98年9月、吉田公彦会長(当時)と清田義昭理事の推薦で入会して以来10年余、次のような執筆・研究発表・報告を行う(学会関係のみ)。
1998・01…「青少年育成国民会議」「東京都青少年健全育成会議」日本出版学会編『布川角左衛門事典』
99・05〔執筆〕「布川先生と出版倫理活動について」(会報97号「会員便り」)
99・05〔研究発表〕「少年非行と出版倫理その他の変遷−かつて“子どもだった”ことを忘れた大人たち−」 (会報第98号)
2001・03〔報告〕「『出版倫理・攻防の半世紀』の連載を終えて―規制立法化問題と青少年非行、そしてメディアの責任―」法制・出版の自由部会(会報第103号)
03・05〔執筆〕「『戰線文庫』について」(『日本出版史料8』日本出版学会・出版教育研究所共編)
03・05〔研究発表〕「総括・戦後出版倫理の変遷について−“悪書・有害図書”と出版界」 (会報第110号)
04・05〔執筆〕「49有害図書の指定状況」「50出版物のワイセツ裁判」日本出版学会編『白書 出版産業−データとチャートで読む日本の出版−』
05・05〔研究発表〕「“出版年表”『発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷』の作成で留意したこと」(会報第116号)
06・02〔研究発表〕「『戰線文庫』復刻とその後」関西部会(会報第118号)
なお、学会賞審査委員は旧知の植田康夫前会長の要請により、01,02年の2期を務め、02年度には新人賞(奨励賞)の設置を提案し、採用される。
そのほか、03年10月、川井教授(当時、理事)の依頼により東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科における講義 「日本における青少年を取りまく種々相について−“悪書・有害図書”問題に関連して−」
謹啓 まもなく09年度総会・春季研究発表会を迎えるにあたり、みなさま何かとご多用のことと存じます。
そんなさなか私事で恐縮ですが、このたび退会を決意し、学会ならびに会員の皆様に感謝し、お礼と惜別の辞を述べさせていただきます。
私はこのごろ、芥川龍之介ではありませんが「将来に対する漠然とした不安」に襲われております。
昨年12月21日、川井良介新会長より直接、お電話をいただきました。
上記“著作など”に列挙した中の『白書 出版産業−データとチャートで読む日本の出版−』を改版するにあたり、
私の執筆した項目「49有害図書の指定状況」「50出版物のワイセツ裁判」について追補してもらいたいとの申し入れでした。
ありがたいお話でしたが、すでに私は“出版”や“倫理”から離れた仕事をしており、またその関係の資料もほとんど整理してしまい、
手元にないことなどを理由に、お断りしました。しかし、それでは無責任ですので、その分野に詳しい会員2人のお名前を挙げ、
お願いしていただきたい旨、申し上げました。
もっとも“断わる理由”には、もう一つ、次のような“伏線”があります。
06年9月、川井氏編著による『出版メディア入門』(日本評論社)が出版され、同氏から送っていただきました。
拙著『雑誌出版ガイドブック』(日本エディタースクール出版部2000・04)を参考文献として掲出した旨(ただし“ブック”が欠落)の、
お礼のようでしたが、他の方の執筆された箇所で使われたデータについて、私は ? と思ったものです。
つまり、上記「49有害図書の指定状況」p105で使用した「青少年の保護育成条例による有害指定件数の推移」(89年〜01年)で、
私は国会図書館で入手した総務庁(現・内閣府)の統計資料の数字データや注をそのまま出しております。
ただし、スペースの都合上、項目の区分「総数/映画/雑誌/広告物/ビデオ等」を「1〜5」とした旨の“注”を付けております。
04年5月発行の、この“49”(および“50”)の原稿は03年8月末に執筆しており、国会図書館で得た資料によるデータとしては最新のものでした。
