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とんだエッセイ 12月下旬号

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「年末大掃除」
 また、日曜日の朝。カミさんは市役所前広場でのフリマ出店のため、私が自治会の年末大掃除に出ることになった。
 9時半の集合時に降りて行くと、老若男女か、善男善女か、多くの人がホウキやチリトリを持って、持ち場を目指して行きかう最中であった。 小さな子供と若いお母さん、というのもある。すでに、ホコリが舞い上がっている。急いで、マスクをする。
 ホウキを渡してもらった私は手袋をはめて、持ち場もわからないまま、落ち葉集めに加わった。 広場のそこここにたまった落ち葉を拾い集め、大き目のゴミ袋に入れる単純な作業だ。
 片手で袋を持ち、もう一方の手で拾い集める男性、長い炭バサミで数十枚を一気にはさみとる頭のいい? 女性、 一人はゴミ袋を持ち、もう一人が手ですくって入れる仲のいい? 女性たち。両手ですくっていた私は袋三つに詰めたあと移動し、 ある吹き溜まりに目を付けた。
 高さ一メートルほどのコンクリート壁は角がくぼんでおり、その内側に今年のものばかりか、昨年や一昨年らしい落ち葉が積み重なっている。 細い枯れ枝もある。それらを取り除いていくと、タバコの吸殻が朽ちずに白いまま、いくつも出てくる。 チューイングガムの包装紙もある。体のいい、ポイ捨ての場所でもあった。
 その隣では、数人の男女が山積みの落ち葉と格闘している。なかなか減りそうもない。と、そこへ、別の女性が近づき、 ここは腐らすためにわざと積んであるのよ、新しい葉っぱだけ、飛ばないように除けばいいんだって…。
 30分ぐらい経つと、そろそろ人が減っていくのが分かる。このあと、久しぶりに、消防訓練もあるそうだが、 そこまでは付き合わなくてもよいそうだ、とは班長さんの話。私も退散することにした。
 エレベーターに、数人の女性たちと一緒に乗り合わせる。「*階(私の住む階)のだれだったか、そんな早い時間に出られないわよって、出ないのよ」 「そういう人は、いつもそうよ」などと、噂されているのは、だれだろうか。
 ともあれ、何となく"一仕事"終えた気分、タバコをすう人はここで一本というところだろうか…。

「大人と子ども」
 さいきんの子どもたちは、外遊びをしなくなったせいか、転んでも、手をつかない(から、顔にケガをする)、腕の骨にヒビが入る。 野球をしようにも、ボールをうまく受取れない(から、チームが出来ない)など、とんでもないことが起っているそうだ。
 その親たちが言うには、いま治安が悪い、外では何がおこるか分からない、テレビゲームばかりやっている、から(安心)だそうだ。
 一方で、遊び相手に家庭教師を雇う親もいて、1時間5千円という(以上、12月17日「クローズアップ現代」)。 宿題を代行するアルバイトもある世のなか、何でも金で片付けようとする、親の責任を放棄する世代が多いということだろうか。
 思えばふた昔前、テレビを子守代わりにすることが話題となった。 さらにその前、勉強は苦手だが、野球をやらせ(他人に管理をやらせ)ていれば不良にならないと考える親もいて、 その親たちに育てられた、いまの親世代が手軽に"教育"や"しつけ"を考えるのも無理はないか。
 しかし、これらの風潮に、まじめに取り組んだ学校も紹介されていた。放課後、さまざまなスポーツをやらせるため、 母親40数名がボランティアで、ケガはないか、変な人は来ないかと、見張っているそうだ。 子どもたちは、それぞれ好きな遊具で楽しそうに遊んでいる姿が映っている。夜はぐっすり眠れることだろう。
 昔は、遊び道具も自分で作ることが多かった。天気のよい日など、授業そっちのけで先生が率先して外に連れ出した。 まだそこここに、自然が残っていた時代だ。
 これら"山がっこ(学校)"の復活こそ、小さいころから身体を使い、からだ全体の程よき発達を促す、いちばんの手立てだが、 学校よりも塾に行かせて、将来はエリートになどと、わが子に期待する親が多いのも事実。
 しかし、「親の心、子知らず」であり、「親を見りゃ、俺の将来知れたもの」でもある。 先のボランティア親たちだが、自分らの子どもの面倒を見るのも"ボランティア"とは、ちと寂しくないかい、将来の"親"予備軍たちよ!?

