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「コミック本問題と青少年―"現状認識"にズレはないか―」

講演(1991・11・30枚方市立図書館) 橋本健午


1. はじめに―昭和33年3月31日―
2."悪書追放運動"について―出版、映画、テレビ…魔女狩りは続く―
3. 少女誌問題(昭和59年)について―中央立法化の検討―
4. コミック本問題の現況
(1)存在しない"少年少女向け"―"宮崎勤"的ロリコン現象―
(2)条例強化の動き―住民運動は主体的か―
(3)取り締まり側の論理―非行との因果関係―
(4)出版倫理協議会の活動―出版業界の対応―
5. 本当に青少年に"有害"か―いつも当事者不在の論議―
6. 知る権利、見たくない自由―「子どもの権利条約」―
7. おわりに―親として、社会人として―
* 質問に答えて

《(1)本稿は、平成3〈1991〉年11月30日、大阪府枚方市立図書館における、同館主催の第4回出版文化講演会での発言を元に加筆・修正したものである(同年12月31日まとめ)。
(2)そのころ、世をあげて"少年少女向けポルノコミック本"問題で騒いでいた。その種のコミック本の多くを大手出版社が発行していたため、 私の勤めていた日本雑誌協会(雑協)はじめ出版界は、攻撃の矢面に立たされ、防戦一方であった。
(3)このような重いテーマで話すのは初めてだった。雑協(同時に、出版倫理協議会〈出倫協〉事務局も担当)に勤めて、 9年目のことである。当初、この講演は大阪府書店商業組合理事長への依頼であったが、なぜか私にお鉢が回ってきた。 その日、会場に入ると、演台は聴衆の座っているフロアより少し高い台の上にあった。参加者は40人前後であったろうか。 ともかく、私は話し始める前に、高いところからお話するようなテーマではありませんからと、勝手に机を皆と同じフロアに下ろしたところ、 拍手があったのに驚き、また安心もした。
(4)毎年11月は、1978年度から「全国青少年健全育成強調月間」とされ、7月を79年度からの「青少年を非行からまもる全国強調月間」 (98年度より「青少年の非行問題に取り組む全国強調月間」と改称)とともに、関係省庁・地方自治体や青少年団体等が展開する全国的な"青少年対策キャンペーン"月間となっている。
(5)なお、今回、公表するにあたり、当時の状況をそのままに若干の説明・修正を施した。2006・04・11橋本健午》

 ただいま、ご紹介いただきました橋本健午と申します。
 今回のコミック本問題につきまして、私がお話するのが適任かどうか、またどんな話になるか分かりませんが、 皆さんと一緒に考えてゆきたいと思います。まず、タイトルがこの図書館で付けられた「コミックと青少年―その過激化する性表現とティーンエイジャーをめぐって―」と、 少し違っていることをお断りしておきますが、このとおり進むかどうか自信がありません。その節はよろしくお願いします。

1. はじめに―昭和33年3月31日―

 この日がなにを意味するかご存知でしょうか? 本日は若い方が多いので、あるいはお分かりにならないかもしれませんが、 前年4月1日に施行された売春防止法により、いわゆる赤線の火が消えたことになっている日です。
 少し個人的なことになりますが、実は今朝ここへ来たのは隣の茨木市からです。今も親戚が住んでおり、そこで中学3年、 高校3年、浪人1年の7年間を過ごしたのですが、この3月31日といえば、私の中学3年の終り、15歳の時でした。 なぜこんな古いことを持ち出したかといいますと、当時そういう"悪所"通いをする年齢ではなかったのですが、 赤線がなくなって残念だと思ったわけではありません。
 ただ、(そこで働く女性の問題は別にありますが)もうそういう所と縁のなくなった老人たちが、自分の過去を棚に上げて、 三悪追放(注:三悪=性病・麻薬・売春)などと"道徳を説く"姿を見て、15歳の私は、大人はずいぶん勝手なものだと思ったからです。
 そういう観点から、何ごとにも"規制する"ことのいい面と悪い面が必ずあるということを、「この一日」の感想を通して申し上げたかったのです。

 参考(1)(…読者の諸兄諸姉は、もちろん遊郭は御存じだな。然様、江戸で吉原、京都で島原、大阪では新町、長崎では丸山、 駿府では二丁町が有名な遊郭だったな。古くは、東海道は手越(静岡市手越)の宿の遊女なども有名だったがね。 /昔は売春が公許されていたんでな、各地に遊郭があったんだよ。それなのに、あの菅原通済とかいう、お節介な爺さんが、 自分の一物が役立たずになったからといって、三悪追放とかいって騒ぎまくってな、若い衆には何の相談もなしに『売春禁止法』なる法律を制定させたんだよ。 /自分が若い頃には、散々やりちらかしたくせに、まったく身勝手の強い爺さんだった。…。 HP「青柳新太郎随筆集」【紙魚の独言】より)
 参考(2)「高校生になると、いろんな本を読むようになった。中学時代は夏目漱石が好きだったが、 時にジュリアン・ソレルになりきってみたり、ボーヴォワールに傾倒したりしていた。 /世の中の動きにも敏感で、二年前(昭和33年)の三月末の赤線廃止には大人の勝手だと憤り、 翌年四月前後のミッチーブームはいささか異常だと思い、 この六月の安保改定阻止行動で犠牲となった東大生樺美智子さんの死には限りなく悲しみを覚えたものだ。」 (わが創作「生きるべく道へ」1960年(昭和35年)夏 より〈執筆1961・9・3〉⇒本HP「プロフィール」欄参照)