さて、その2年後といいますか、前記『出版メディア入門』p178にあるデータは、 上記「青少年の保護育成条例による…推移」そのままで (ただし、データは91〜01年)、項目の並べ替えのほか、 年号など“注記”の微妙な表現の違いについて、すでに他人のものを引用した私が目くじらを立てるほどのものではありませんでした。 強いて言えば、最新のデータ(少なくとも03年まで)は、独自に手に入れていたものとは思いましたが…。
話を戻しましょう。4月12日、私は1本のメールをもらいました。上記、私が推選した“その分野に詳しい会員2人”のうち、Aさんからです。
いわく、川井会長から、原稿依頼があった。私(橋本)が断わったので、お鉢が回ってきた。断わるわけにも行かない。
私(橋本)の執筆した原稿に添付の「青少年の保護育成条例による…推移」(89年〜01年)のコピーが川井会長から送られてきたが、
このデータはどのように手に入れたのか、教えて欲しいということでした。
その後の調べについて申しますと、上記データ(89年〜01年)以降のものは“発表されていない”ことを、 4月15日早稲田大学中央図書館で、レファレンスの方とともに確認し、 その旨Aさんにご連絡しております(第3水曜日、国会図書館は休館) 。
私は、いま「過去に対する漠然とした不満」に囚われております。
調べて書く、確認する、あるいは断わりを入れる、などという基本的な作法もなく、というような世界に、
私はいつまでもいることはできないという結論に達した次第です。
皆様のご多幸と、学会ますますのご発展をお祈りする次第です。有難うございました。
−終−
参考までに… 青少年行政が、総務庁から内閣府に移管されたのは平成13(2001)年1月6日の省庁再編によるが、それまでとはどのような違いがあるのか。
私は『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった“青少年”―』(明石書店2002・11)で、次のように説明した。(2009・05・07橋本健午)
第5章−(3)古本屋、貸本屋も条例の規制対象に p275
ところで、中青協が、青少年問題審議会(青少審)と衣替えするのは四一年四月で、その翌五月に、この青少年育成国民会議が発足していた。
青少審と国民会議は官民による車の両輪であったが、平成一三年一月の省庁再編にともない、青少審は解散している
国の青少年対策関係では、庶務担当の経緯をみると、内閣官房から総理府青少年局に代わり、
四三年六月に青少年局を青少年対策本部(本部長は内閣総理大臣)と改編し、ついで五九年七月より青対本部は総務庁に移管され、
本部長は総務庁長官に格下げ? された。
このたびの省庁再編により、国民会議は内閣府の所管(健全育成政策)となるが、青対本部のもう一つの柱“非行対策”は警察庁に戻されている。
その関係で「少年の主張」など、いくつかの事業は文部科学省と共催となるなど同省との関わりも出てきた。
ともあれ、国の青少年行政は限りなくお座なりとなり、衰退するのであった(後述)。
第9章−4 のうち 省庁再編と青少年行政 p444-445
もう一度ふれると、一三年一月六日の省庁再編によって、青少年問題は内閣府の、政策統括官(七名)の一人が所管する総合企画調整担当付参事官(青少年健全育成担当)を中心に扱われることになる。
しかし、政令第二四五号の第三条(政策統括官の職務)の、ル項に「青少年の健全な育成に関する事項」とあり、
その事務内容は、レ項「青少年の健全な育成に関する関係行政機関の事務の連絡調整及びこれに伴い必要となる当該事務の実施の推進に関すること」とある<ル項はイロハ十二項目の十一番目、
レ項は同二十一項目の十七番目>。
これまでの“非行対策”は警察庁に戻され、内閣府では“健全育成”に専任するらしいが、優先順位から見ると、
“次代を担う青少年行政”は、ますますお座なりとの印象を受ける。
なお、東京都でも一三年四月一日に組織改革が行われ、これまでの所管は生活文化局女性青少年部健全育成課だったのが、
女性青少年部はコミュニティ文化部と統合され都民協働部と生まれ変わり、その下で健全育成課は青少年課として再出発したが、
同部での処遇もやはり低くなったのではないか。