梶山季之の生前、身近なものとして"梶山像"を語った記録がある。読み返してみると、話し言葉の羅列で赤面の至りだが、 貴重な記録ともいえる。私の発言部分のみ、拙著『梶山季之』にある「マジメ人間」(p34〜p38)より、全文を再録しよう。
司会 皆さん方は、どういう形でそれぞれ先生方にご協力なさっていますか?
「梶山は、全部自分で原稿を書くんですが、1万冊ぐらいの蔵書があるんです。せっかちですから、
(書庫まで)自分で探しに行くほうが多いみたいですね。たまに、この関係のものを出してくれと言われることもありますが、
執筆中にはそんな仕事は、ほとんどないわけです。あとは雑用ですね。それがいろいろあるわけです」
司会 書斎にこもって執筆中に、部屋におられると具合悪いんですか。
「あまり行けないんです。というのは、設計ミスとかで、書斎がプライベートな部分にあるので、
仕方なく連絡は奥さんにやってもらっているんです」
司会 さっき、電話の取次ぎのお話が出ましたが……。
「梶山のところには、私以外に、二、三人いるんですけれども、なかなか取り次がないというんで……。
確かにまずい面もあるんですけどね。(本人が)出ると、断れないのが多いみたいですからね。
一応どこそこのだれさんですかって聞くように徹底しているところがありますね。
で、非常にまずい面があって、(編集者の)皆さんにご迷惑をおかけしているんですけど」
司会 原稿の締切りがきますね。そうすると、ヤイノヤイノと催促されますね。ああいうときは、どうなさいますか。
これは個人的にも伺っておきたい……。(笑)
「月刊の場合ですと、いろいろ考えているんでしょうけれど、やっぱりおシリに火がつかないと書き出さないということですね。
ときどき、(私の対応が)編集者の側なのか、梶山の側についているのか。どっちか分からないというようなことがあって、
皮肉をいわれたりしますね(笑)」
司会 橋本さんは、梶山さんが休筆される前からおられるわけですが、あのころ月にどのくらいお書きになっていました?
「千枚ということもありましたですね。いまでも忙しいときは……」
司会 先生方のお書きになった作品というものには、何か喜びみたいなものを感じられるんでしょうね、活字になったときに。
「ヒントという点では少しは……。この間も、広告関係の方が来られたときにお話を聞いたんですけれども、
どこかバーでちょっと話をしたら、それが1ヵ月後に活字になっていたとか……。
私の場合で言いますと、車ぶつけたりなんかすると、ヒントになるとか。あんまりいい話じゃありませんけどね(笑)」《注》
司会 ○○さんの字は読みにくいですよね、正直いって。
「梶山の字は読みやすいです。大きく書きますしね」
司会 このあたりで、みなさんの目からご覧になった先生方の人間的魅力は……。
「梶山はまじめなんです。(笑)一応教師の免状も……。それに人がよいとか、サービス精神があるとか言われますけれども、
簡単に言うと思いやりがあるということですね。そして、わけへだてがないです。
お客に対する行儀作法・言葉遣いは厳しいですが」
司会 ところで、皆さんの収入は?(笑)
「ま、普通か、それよりややいいんじゃないかな。しかし、それよりも梶山の人間的魅力ですね」
司会 最後に、先生方のこれからの執筆計画などを。先生への注文も含めて。
「一応、何年も前からライフワークを書くということを宣言して、いよいよ重い腰をあげるといいますから、
この秋ぐらいから始めるんじゃないかと思うんです。それから、休刊している『噂』を季刊として秋から出したいということもあります」
「テーマ、題材はいろいろあるわけですね。朝鮮で生まれたということと、(父親が)広島出身で、原爆ということと、
梶山の母がハワイ生まれの日系二世とか、そんなこともあって、だいぶ構想は大きいようですけれども、
いま一番苦しんでいるのは題名ですね。『李朝残影』といったものですね」
この座談会は49年6月21日、パレスサイドビルの9階「アラスカ」で行われた。
司会は星野慶栄『小説サンデー毎日』編集長。出席者は川上宗薫氏の専属速記者、黒岩重吾氏の秘書、清水一行氏の協力者、
山岡荘八氏の秘書と私(助手)の5人、うち女性が3人。一口に"秘書"といっても、さまざまである。
ちなみに、これを掲載した『サンデー毎日』7月14日号(7月1日発売)は、表紙に昭和天皇の顔写真を飾り、
数十ページにわたり「特別企画 昭和の天皇五〇年」を特集している。
《注》「車ぶつけたりなんかすると」とあるが、現実には"ぶつけられた"のである。 事故および警察の対応など、事の顛末を報告すると、梶山は私を信じてくれ、「徹底してやれ!」という。 そして、「…このときの体験メモを出しておいたところ、やがて、夕刊紙のエッセイ(「梶山季之のあたりちらす」) と短編小説の素材(「有閑マダムと少年」『オール讀物』47年1月号)となった。さすが、プロである」と記したのは、 やはり拙著『梶山季之』の「徹底してやれ!」(p101〜p103)である。