2."悪書追放運動"について―出版、映画、テレビ…魔女狩りは続く―

 さて本論に入りますが、一口に悪書追放運動といっても、戦後の取締まりの歴史を見るとさまざまな面があります。
 戦後初の青少年条例は昭和25年5月、岡山県の「エロ本取締条例」(正式名「図書による青少年保護育成条例」)で、 この年6月には、条例問題とは直接関係ありませんが、伊藤整訳の『チャタレー夫人の恋人』がわいせつ文書として警視庁に押収されています。

 戦後の復興、解放気運の中で、このような規制、取り締まりが行われているわけですが、現在のような有害な興行、映画、 出版物などを対象とした一般的な青少年条例は、翌26年10月に和歌山県で制定され、その後、次第に各県に及ぶきっかけとなりました。
 次に映画ですが、25年から28年にかけて大映のニューフェース若尾文子に代表される"性典もの"映画が大ヒットし、 31年には"太陽族"の石原慎太郎・裕次郎兄弟の小説と映画(「太陽の季節」)などが大いに話題となり、槍玉に上がっていたという状況があります。

 ある刑法学者は、いろんな時代背景があって、このように出版(この場合は書籍)、映画、次にはテレビと"攻撃の対象"が変わってきたと言っております。 つまり少年非行の原因は、それぞれ非行のピーク時のマスメディア、今回の場合はコミック本にある、と結び付けられるのだとも指摘しております(*)。 すなわち、本当に非行の原因となるとしても、直ぐに青少年がおかしくなるわけではなく5,6年の潜伏期間があるのだそうです。 何か大問題が起こったときによく使う手、何かをスケープゴートにするやり方が今回も取られたのでは、と。 こういうパターンの繰り返しこそ問題と言えるのではないでしょうか。

 (*)藤本哲也中央大学教授「最近の青少年をめぐる有害環境の浄化と規制問題―少年少女向け漫画(ポルノコミック)の規制方策を中心として―」 (警察学論集第44巻第11号〈91.7.18自民党「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」での講演記録より〉)

 テレビでは、青少年育成国民会議などで『8時だョ! 全員集合』が低俗番組として、槍玉に上がっておりました。 国民会議については、また後ほど触れさせていただきます。

3. 少女誌問題(昭和59年)について―中央立法化の検討―

 次に少女誌問題ですが、これは宮城県選出の自民党・三塚博 政調副会長(当時)が少女向けの雑誌の内容が酷すぎると、 59年2月の国会で取り上げた問題で、一時は(青少年への)販売規制を求める中央立法化まで議論されました。
 少女向け雑誌が読者の体験記などを掲載していたもので、今の写真やマンガなどとは違うのですが、出版社は反省し、 いちはやく休刊・廃刊にするなどの措置を取りました。
 休刊や廃刊というのは安易なやり方ではとの意見もありましたが、出版倫理協議会を始め、マスコミも出版・言論の自由の危機を訴えたため、 自民党の法案も上程されず、決議もなく、一応沙汰止みになったものです。
 今回のコミック本問題が起こったとき、多くの人からこの時の少女誌間題を引き合いに出して、出版界は何の反省もしていないじゃないかと言われました。 雑誌は次の号を出さなければ、とりあえず"ことは収まる"のですが、コミック本はそうは行かないところに難しさがあります。

 中央立法化まで至らなかった理由の一つは憲法問題で、もう一つは本日の資料として用意されている中にもありますが、 全国での条例による指定の件数、"数"の問題がありました。
 例えば、1979年1年間の指定件数は2万4509件(朝日年鑑1981年版)とありますが、これは大阪を始め京都・広島と条例のない長野をのぞいたものですが、 かなり多い数字で、さいきんは2万件前後に減っております。それでもかなりの数といえます。

 ご承知のように、各都道県ではそれぞれの条例に基づいて、職員などが書店等から買ってきた図書類を審議会に諮り、 青少年に有害と思われるものを知事が公示するのですが(指定されたものはその自治体内では18歳未満の青少年に売ってはならない、などとするもの)、 その指定の総合計が先の数字です。
 各都道県を総括する総務庁では、これだけの数を中央ですべてやるとなると、人手の問題、集計の煩雑さなどから、 とても手に負えない、と断念したとも聞いています。

 ところで、"有害指定"について疑問なしとしない点があります。
 今回の問題も同じですが、条例の運用が適正に行われているのなら止むをえませんが、書店で売られているものをどういう観点で買ってきて、 青少年に有害であるというのか? 現場を見ていませんから、果たしてきちんとやっているのかどうかは分からないのです。
 こういうものは"数が多ければよい"という世界で、やたらに数字が大きくなってしまう。多い県では1か月で百数十件もありますが、 東京では1年間に百件前後しか指定がありません。多い少ないの論理でいきますと、東京は非常に怠慢であるとなるわけです。 警視庁始め近県からすると、面白くない存在なのです。

