『戰線文庫』研究

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幻の海軍慰問雑誌『戰線文庫』―戦後60年特別企画―いま伝えたい、戦中の記録!

戦線と銃後を結ぶ大衆娯楽雑誌     橋本健午

 異母兄に、戦死した"海軍の兄"がいると知ったのは小学生のころだった。 その兄への多くの方からの弔意に対し、亡父が巻紙に記した「お礼の手紙」(写し、1944年9月)を見たのは40年も前のことである。
 そして、2002年10月、旧海軍による将兵慰問雑誌『戰線文庫』の存在を知った。合本14冊、雑誌の数にして58冊である。 欠本もあるが、保存状態はよかった。
 毎号、近衛文麿ら首相や海軍関係者および学者の文章を並べたり、第3号の表紙に「漢口廣東陷落記念號」とあるような戦況報告や、 銃後国民の生活ぶりと献金・献納の状況をくわしく載せて、将兵を鼓舞するだけでなく、途中の号から海軍"初級受験問題"を掲載するなど、 至れり尽くせりである。また、女優らのブロマイド風グラビアや、菊池寛らの小説や詩、講談や落語、誌上封切映画、 コントに漫画などと娯楽も豊富な慰問雑誌という側面も持ち、戦地の将兵一人ひとりに配られていた(非売品。総ルビつき、当初B6判238ページ)。
 1937(昭和12)年から始まる日中戦争は、41年12月の真珠湾攻撃によって、列強を相手の第2次世界大戦となり、45年8月、 日本は無条件降伏をした。
 ところで、この戦争による"教訓"は、歴史上の"負の遺産"であるがゆえに語り伝えられること少なく、 表層的な記述しか見られないのは残念である。
 『戰線文庫』(1938年創刊)は、この大戦とともに歩み、そして終刊を迎えるのだが、戦後はほとんど誰も知らない"幻の雑誌"となっていた。
 やがて、私がこの雑誌について研究しはじめたのは、"海軍の兄"の存在というより、二度と戦争の悲惨さを味わわないために"生きた教科書"として、 いまの日本人に提示しなければならないという使命感からであった。

 なお、『戰線文庫』のほか、途中から同時に内地版『戰線文庫 銃後讀物』という定価40銭の雑誌も発行されただけでなく、 「輝ク部隊」という女流文学者たちによる慰問文集なども提供されていた。

       

2005年6月下旬発売予定(本体8,000円+税)
体裁:函入り全3巻(A5版2巻、B6版1巻)
資料解説:橋本健午
《すいせん文》保阪正康(2004年度菊池寛賞受賞・ノンフィクション作家)

(以上、2005・02同書パンフレットより)


◆2005年4月27日の日本経済新聞「文化」欄に掲載された拙稿
「歴史に埋もれた『戰線文庫』◇戦時中に発行された旧海軍の月刊誌を研究◇」
元原稿はこちら


◆幻の海軍慰問雑誌『戰線文庫』復刻/小説、漫画……リアルな風俗//読売新聞05年6月27日夕刊「文化」欄〔コメント〕


◆幻の『戰線文庫』(1938〜45年)復刻/「従軍」の全容明らかに//毎日新聞05年7月1日夕刊「文化」欄〔コメント〕


◆復刻された海軍慰問誌『戰線文庫』の娯楽度//週刊新潮05年7月28日号「TEMPOエンターテインメント」欄〔コメント〕


◆戦時中の娯楽雑誌 復刻/旧海軍が発行『戰線文庫』/恋愛小説・漫画も//朝日新聞05年7月21日夕刊第2社会面〔コメント〕


◆Weekend Beat「LOOKING BACK Reproductions of popular navy magazine provide glimpses of life at the front」〔コメント〕


