私は2002年11月、明石書店より『有害図書」と青少年問題―大人のオモチャだった“青少年”―』を上梓した。 その「第七章“少年少女向けポルノ”コミック本騒動/(2)いつも後手に回る出版界の対応」(P366)で、次のように記している。
ここでふれた「コミック110番」に関し、私は当時の日記(91・11・12)に、次のように記している。
「東京都よりコミック110番の件でTelあり。やらせ的になってはと気が進まないが、事務局として座視するわけにもいかないだろう。
Q氏と相談、コミック部会のみなさんに連絡することに」
同日の別のメモには「(都) コミック110番の件、今日午前、組織的か? 規制強化の意見が…」とある。
ついでメモ14日には「キセイすべき53件(組織的な感じ)、その反対20件…87件(都議会関係の資料として、重みがある…)」、
さらにメモ15日には「おかげさまで、120本ぐらいTelあり」、「それらしいのを除いて集計をするか?」とも。
いま、どれが都の考えか、あるいは私の感想か、判然としないが。
少し、都知事と規制の流れをたどってみよう。
鈴木俊一時代は長く続き(4期:1979-1995)、ついで青島幸雄が1期(1995-1999)、そして現在の石原慎太郎は3期目の途中である。
鈴木はリベラルな人で、青少年問題に関して、たとえば淫行処罰規定の導入には慎重であった。
青島はそれに近いというか、あまり関心を示さなかったからか、出版界から見てそれほどの“脅威”は感じなかった。
しかし、石原はタカ派ぶりを発揮して、警察庁の幹部を副知事にするだけでなく、現場にも同庁から出向させるなど、
青少年問題での取り締まりが極めて厳しくなったのは周知の通りである。
私は、石原が最初に当選した(99年4月)、三日後(14日)の午後、他の用事の合間に雑協に寄り、
後輩の一人に「(“太陽族”“障子破り”でデビューした、つまり出版界と縁が深く、まだ興奮冷めやらない)新知事に“陳情”に行った?」と聞いてみると、
行っていないどころか、諸手を上げての歓迎振りで、これではダメだと思ったものである。
どれぐらい、知事の意向が反映されるかの一つの例が、先の都の職員の動きであろうか。
単に、取締りが厳しいとか緩やかというのではなく、青少年問題をどう大局的に見るか、ではなかろうか。
もう一つ、陳情書についても、私はその写しを手に入れることができたのは、上記の時期であるが、“ロビー活動”をしたわけではない。
いわば、あうんの呼吸であろうか。接待したわけでもなく、こそこそと隠れてお願いしたわけでもない。
具体的にいえば、図書類(ほとんど雑誌)が有害(都では“不健全図書”)かどうかを、審議会に諮る前に、新聞や映画、出版界などの自主規制団体の委員がチェックする会(諮問図書に関する打合せ会)があり、
私は雑協に在職した13年3ヵ月、ほとんど毎月出席していたが、一度も意見を言わない代わり、出版4団体の意見の調整を行うことなどはあった。
やみ雲に「これは不健全だ」「全部指定候補だ」という新聞業会等の直截な意見に対し、「A誌にくらべ、B誌の表現はおとなしい」とか、
「Cが候補になるぐらいなら、Dはもっとひどい」などと意見を交わすのである。
しかし、書店関係のかなり年配の委員の中には「これはひどい、全部ダメだ」などと本音を言う人もおり、あわてて、「そんなことを言っちゃダメですよ」と、
都の職員や他業界委員のいる前で制止したこともある。
一方で、都の職員は他府県の場合と違って、多くの書店やコンビニを回り、不健全と思われる候補誌が、複数の書店等で見つけられなければ、
それを出さない、という“自主規制”もしており、そのあたりの心情を汲んでおかないと、感情的にこじれることにもなる。
話は戻って、東京都の場合、職員が青少年に有害ではないかと思われる図書類(ほとんど雑誌)を購入し、さらにそれを10誌前後にしぼって、
審議会に諮る前に、この打合せ会に出す。そこで、前述のように、回覧されるが、すべてが都の職員どおりになるとは限らない。
意見の交換もするが、打合せ会の意見が尊重され、“指定やむなし”以外のものは、審議会に諮られる前にリストからはずされ“なかった”ことになる。
われも人間、彼も人間、感情の動物である。どちらが言い出したか、{ガス抜き}をしようということになった。
当然割り勘で、勝手放題の会となったが、それだけの意義はあったようだ。ついでに言えば、東京都には多くの土地と建物があることも知った。
ところで、82年10月に雑協に入ってから、さまざまな委員会などを受け持ち、その相手先との交渉時には、当初は上司や理事あるいは委員長についていくのが精一杯であった。
しかし、何年かすると、それぞれ相手方の立場、スタンスが見えてきた。その一つ、霞ヶ関役人の言動に接しているうちに気がついたのは、彼らも“事務局”の人である、ということだった。
たとえば、一口に公正取引委員会というが、そこで働く役人は「公正取引委員会事務局」の部長であり、課長などである。
孫ほど年齢がちがう課長らの前で、70歳前後の、それ相応の肩書きのある方たちが、平身低頭している場面を見ると、
ああ、勲章がちらついているのかなあ、などと思ったものである。あるいは、何かで叱られる場合だったかもしれないが……。
ともあれ、民は官には勝てないのは事実だが、対等に話し合うことはできるはずだ。
われわれ民に対して威張っていると受け止めるのは、日本人のDNAかもしれないが、役人がみな威張っているわけではないだろう。