 東京の条例について申しますと、他と違って、審議会に諮る前に日本雑誌協会や書店商業組合、新聞即売関係者などの自主規制団体に意見を求める"諮問図書に関する打合せ会"というのがあり、 都の職員の指摘が妥当であるかどうかをチェックする、行政の專断を防ぐ機能があります。
 これは東京都が業界の自主規制を尊重するという条例制定当時からの立場をまもっているわけで、 手続き上は面倒とも言えますが、それだけ慎重であるとも言えます。

 しかし、警視庁に言わせますと、東京都に"個別指定"があるだけで"緊急指定"のないのが不満なのです。 つまり、月刊誌のある号、書店で実際に売られているものを指定しても、(今のやり方では時間がかかり)公示したときにはもう次の号が出ている、 それでは指定の効果がないと、緊急指定制度を採り入れよとしつこく言っているのです。
 緊急指定制度を採り入れている県はかなりあるわけですが、東京都にはそれがないばかりか、"打合せ会"などという余計なものがあるのも面白くないわけで、 今回、讐察が張り切っているというか、かなり過激なのはこういう状況だからです。

4. コミック本問題の現況

(1)存在しない"少年少女向け"―"宮崎勤"的ロリコン現象―

 少年少女向けが"存在しない"というのは、描かれている絵が子供というのは事実ですが、読者対象が始めから少年少女だというのはほとんどないという意味です。
 また、よくマスコミや行政の方から、ポルノコミックにはどれぐらい種類があり、どれぐらい部数が出ているのかなどと質問されますが、 そんな時は"ポルノコミック"などというジャンルはありませんと答えることにしています。

 ましてや、"少年少女向けポルノコミック"などという表現は、いわゆる陳情であるとか、請願・決議などで必ずといっていいほど使われていますが、 あえて存在しないと言いましたのは、少年少女向けに作られたものではない。表紙や内容はともかくとして、大人たち、二十歳すぎの青年向けに作ったものばかりで、 読者対象が少年少女というのはほとんどないということです。

 次に"宮崎勤"的ロリコン現象と、個人名を出してはなんですが、彼は連続幼女誘拐殺人事件の主人公で、ビデオマニアであり、 軽い身障者でもあるわけですが、幼女に関心が向いていたということが重要です。テレビで見た方は彼の部屋の様子をご存じだと思いますが、 ビデオソフトがたくさんある中で、ロリコンもの(*)を中心にコミック本が何冊も並べられていました。

 (*)漫画のロリコンブームは昭和57年に起こる(「昭和かわら版」実務教育出版)

 ちょっと話は逸れますが、あのシーンはテレビのやらせといいますか、彼が読んでいなかったということではなく、 マスコミは(出版も新聞も)同じような立場でありながら、話題性といいますか取り上げ方によって、こういうものも読んでいたから…、 という絵柄を作った。それが視聴者の目に焼き付きますから、"コミックはいけない"ということになるわけです。
 ここで彼を取り上げましたのは、26歳でしたか、彼のような二十すぎの一応健康な青年が等身大の、普通の女性と付き合えない、 大人の女性と付き合えないという要素があって、また身体にちょっと欠陥があったこともあってか、(関心が)小さな子供に向かったということです。
 そんな青年が問題を起こした、(犯罪を誘発した)ビデオが悪い、コミックがいけないとなるわけですが、"宮崎勤"的な青年はかなりいるようです。

 先ほど申しましたように、いま問題になっているコミック本に少年少女向けのものがないという意味は、 彼のような二十すぎの青年を読者対象として作られたものだからです。
 このことを頭の片隅にいれておいていただきますと、どうしてあのような絵柄のものが出ているのか、 少しお分かりになるかと思います。
 これは私が個人的に言っていることではなくて、大人になりたくない、異性と付き合えないというのはデータ(*)としてもあります。 そういう彼らのひとつの捌け口として、ロリコンがあるのではないかということです。
 (*)全国の男女高校生の意識調査…"大人になりたい"19.5%にたいし、"大人になりたくない"は47.1%(第一学習社89/5/29付東京タ刊) /首都圏の45大学の学生の意識調査…"異性にもてない"と悩むものが75%(学生援護会89/9/16付東京)

(2)条例強化の動き―住民運動は主体的か―

 住民運動にはお母さん方を中心に色々あるわけで、主体的かどうかというのは失礼な言い方かもしれませんが、 昔から、先ほど申した"魔女狩り"というのは、だいたいお母さん方が心配されているからです。
 しかし今回の問題で非常に顕著なのは警察庁や各県の警察の動きです。東京の警察署の中には"母の会"の事務局があるそうですが、 それに裏でかなりの働き掛けと言いますか、けしかけると言いますか、そういう動きがありました。

 もう一つは新興宗教、宗教団体がバックにあって、やはり同じように動いたということです。警察は全国にありますし、 その宗教団体も支部が北から南までかなりあって、それらが相侯って去年の秋から動いていたということです。
 ご存じだと思いますが、「子供を守る親の会」という組織があちこちにあって、本部は東大阪市にあるそうですが、 そこは先の宗教団体の本部でもあるわけです。そして「子供を守る親の会」の国会や各省庁、地方議会への陳情先とか、 請願の紹介議員はほとんどが自民党だったという様相が特徴としてあります。

