法としての役割」…「雑誌『噂』は、オーナー梶山季之、監督高橋呉郎である。このコンビの呼吸は、じつにピッタリ合っていた。・・・・・」

 今東光「弔辞」…「彼にとって非常に残念だと思うのは、もう一度『噂』を復刊させてやりたい、ということが第一でございました。これがなんかし残したような、起承転結で申しますると、結が足らなかったと。――」

 田辺茂一「つらぬかれた侠気と反骨精神」…「(梶山は)『噂賞』を設けた。その審査員は、どういう顔触れであったか、分明にしないが、発表をみると、その採択に、一種の反骨が窺える。臍曲りが良かったのだ。 《中略》世に出ない人々の味方として、その意味で、雑誌『噂』は、破邪顕正の勁い剣であったのである。」

 尾崎秀樹「『赤いダイヤ』の魅力 梶山季之の原点」…「(池島信平文藝春秋社長と、菊池寛と「文藝春秋」について語るうち)急速にほぐれて「一人おいての芸談」となり、やがて梶山季之のかねてからの構想について教えられるといった順序で、私は「噂」創刊の抱負を知ったわけだ。 /私は梶山との最後の夜、そのことを思い出して語り、それが梶山の立ち去るおりのセリフになって残ったのであった。《中略》私はこのことで梶山からひとつ宿題をおしつつけられた形である。」…以上「梶山季之の世界 追悼号」『別冊新評』75年夏号所収)より


 山田風太郎『人間臨終図巻 上巻』(徳間書店86・09)…「彼(梶山)は自分の関係者に無際限のサーヴィスをした。その死を、彼ほど編集者から追悼された作家は古今にない。」




〈挨拶状〉……(「噂」創刊に際して、関係者に配られたもの)
 やっと「噂」が出ました。単なるウワサにならずに済んだことを、嬉しく思ってます。
 みんな、皆様のお力添えのお陰です。ありがとう存じます。
 これは、“活字にならなかったお話”を、三土会のメンバーの方々がアイデアを提出して下さって、
 高橋呉郎が編集している雑誌です。
 内容は、いいものです。
 ただ、私の責任編集ということになっておりますので、
 内容がマジメすぎて読者の方からインチキだと告訴されるのではないかと、
 そのことを心配しております。
 それから、「噂」は、季節社の発行ということになっておりましたが、
 S区に同名の出版社がありまして、煩わしいので、
 「季龍社」と云う新会社を設立いたし、青山へ新しく事務所をつくりましたので、ご諒承下さいませ。
 この雑誌が、編集者の方々の“実験劇場”として、成功することを、乞い願っております。
 「噂が売れたら、ラスベガスに行こう!」
 と云うスローガンは、今や、
 「噂を売って、ヘフナーの“プレイボーイ”を買収しよう!」
 と云うことになっております。(これは冗談)
 今後とも、よろしく、よろしく、御力添えのほどを、伏してお願い申し上げます。

    一九七一年七月七日
         噂発刊の日に         梶山季之


◇その刊行と書評・関連記事など(2007年9月現在)

2007・05・11〈出版〉松籟社(京都) 梶山季之資料室編「梶山季之と月刊『噂』」//

2007・06・04〈寄稿〉文化通信「作家とその時代研究の一助となれば 「梶山季之と月刊『噂』」」//橋本健午

2007・06・09〈書評〉岩手日報〔読書・新刊寸評〕『梶山季之と月刊「噂」』/梶山季之資料室編//共同通信・配信

2007・06・15〈書評〉週刊読書人〔ブックスポット〕〕「梶山季之と月刊『噂』」/梶山氏の33回忌に松籟社から刊行//

2007・06・21(6・14発売)〈書評〉週刊新潮〔TEMPO BOOKS〕梶山季之資料室・編/「梶山季之と月刊『噂』」//

2007・06・下旬号(6・21発売)〈書評〉出版ニュース〔情報区〕「梶山季之と月刊『噂』」//

2007・08月号(7月6日発売)〈書評〉ダ・ヴィンチ「梶山季之と月刊『噂』」//「今月の注目本 独断と偏見だけど 超厳選 130」欄に“先鋭的な雑誌”と

2007・07・08〈書評〉朝日新聞「梶山季之と月刊『噂』/梶山季之資料室〔編〕/36年前の創刊号、熱い息づかい今も」//評・重松 清(作家)

2007・07・22〈書評〉NHK BS-2<週刊ブックレビュー>「梶山季之と月刊『噂』」// 紹介者:南陀楼綾繁(ライター)目を惹くのは、全巻のおよそ半分の紙数を割いてなされた、創刊号の“復刻”。
「腕利きのルポライターとして、そしてベストセラー作家として、45年の短い生涯を駆け抜けた梶山季之。 彼が私財を投じて刊行していた雑誌「噂」の全貌を、膨大な資料と関係者の証言で綴った一冊です。 /目を惹くのは、全巻のおよそ半分の紙数を割いてなされた、創刊号の復刻=B /裏方として目立たない存在だった編集者たちを集め、座談会を企画し、それまで活字にされることのなかった文壇のエピソードを掘り起こしてやろう、 という梶山の並々ならぬ意気込みを、誌面の端々に感じることができます。/親交のあった作家の山口瞳は、当時の梶山について、こんなふうに記しています。 /『…そういう梶山を支えているのは、いわく言い難いのであるけれど、あるいは「やぶれかぶれの正義感」といったものではないだろうか。 従って彼の行動は常に清々(すがすが)しい。(中略)『噂』という雑誌はゴシップ雑誌であるけれど、裏話のほうに真実があるわけで、 私には、やはり彼が一人で情報時代の嘘に挑戦しているように思われる』(本文より) /超人的な仕事量をこなしながら、周囲への気遣いを忘れず、常に採算は度外視。そんな梶山の侠気(おとこぎ)と、出版文化への愛が伝わってきます。」 (HP「週刊ブックレビュー・オンラインブックレビュー」より)

2007・08・21〈話題〉読売新聞〔東京版〕<記者ノート>「トップ屋、硬派……再評価される梶山季之」//岩波現代文庫の『黒の試走車』『族譜・李朝残影』など3点の刊行とその紹介、また「梶山季之と月刊『噂』」にも触れ、梶山夫人の談話「…私もその全貌をいまだに理解できない」などを紹介

2007・08・22〈話題〉読売新聞<編集手帳>//上記<記者ノート>を受けての、第一面下段のコラムだが、「梶山さんはトップ屋から創作に転じ、経済推理小説の分野を切りひらいて流行作家になった」などとし、『黒の試走車』の内容に触れ、かつ今日的な問題にも示唆する

2007・09・07〈話題〉週刊読書人…特集「いま蘇る梶山季之」//第1面に@内藤寿子「梶山季之の<おもしろさ>/複雑な地下茎を育む/『生贄』で描かれた戦後日本の深淵」と、A大塚茂樹「『族譜』等の朝鮮小説に出会った驚き 岩波現代文庫編集部から」、第8面にB橋本健午「わが師 梶山季之の遺したもの」(8・31発売)


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