「07年 わがトピックス」(年賀状もどき?!)
 *(1月〜4月)梶山季之33回忌の行事などの準備を手伝うが、前年からの「梶山季之と月刊『噂』」の刊行(5・11)にかなりの時間を費やす。 普通の本づくりとちがい原稿依頼をやったり構成が複雑だったこと、途中で判型が変わったことも含め貴重な経験となる。 出版社(京都)との交信に、メール添付はかなり役立った。
 *(5月〜)広島でのシンポジウム出席(20日)と、夫人主催の"33回忌の会"もあり、その後、梶山に関する原稿をいくつか依頼され、 それなりに"追悼"の気持ちを記し、かつ"復活"に期待したものである。
   文化通信「作家とその時代研究の一助となれば 「梶山季之と月刊『噂』」」(06・04)
   週刊読書人「わが師 梶山季之の遺したもの」…特集「いま蘇る梶山季之」(09・07)
   季刊 青年劇場 No.142「11月東京公演『族譜』…「蘇る梶山季之…」(10・10)
 *(6月)"高齢者"の仲間入りをした実感は湧かないが、日々の言動に、それらしき徴候があると、周りから見られている…。 きびしい現実である。
 *(8月)「夕刊フジ」(土日版)で4回、"使える!! シキタリ講座「橋本健午さんに聞くビジネス現場での言葉遣い」"が掲載される(談話構成)。
 *(8月15日)CSで、ハイビジョンスペシャル「マンガが戦争を描くとき」という終戦記念日特別番組が放映される。 『戰線文庫』関係で取材協力をするとともに、ホンのちょっと"出演"もした。
 *(8月〜9月)驚くべきことに、ある大学教授の研究の余波というか、"亡父"に再会させられる。 北京の古本屋で買い付けたものに、戦前父と親交のあった中国文学者(日本人)への書簡が20点以上もあり、その解読を依頼されたのである。 毛筆のくずし字は、なかなか読めず、他に活字なったものも提供され、父を見直すとともに、いまだその作業に追われている。 また唯一の著書(大正11年・大連で発行)も出てきた。
 *(8月)ほぼ同時期に、高校の10年先輩から、その当時、所属していた新聞部に関する問い合わせがあり、 昔(約半世紀前)の写真を引っ張り出したり、同期生に協力を要請するなど、大童となる。
 *(10月〜12月)週一回、都内の"学校"で「出版と言論の自由」と題して全12回の講義を行う。 生徒はさまざまだが年々減少しているのは、いかがなものか。 また、同時間に別の講座を持つ名物先生が不祥事で姿を見せなかったのは少し寂しかった。
 *(11月)日外アソシエーツより、その「オンライン・データベース」〔Keireki Who〕に、ノンフィクション作家としてのデータを収録させてほしいとの申し出があった。 私自身さほど活躍している"自覚"はないものの応じたところ、本日あたり公開予定と聞いている。 「趣味・特技」の欄に「縁のあった方に『名入れ色紙』を贈ること」を追加してホッとしている。これしか、ないからである。
 *(12月)あるフリーライターの方から、"取材"依頼のメールが入る。20数年前、国会で問題となった"少女誌"関係だという。 懐かしいですねえ?!

 ◎思うに、今年ほど、インターネット(ホームページとメール)の恩恵というか威力を感じたことはない。 未知の方からの申し出や問い合わせなどを含め、"仕事"につながるものがいくつもあった。

(以上、07年12月18日までの執筆)


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