 警察がなぜハッスルしているかと言いますと…。条例の趣旨は地方自治です、つまり条例指定されたものはその県内だけしか適用されないわけです。 A県で指定されて18歳未満には売らないとしても、隣のB県で指定されなければ自由に買えるではないか、 あそこで有害なものはこちらでも有害なはずだという論理ですから、彼らは我慢ならないわけです。
 警察はこれを条例のバラツキといい、バラツキがあるのはおかしいというのです。ある刑法学者も条例にバラツキがあるのは、 法のもとの平等の精神に反するなどと"へ理屈"を言って、警察と同じく条例を強化しろとなるわけです。

 総務庁にも一時期、そういう発言がありましたので、それはおかしいのではないかと言ったことがあります。 総務庁(青少年対策本部非行対策班)は、全国で条例指定されたものを月別に集計し、そのリストを各県に戻す。 どこでなにが指定されたか分かるわけですから、まだ指定してなければ早くしなさいということにもなる資料なのです。
 出版側は書店に成人コーナーを設けたり、対面販売をしたりと努力をしているわけですが、 行政あるいはお母さん方はとにかく買ってきたんだとコミック本をふりかざす。それが事実なら止むをえないのですが、 その県が独自に青少年に"有害"だ、彼らの手の届くところにあると判断を下したものかどうかとなると…。

 とにかく警察的発想からすると、一網打尽にしたいということです。59年の時と同じ状況下にあるかと思いますが、 条例を均一化すれば中央立法と変わらないわけです。
 ご承知のように、出版業界は本を作る版元、それを取り次ぐ会社があり、その下に沢山の小売書店があります。 地方条例はその県だけの適用で、趣旨は書店での販売規制なのですが、これを均一化すると書店だけでなく取次、版元まで影響を受け、 出すことすらできなくなるという、事実上の出版規制になるおそれがあるのです。
 さすがにタカ派の人たちも出版・言論の自由にかかわる、憲法に抵触するようなことは考えていないようですが、 条例をみな同じにすれば、各県の特殊性、事情は無視されることになるだろうと思います。

 主体的かどうかということですが、大概は主体的にやっておられるのでしょうが、先ほど申しましたように、 警察主導的な部分、宗教団体の組織的な動き、他県がやったからウチも指定しなければというような面がなかったかどうか(*)。 青少年の健全育成ということではどの立場の方でも同じだと思いますが、はたして本当にそう思ってやっているかどうか疑問に感じるところです。

 (*)もう一つ、今年2月、自民党の加藤六月政調会長が図書規制の強化を求める請願書の書き方を示したため、 これにより画一的な請願が国会始め地方議会へ出され、大阪府などでの条例改正への弾みとなった。

(3)取締まり側の論理―非行との因果関係―

 取締まり側の論理はいま申しあげたとおりですが、非行との関係は先ほど"宮崎勤"のところで、 こういうものに影響されて事件を起こしたなどと結び付けられると申しましたように、まったく無関係とは言いませんが、 心理学者など専門家の間では、いまのところ因果関係は証明されていないとしています。
 しかし、東京都議会における警視総監の発言(「今年だけで73件の少年非行がコミックの彰響を受けている」)や、 大阪府(青少年問題協議会專門委員会)ではある学者によると、職権で調書を読んだ61件の事件はみなコミックに影響されたものだ、 手口までそっくりであるというのです。

 警察の調書など見たこともありませんが、取調べでは大人でも少しは心証をよくしようと思って、心ならずもハイと答えることがあると思います。 それと同じで、「コミックの真似をしたと言えば、刑が軽くなるぞ」などと言われたとすれば、少年はやはりハイと返事をするのではないでしょうか。 捜査や調書を取るときに問題があるのではと想像しますが、これは見えない部分ですので…。
 先の"悪書追放運動"のところで触れましたように、取り締まる側はその時々の目立つものをモグラ叩きのように、 潰していこうという動きがあるのではないでしょうか。

(4)出版倫理協議会の活動―出版業界の対応―

 そういう動きに対して出版業界は、出版倫理協議会を中心に自粛活動を行っております。 協議会は出版社(版元)の集まりである日本雑誌協会(雑協)と日本書籍出版協会(書協)、 取次会社の加盟する日本出版取次協会(取協)、そして各府県にある書店組合の集まりである日本書店商業組合連合会(日書連)の4団体で構成されております。 主に青少年条例に関係する事項は、59年の少女誌問題でもそうでしたが、この協議会で審議し対応しております。

 いつも問題になるのは、アウトサイダーのことですが、各団体の加盟数をいいますと、雑協が大手から中小まで74社、 書協が書籍中心に約460社、取協は43社、日書連が約1万3千店となっております。
 書店の1万3千店というのはかなりの数ではありますが、全国にはその倍ほどの小売店があり、 コンビニ店や郊外店などの多くが非加盟の状態です。

 出版倫理協議会での自粛活動は、今度のコミック本問題でいいますと…。
 作る側の版元としては指定されたもののうち絶版・出荷を停止するもの、これから出すものは修正して出す、 直せないものは出版しないなどの措置を採り(*)、取次会社は書店に取扱い上の注意を要請し、書店は前述のように成人コーナーへ置くなど、 それぞれ青少年への配慮を行っているわけです。

 (*)今年前半、大人向けのものに「成年コミック」マークを付ける申し合わせをしたが、 一部全国紙がマーク付き=有害と報じたために、当初の意図と逆の状況となり、マーク付きを出したのは数社にとどまった。

