”書くこと” わが若書き・習作『虚構としての時代』その2

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第四章

 文学部の学生には、優柔不断な人間が多い。深刻ぶって滅多に笑わないし、単純な感情表現を軽蔑する傾向にある。 極端なのは、低俗なことで自己満足する連中とは、話もできないという処まで行ってしまう。
 現実享楽者は、物事を自分の都合のよいようにしか考えないし、嫌なことには眼をつぶってしまう。 処が、文科の学生には、それのうまくできない連中が集まっている。処世的ではないのだ。
 この現実の満たされないものを、何か創造的な仕事に打ち込むことによって打破しようと考えている連中もいることはいる。 しかし彼らでも、簡単にそんな仕事が見出せると考えるほど甘くはないが、自分自身を見極めることは、なおさら困難であることを知っていた。 だからこそ、彼らは、火つきの悪い炭のように、いつもくすぶってばかりいるのだ。賢二も、そのひとりだった。

 政治や社会が、若者に何の影響も与えずに済むということはない。だが、誰でもが政治に参加するということはなく、かえって政治不信から、反動的に、非政治的人間を生み出す。 今や、政治も経済も社会も、余りにも巨大な機構と化し、個人は、全くピンセットでも拾えないぐらいの、微視的な存在になっている。
 民主主義は、国民のものであるとはいうものの、この国のそれは、眼の粗いザルですくって、こぼれ落ちた大多数の国民を、放ったらかしにしておくことである。 救い難い状況である。その中に投げ込まれた、ちっぽけな人間に、果たしてどれだけの力があるというのか。無力である。
 個人は、何事もなし得ない。その無力の人間たちが寄り集まった、政党、団体、結社が出現しても、わいわい喚いているだけの、烏合の衆でしかない。
 安保騒動のように、人間の肉体だけの集団と化すデモ行為において、一時は、に足踏みをさせはしても、決して何の解決も見てはいない。 反動的な政府、支配階級は、この動(アクション)に対する、よりよい口実を設けて、さらに反動(リアクション)化する。
 その反動化を阻止するには、もっと強力な実力行使―どれだけ犠牲者が出ても、どれだけ市民が迷惑を受けても―続けなければならないと、 彼らの論理が展開されゝば、これほど危険なことはない。
 進歩的文化人といわれる、思慮の足りないインテリたちの不用意なアジテーション、先鋭化した、狂気に満ちた暴走を繰り返す、英雄気取りの全学連、そして主体性を失った労働者大衆……。
 自分たちの無意味な行動に酔い痴れて、涯しなく続く、泥沼のような闘い、その中で、果たして何が生まれるというのだろうか。 冷静に判断し、行動すべき時に、武器を持たない、常軌を逸した連中に、勝利は得られるというのだろうか。
 敗戦から、朝鮮動乱の特需景気で、いち早く立ち直り、驚異的な発展を遂げたといわれる経済、末端までその恩恵に浴している国民生活、 その中で、いたずらに暴走する、よりどころのないインテリたち。彼らの行為を受け入れるほど、この国はもはや未開発でも、貧乏でもない。
 保守的な農民を始め、繁栄のもたらす享楽生活に、身を委ねる大多数の国民に対し、都市で孤立化し、あせりを見せるインテリ。 彼らの頭の中には、いつわりの正義心と歪められた英雄主義(ヒロイズム)、自己満足しかない。彼らに何ができるというのであろうか。
 国は、ますます反動化しているが、それは国民の生活とは、別の次元の問題であって、大多数の国民は、そんなことにはお構いなしに、 与えられた刺激の強い、現実の刹那的な生活に飼い馴らされているのだ。
 そういう現状において、何のために、誰のためを思って、行動を起こすのか。もはや、行動自身にも、目的もなく、恩恵もないのだ。
 若者の顔に生気がないのは、何も栄養が悪いためではない。彼らの眼には、現代の世の中が、何らバラ色に映じないからである。 余りにも豊に、余りにも容易に与えられ、余りにも自由であるために、感激するということを忘れてしまったからである。 政治は、手の届かない処にあるし、政治に関わっていなくても、生きてゆく上に不自由はしない。
 巨大な機構の中の、無力な個人は、どのように、人間的であるのか。 個人の生活を、何ら保証しない現状で、バラバラに孤立した個人は、自然、自分のことは自分で面倒を見るようになった。 “他人は他人”“自分は自分”である。たゞ、他人の面倒を見たがる世話好きの人間(インサイダー)の好意を無にしてはならない。 しかし、それを、いつも期待するわけには行かないから、厄介である。
 文明のもたらすものが、個人の孤立化、その抑圧のもたらすものが、個人生活への侵害、覗き見趣味、猜疑心等々だとしたら、 人間は、その発明の才によって、自殺の機械を造り出すようなものである。