◆『戰線文庫』復刻//週刊読書人05・10・14「出版メモ」 〔名前〕


◆戦意高揚と娯楽性/旧海軍雑誌 手がかりに 戦前の出版事情講演/新宿/来月7日・日本出版クラブ会館//毎日新聞〈東京〉「聴く」欄05・11・24〔名前〕


◆旧海軍の外地向け慰問誌/『戰線文庫』 引き継ごう/「生活に触れ、戦争考える糸口に」//東京新聞05・12・02「TOKYO発」〔コメント〕


◆復刻された海軍雑誌//朝日新聞05・12・17夕刊コラム「窓 論説委員室から」 〔コメント〕


◆お礼(および補足事項について)     2005・12・8橋本健午

 前略 昨日の講演会にご出席いただき、ありがとうございました。
 ほとんど、なじみのない雑誌『戰線文庫』について、どのようにお話すべきかと考えたのですが、 資料の作成とその説明しか思い浮かばず、あまりご理解いただけなかったのではと反省しております。
 さて、“戦争”経験者(1929年生まれ)の長広舌に、他の方の時間が割かれたことを遺憾に思う一方、 参考になる話もいくつかありました。しかし、経験者ゆえの独断や決め付けに、「またか!」の失望深いものもありました。 気がついたことを二、三付け加えさせていただきます。
(ある同窓会誌〈1996年〉によると…「私が***中学に学んだのは丁度大東亜戦争酣(たけなわ)の頃である。 そんな時代だったせいか、私は新聞や雑誌に載る勇ましい戦争の記事を毎日貪るように読んでは、 後生に残すべきものと判断したものは片っ端からスクラップ・ブックに貼りつけ、 とうとうこれが百冊近くになったところで、昭和二十年八月八日の空襲で全部焼いてしまった。 このことは今もって残念で仕方ないが、思えば私が現在まで続く戦史の研究を始めたのはこの頃からで、 爾来五十年以上も続いている。(以下略)」)

 * まず、全巻持っていたが空襲で消失したという『戰線文庫』について、このようなキャリアの方が「陸軍の雑誌」と思っていたとは、 何かの勘違いではないかと少し解せないところです。
 * 表紙について:後半には、“南方”のもの(風景? 人物?)が多かったとのことですが、『戰線文庫』を見るかぎり、 そのようなものはほとんど見当たりません。
 * 雑誌の優劣について:『戰線文庫』は「出版物としてレベルが低い」ということでしたが、 そのような議論は、ここでは関係のないことではないでしょうか。

 * 献金等について:「昭和18年ごろまでだった」とか「サイパンが落ちてから(S19・7・7)、前線はなくなった」ということでしたが、
 現存する『戰線文庫』第65号(S19・3・1発行p137)に「海軍 恤兵日誌(自18・12・1 至18・12・31)」があり、 (今月の恤兵金受理高868,964円25銭・2758件)となっております。 ついで第66号(p137)にも「海軍 恤兵日誌(自19・1・1 至19・1・31)」…「熾烈なる米英の反抗の中に明けた昭和十九年、 弛まぬ国民の前線将兵に対する感謝の熱意は、海軍省正面玄関脇の僅か寸尺の献金品に於いても脈々として係官の胸を打つ。」ではじまり、 (今月の恤兵金受理高1,499,754円470・1979件)となっております。
 ちなみに、陸軍の『陣中倶楽部』をみますと、最終号(106号、S19・11・1発行)の目次に「赤誠あふるる恤兵献金・・・・・陸軍恤兵部(p80)」とあるところから、 少なくとも昭和19年9月ごろまでは、“献金献納”が行われていたことがうかがわれます。
 なお、献金をストップさせた時期もあるようで、『銃後讀物』第66号・昭和19年4月号所収の「〈恤兵豆手帳〉「送らばや日の本の松風―廃止された慰問袋に代るもの―」吉屋信子」に 「…そして、いよいよ勝敗を決する年は開かれた。ますます輸送力は逼迫した今日此頃。つひに、(慰問袋より、船を、飛行機を!)と前線の雄叫びは伝はつた。 海軍省恤兵部では、その勇士の壮なる意思に添つて――当分南方向け慰問袋の受付は中止された。銃後の人々は粛然とした。 /そして、その(慰問袋より!)の烈しい志気の凛々とひゞくつはものゝ叫びは、如何に国内を奮ひ立たしめたか!…」とあります。

ことほど左様に、記憶はあいまいであり、“事実”に基づいた研究が大事と痛感する次第です。


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