 ところが、これらの自粛もアウトサイダーまでは届かない。一般の方にすれば、ある雑誌、ある本が、協議会あるいは協会の会員であるかどうかは関係ないわけです。 これが良い本か悪い本かだけですから、副題にありますように、つねに現状認識にズレが付きまとうのです。
 大阪の場合、小売店の組織率が低いといいますか、書店組合に入っているのが760店舗、入っていないのが350もあるといわれており、 (これまで個別指定さえなかった大阪、京都とともに厳しい内容の条例改正が必至の)広島ではコンビニ店が目に余るというのですが、 やはりそれらはアウトサイダーなのです。

 コンビニ店といえば、セブンイレブン、ローソン、サンチェーンなどを思い浮かべますが、いずれも全国展開で、店舗数は多くても本部でコントロールできる、 いわば水道の蛇口を閉めれば水は流れないわけです。
 これらは多くの品物を扱う、24時間近い営業、イメージを気にすることなどから、かなり敏感になっており、 また顧問格に警察OBが入っていて、逸早く情報が流れる、そういう意味で余り売られていないようです。 出倫協のアウトサイダーとはいえ商売優先でしょうから、全般的な自主規制がなされているわけです。

 しかし、いま間題なのはもっとちいさな10店舗か20店舗のチェーンのコンビニ店のことで、 こちらも商売の自由ということでは同じでしょうから、地域によってはそういうものがかなり売られているのだろうと思います。
 出版する側の日本雑誌協会では(昭和59年以来)会員誌の通覧作業を続けており、性表現だけでなく、 残虐・暴力表現にも注意し、あるいはビデオの広告などもチェックしておりますが、一時期に比べればかなりおとなしくなっており、 はたしてこれでいいのかな、元気が無さ過ぎるという雰囲気もあります。
 一方、その間隙を縫って、多少は過激になるところもあるかもしれませんが、会員、インサイダーには目が届いても、 アウトサイダーには目も届きませんし、口も出せません。そこで、住民の方から、相変わらずヒドイじゃないかという声が上がるのです。

5. 本当に青少年に"有害"か―いつも当事者不在の論議―

 こういう問題が起こったとき、建て前として青少年の健全育成のためであるというのですが、いつも当事者である彼らの声、 発言が聞こえてこない。親は保護する立場だから子供のことを慮って言っているのだからというのでしょうが、 では当事者である子供たちがどう考えているのか、いつも話の中から落ちているのです。
 毎年2月末か3月始め、東京代々木のオリンピックセンターで開かれる青少年育成国民会議(青少年をとりまく環境に関する懇談会)でも、同じことなのです。
 この国民会議は、その下に都道府県民会議、さらにその下に市町村民会議とピラミッド形の組織になっているものです。
 全国から育成関係者が集まって来られる年一回の会合で、出版、テレビ、最近は新聞がなくなりビデオなどと部門別に、 それぞれの業界との話し合いをするわけですが、ここでも青少年、少年たちの声が聞こえて来ません。
 もっとも、シンポジウムを開こうとしても、昼間どの学校のどの生徒に頼むかというのは難しいようで、 なかなか生の声が反映されないというのがこれまでの状況ですが、はたして当事者を脇に置いておいて、 議論していてもよいものかどうか?と思います。

6. 知る権利、見たくない自由―「子どもの権利条約」―

 この条約について簡単に触れますと、日本は条約に署名しただけで、まだ批准をしておりません。 国内法との整備の関係があって批准が遅れていると聞いております《のち、1994年4月22日批准、同5月22日発効》。
 この条約によると、子供は保護するものではなくて、もう少し少年たち、18歳未満の彼らの意見表明権であるとか、 アクセス権、要するに知る権利であるとか、見たい自由を尊重することが求められており、これまでのようにそれらを押さえることが難しくなってくる。 いろんな解説書が出ていますが、手元にあるのには、青少年健全育成条例との兼ね合いが問題だとしています(*)。 そういう意味では、子供を抜きにして青少年問題を論じるのは、常に問題だと言えるのではないでしょうか。
 (*)『解説 子どもの権利条約』<永井憲一・寺脇隆夫編(日本評論社)1990年>

 ところで、いわゆる子供にとっての"有害環境"にはいろんなものがあるようで、ある先生によれば、次のように分けられるとしています。
 (1)有害行為―淫行(処罰規定)
 (2)有害物品―有害玩具、有害図書等、ポルノコミック、ポルノ雑誌等
 (3)有害施設―
 (4)それ自体では有害環境ではないが青少年に有害な環境となるもの―
 (5)青少年に危害を加え、食い物にする地域不良集団や暴力団あるいは情報公害等を含めて有害環境と見るという、広義の有害環境―

 また、"有害環境そのものが相対的な概念"である、として
 ア、そのもの自体ですでに有害である―ソープランド、個室マッサージ、デート喫茶、大人のおもちゃ店
 イ、その後の行動等を考えると、非行に走るおそれがあり、有害性をもつもの―ディスコ、ゲームセンター、深夜喫茶店

 次に、少年警察による有害環境の定義―取締の対象―、として
 ア、心身の発達に有害な影響を及ぼす物的なもの―不良出版物、有害玩具等
 イ、心身の発達に有害な影響を及ぼす営業あるいは興行の類―のぞき見喫茶、シースルー喫茶、ストリップ劇場等
 ウ、犯罪や非行を誘発する場所的なもの―不良少年の蝟集する公園・アパート等
 エ、著しく性的感情を刺激し、または残虐性を助長するおそれのある出版物、広告物、映画、放送等(青少年保護条例と同じ内容)
 オ、少年が蝟集して喫煙、飲酒、不純異性交遊等を行い、不良者とつながりを生じ、あるいは売春等の斡旋場所となるなど、少年の非行か転落の温床となっている場所、その場所そのものが有害環境である
 カ、少年にとって有害なものを販売している自動販売機等

 などとしています(前出の藤本教授の講演記録)が、"(不良少年の蝟集する)公園・アパート等"は拡大解釈されると、 少年たちは居るところがなく、ほとんど何もできなくなるのではないでしょうか。
 《補足:21世紀の今日、24時間営業のコンビニ、事件の多い学校、子供が虐待される家庭なども"有害環境"といえる》

 昨年の今ごろでしたか、警視庁の係官がカラオケボックスは青少年が出入りできる健全な施設である、というのです。 ビルの中を仕切って音が洩れないようにしてあるようですが、窓が大きくて外からよく見える、監視しやすいという警察的発想からのようです。
 近ごろは中高生が出入りしている、1曲100円ですか、3人か4人で2時間ぐらいを過ごす、それでも健全であるというのです。 なぜ彼らが出入りするのかといいますと、ストレス解消のためだというのです。

 子供にストレスがないとは思いませんけれど、青少年が本当に健全に過ごせる環境、都会的なものではなく、 もっと自然であるとか、昔あった環境を取り戻すことを考えるべきでしょう。人工的なもの、そういうところに押し込めておいて、 彼らのストレス解消のために必要なんだと肯定したのでは、先ほどの個室マッサージやデート喫茶とどこがどう違うのかということになると思いますが。
 もう一つ、ダイヤルQ2が問題になっておりまして、たしかにベラボウにお金が掛かる、ワイセツ性があると言われているようですが…。

7. おわりに―親として、社会人として―

 個人的に申しますと、社会環境、有害環境という前に、親が子に対してどうすべきか、ということについてもう少し考えませんと、 学校が悪い、社会が悪いとか、テレビが悪い、コミックが悪いと言っているだけでは、根本の問題が見えず、なにも解決しないのではないでしょうか。
 政府関係のいろんな資料(*)を見ますと、非行の原因は家庭にあるということがはっきりしているのです。 議論は、そこから入っていかないと、コミック問題に限らず、何のための青少年の健全育成か分からないのではないかと思います。
 (*)1)「少年非行甘い親に原因/子供と対話必要/国政モニター調査/警察の介入望まず」(総理府調査・昭和56.11.4付東京)
 2)「少年非行総理府世論調査/しつけ不十分・甘やかし・対話欠如/半数が『家庭に原因』/『深刻に受け止め』9割」(昭和58.10.31付毎日)
 3)「非行原因47%が『家庭』に/いじめ重大な社会問題…56%/総理府調査」(昭和63.12.19付東京)

 もう一度、青少年育成国民会議にもどりますと、数年前のことですが、出版物はいつも槍玉に上がるのですが、 テレビの場合は先ほど申した「8時だョ! 全員集合」などを除けば、"お願い"をすることが多いのです。
 例えば、わが町ではこんな催し物をするから是非放映してくれ、取材に応じてくれなどという他愛のないもの。 それから、よく暴カシーン、殺人シーンなどで昔はリアルと言いますか、刀で切ったりすると血がドバっと出る。 これは非常に青少年に良くないので自粛を申し入れたところ、血が出なくなった。暫くすると、今度は血が出ないのはおかしいと言い出したのです。

 もう一つ、あるお祖父さんが要望していたのは、ウチの嫁だったか娘の教育のための番組を流してほしいというのです。 それは母親ですから、当然青少年ではありません。このように、ただ年をとって、子供ができたから親だというのは問題ではないかと思います。
 それから、核家族というのか、私を含めて親が自分自身の位置であるとか、立場であるとか、今の日本人は大人としての自分が分かっていないのではないか、そういう気がします。

 結論ではありませんが、このコミック問題を含め、子供のためにどうすべきかは、まず大人が自らの反省から始めなくてはいけないのではないかと思います。
 とりとめのない話になりましたが、ご質問等がありましたらお願いします。
(1991.12.31)

*[枚方 講演] 質問に答えて

(1)アウトサイダーについて、コンビニ店へどういう経路を辿って流れるのか?

 一般的には出版社(版元)があり、取次を通して書店へ送られるのですが、大取次の下にまた取次があって、 そういう系列に流れる。もう一つ、大阪の場合は大阪だけの版元があると最近分かったのですが、 そういうところから直接流れることもあります。
 皆さんの意識の中に自販機物も入っているかもしれませんが、これはまた独自のルートで流れているようですが、 (いずれもアウトサイダーなので)詳しいことは分かりません。

 ご存じのように、出版と新聞を規制する法律がありません。戦前はありましたけれども(*)。 そうしますと、数字的にも捕捉し難いわけです、お役所としましては。監督官庁がありませんから…。 そういう意味で、ラーメン屋でも保健所に届けるのにと、昨年の今ごろ総務庁などはひどく怒っていました。

 (*)出版法(明治26年4月14日〜)、新聞紙法(明治42年5月6日〜)。いずれも終戦直後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により効力を停止され、 1949(昭和24)年5月24日廃止された。

 幸せなことに出版と新聞には法律がないのですが、自由に勝手なことをやってよいのではなく、自ずから規制、 自己規制を常にやっていなければいけないと思います。
 今のお答えにならないのは、業界でも本当に捕捉できないからです。ときどき、全国で書店は幾つあるのか、 出版社の数はどれぐらいあるのかと聞かれるのですが…。

 出版社から取次を通して書店に流れる、普通の雑誌というのもおかしいのですが、雑誌コードの入っているもの、 これは普通のルートで流され、全体の8割か9割以上を占めるわけですが、これ以外にもルートはあります。

 出版するということは、皆さんでも今から本を出したいと思えば、多少のお金と知恵があれば、 簡単にというと語弊がありますが、何の規制もないからできるわけです。どこに届けたらいいのかと聞かれることもありますが、 これは全く無いのです。

 そういう意味でも、自動販売機もあるわけですが、真面目な本でも取次を通そうとすると、口座を設けなければなりませんから、 そんなことができない"弱小"としては、とりあえず知人などを頼って旭屋書店などに置いてもらう。 これでも立派な出版業といえるわけで、中には、いま問題となっているようなものを作るものも出てくるわけです。 (中略)先ほどの補足をしますと、今回の問題が長引いているのは、59年のときには雑誌でしたから、 例えば3月号がヒドイとなれば、4月号を止めましょうということができるわけです。これは読者を裏切るか、 広告主を裏切るかはともかくとして…。

 しかし、コミック本は書籍的ですから、何か月か(書店に)置いておけるわけです。作る側は、例えば問題になったシリーズの3で止め、 4は出しませんとか、新しく出したものは指定されておりませんというのですが、県によっては、まだ書店に古いのが残っているらしく、 相変わらず指定してくるわけです。
 雑誌は次の号が出れば、売れなくても返すわけですが、書籍やコミックはある程度置いておけるので、 去年出したものがなぜ今ごろ指定されるのかと、出版社は怒りますが、現に何々県で買ってきましたといわれますと、 どうしようもないわけです。

 東京都の場合でいいますと、警視庁は(1年間の指定件数が100件前後で)他県の一月分にも満たないとか、 緊急指定制度がないとか、かなり不満らしく都に圧力をかけております。また、総務庁でまとめている資料を逆手にとって、 10月ですか175点のリストを作りまして、どこで購入したかと、キオスク、書店、古本屋などの名前まで書いてあるのです。

 先ほどから申しておりますように、東京都は東京都の条例に基づいて、これは指定するが、それは指定しないと審議会で決める。 他の県が指定しようが、わが県では…というのが、地方自治の基本ルールなのです。
 それを警視庁は、全国のどこかで指定されたもののリストを元に、書店等へ行き、成人コーナーにあるビニールカバーを被っているものも買っているのです。 ある書店では、婦人警官が二人来て、中身も見ずに買って行ったということです。明らかにヤラセというべき、 非常にいやらしいことをやっているのです。そういうことまでして、警察は取り締まり強化をしようとしているわけです。

 問題が"少年少女向け"と紛らわしかったのは、以前に、成人向けの表紙が余りにドギツイと苦情がきたので、 その種の出版社は、それでおとなしいものにした、というのです。今回あるお母さんが、可愛い表紙だったので、 子供に買って帰ったところ、内容が酷いのでビックリした、というのはよくいわれることです。

 先ほどのテレビの殺人シーンと似たような話ですが、始めは表紙がヒドかったのでおとなしくした、 暫くするとそれが問題にされ、十把一絡げに"少年少女向けポルノコミック"と、なったわけです。
 またビニールカバーを掛けるようになったのは、立ち読み禁止のためだったのですが、カバーが掛けてあるので中身が分からない、 ということもウラ目に出たような気がします。

(2)市民としてどう考えればよいのか、出版界は規制に対してどう対応するのか

 私個人としては、子供の健全な成長を願うのはどの立場でも同じだと思うのが一つと、親として子供の育て方とか、 しつけ方があるだろうというのが一つ。それから、図書類に限らず、いろんな"有害環境"があるわけですが、 (子供にも親にも選択の自由があるわけですから)見る目を養うということ、親として市民としてそういうことが必要だと思います。

 規制に対して、出版界はそれなりに対応しておりますが…。(今回の条例間題では)作る自由、販売する自由は何ら侵されていないわけです。 ただ、県によって、こういうものは青少年に売らないように、と言っているだけですから、そこのところを弁えておれば…。

 全くの個人的な意見、理屈だけですが、条例の適正な運用さえできれば、(ほんとうは規制はないほうがよいのですが)どの県でも適正な運用がなされれば、 それはそれでよいのではないでしょうか。
 そのうちに出版側とすれば、(大人向けと子供向けなどと)識別できる表紙や販売方法などを考えればよいのではと思います。(中略)

 出倫協(雑協・書協)の他に出版問題懇話会《いま、出版倫理懇話会》という、成人向けのものを作っている出版社の団体(31社)があり、 多くは路線がそういう種類のものですから、いきなり止めろといわれても、生活の問題がありますから、そう簡単には行きません。

 しかし、条例のような公的規制ではなく、業界内でも、書店からウチはもういらないよとか、取次で(内容が)ちょっとねと言われれば、 もともと1万部ほどの小部数ですから、少しずつ減れば、作っても商売にならないから自然に無くなる…。 自己規制かどうか分かりませんが、こういうことも一方ではあります。

(3)規制など、国際化という点ではどうか

 先ごろ警察庁の係官がアメリカに行ってきたとか、警視庁の少年1課長がヨーロッパヘ行ってコミックを見せたところ、 ポルノ先進国でもこれはヒドイといったという。ヒドイのを持って行けば、当然そういうことになるでしょう。 何を言いたいかといいますと、国際化、外国との比較をしても意味があるものとないものがあるということです。

 詳しいことは分かりませんが、ヨーロッパやアメリカ、たまたま私は先月中国へ行ってきたのですが、 本屋さんを覗きました。いずれも、書店は書籍しか置いていないのです。雑誌はキオスク、売店といいますか、 そこでは子供の手の届かないところにポルノ雑誌がおいてある、書店には置いていない。

 コミックそのものでいいますと、日本ほど発達している国はないそうです。そういう意味で、国際的な連帯をいう前に、 国によって事情が違う、本の作られ方、売られ方が違うということを、まず認識する必要があります。

 中国でも、書店には本しか置いていない。日本でもそのように分けられないかという議論があります。 大きな書店では1階は何々、2階は何々という分け方はありますが…。いろいろなものを売っていますね、小さな店は。 文房具も売っていたり、大人も子供も一緒という状況があります。あれを分けなさいといっても、ちょっとできないところに問題が…。

 条例の規制の趣旨は、これは子供には少し早いのではないか、マズイのではないかというものを脇へどけなさいと、 易しく言えばそれだけのことで、その言葉通り運用がきちんとなされておればよいのですが。
 作ってはいかん、売ってはいかんとは誰も言っていない、言えないのです。何々県でも売っていいのです。 ただし、これは青少年にはダメですよというだけですから、運用が非常に難しい。
 先ほど申しました「子供の権利条約」から見ますと、逆の"規制するのはおかしい"となってくるのではないかと思います。

 また、別に国際比較ではないですが、例えば東京都にはない淫行処罰規定《のち、1997年12月16日より施行》は、 大人が18歳未満を相手に性行為を行ってはいけないというものですが、お国柄でいいますと、今年スイスでは性交渉の可能な年齢を16歳から14歳に下げていますね。 ただし、男女の年齢差は4つ以上離れていてはいけないとの歯止めもあります。
 これに倣って、日本もそうしなさいとは思いませんが、いろいろな国があるということをきちんと見極めないといけないと思います。 出版でいえば、書店の状況から、分けて売るのはなかなか難しいということです。

(終)〈1991.12.31〉



 《後記:その年明けに、これを何人かの先達にお送りした。布川出倫協初代議長より、「よく勉強したね」と過大なお褒めの言葉をいただいた。 もう一人、もと内務官僚だった方からは、「警察関係の発言は控えたほうがよいのでは」との"お小言"を頂戴している。

〈追記…なお当時、この小文を送っていたM氏(マスコミ倫理懇談会・元事務局長)からの電話について、最近読み返した日記(1992・2・11)にこう記していた。 「ソフトタッチでよいとのこと。もっと警察の介入を非難すべきとのことだが、確証のないことは言えない。 都関係のアドバイスも、新聞協会も決して仲間とはいえないようだ」(2010・03・28橋本健午)〉

 その後95年暮れに仕事を離れたが、"青少年問題"と"出版倫理"は私の頭から離れず、小論「青少年育成国民会議」 「東京都青少年健全育成審議会」を日本出版学会編『布川角左衛門事典』(98・01所収)に、 ついで『出版ニュース』に「試論・"有害図書"と出版倫理活動―ないがしろにされてきた当事者・子どもたち―」(99・01上中旬号) と「青少年有害環境対策基本法案(素案)の問題点」(00・07下旬号)を書いた。
 そして、『新文化』に「出版倫理・攻防の半世紀」(99・09〜01・03)を35回連載し、これらを大幅に書き直した 『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』(明石書店02・11)を上梓した。 その前後、『新文化』に何本もの小論をトップページに。さらに、「49"有害図書"の指定」と「50 出版物のワイセツ裁判」の2本を執筆した 『白書 出版産業―データとチャートで読む日本の出版』(文化通信社04・05所収)。
 また、その年〔座談会〕「特集 青少年保護と表現の自由―青少年法案とその周辺―」(日本評論社『法律時報』04・08所収)に出席し、 昨年は『発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷―出版年表―』(出版メディアパル05・04)を上梓した。 この年表に関しては、2本の小論もある(「表現の自由」とその限界―年表『発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷』を出版して 〈「総合ジャーナリズム研究」193、05夏05・07所収〉/「出版年表」を編んで、思うこと〈「出版クラブだより」485、05・07所収〉)。
 ついでにいえば、「出版界、あるいは利用者から見た図書館と"倫理綱領"」(日本図書館協会『図書館雑誌』―特集「図書館員の倫理綱領」制定20年―00年7月号)もある》


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