 賢二は、内社会(インサイダー)的な合理的な考え方もできない上に、要領も悪く、他人の下に立つことが最も苦手だった。 鋭敏な神経と、感覚が人並み以上に繊細な彼は、できるだけ避けてはいるものゝ、他人との摩擦がひどかった。 現代は、切れ味の鋭い人間には生き難く、平凡な人間には住み易いようにできている。性格が円満で、すべてに中庸の人が、この世に向いているのである。
 気がついた時、賢二は、すでに平凡でないことを知り、またいくら努力しても、平凡になれそうもないと悟った時、不本意ながら、自分の思い通りにするより道がないと自覚したのだ。 彼は、この世に悲劇的に生まれ出、かつ存在しているのだった。
 彼は、夢の希望も持てないという、ごくありふれた若者の一人である。あるいは、何をやってもいいのだが、何をやりたいのか、自分でも判らないといった処かも知れない。 この世に存在していなくても、別段誰が迷惑するわけでもなかったし、存在していても、どこからも苦情は出なかった。
 他人に関係なしに、彼は食み出して生きていた。人間と人間の間隙に、社会の間隙に、政治の間隙に、戦争の間隙に、そして現実と非現実の間隙に、彼は生まれた。 蟻のように、誰にも気づかれずに、壁の隙間から出たり入ったりすることができ、そして大きくなった。身体だけでなく、頭の中もそうだった。
 彼は時々、自分は下等動物かも知れないと思う。人間的な快楽や幸福というものが、どうもピンと来ないのだ。 だが、彼は、人間社会の様々な出来事をつぶさに観察することができ、かつ、人間にとって、人間社会にとって、常に超越者(アウトサイダー)でいることができた。
 賢二が、自らを悲劇的に見るのは、少し病的である。しかし、現代において、人間は誰しも、少なからず病的で、異常なのだが、たゞそれに気づかないだけである。 人々にとって、彼は全くの他人で、関心を持つべき理由がないとでも言いたげに、彼を無視していた。賢二の方でも、他人の歓心を買おうなどとは、もはや望んでもいなかった。 いや望みたくても、望めないのだ。自分をいくら理解させようと必死になっても、いつも徒労に終ってしまう。 他人は明らかに他人で、自分とは異質のものだった。
 たとえ、他人が同情を示しても、それは単なる同情に過ぎず、自分のエゴを満足させるだけの、浮浪者に金を投げてやる紳士気取り(スノビズム)と同様であった。

 他人には、話しても意味なく、理解を望むのも無理である。それでなくても、人々は自分のことだけで忙しいのだ。 他人のことに構っていたら、自分の頭の上の蝿を払えなくなる。そんな危険を冒してまで、他人に注意や関心を向けるのは、古きよき時代の人間か、 よっぽどの閑人に違いない、と彼は、そんなことばかり考えている。
 そんな男が、結婚などという、まやかしの、だまし合いの行為を、真剣に考える道理がない。 それでも、絶望もせずに生きているのは、この世の未知の部分に、執着しているからである。彼は、甘やかされて育った。 したいことは何でもでき、欲しい物は何でも与えられたという類のものではなく、勉強以外のことには、何の注意も払われなかったという意味で……。
 彼は、殴り合いのケンカをしたことも、教師や親に叱られて、ぶたれたという経験もなかった。 それがどれだけ、彼を意気地なしにしたか、自分では知る由もなかった。全く自由に、そして何もしなかった。 彼は、何も気がつかなかった。自分は一人前の子供だと思っていた。オヤツを食べないのは、欲しくないからだと思っていた。 友達と“身分”上の比較をしたこともなく、階級的劣等感(コンプレックス)もなかった。
 すべては平穏無事で、彼には何の心配もなかった。何かしなくていいのだろうかという自責の念はあったが、自分にはすることがないから、 何もしなくてもよいのだと、こじつけて考えた。中学校から帰ると、むやみに暇があった。その暇も、余り立派には利用されなかった。 しかし、悪いことを覚えたわけでもない。西洋画家の、画集に見える裸婦の絵だけでは、彼の性的好奇心を、助長するものではなかった。
 一応、やりたいことは何かと模索し続けたが、何に才能があるのやら、なにに興味があるのやら、小さな頭では、見当がつかなかった。 本は読んだが、他人に相談するという考えはなかった。辺りには、誰もいなかった。辛うじて、「小人(しょうじん)閑居して不善をなす」とは、 小人は、独りでいるだけで、もういけないのだと悟ったことだった。 彼は、自分にしか興味が持てない、ひとりの孤独を愛する少年として、狭い暗い部屋の片隅で、その何年かを過ごして来た。
 彼にとって、少年時代を思い出すのは、余り楽しいことではない。 アルバムの中の、何枚かの写真が示すように、青白い顔をして、小さくなって、何をするにも引っ込み思案だった時代の面影が、すぐに浮かんでくるからだった。
 神もなく、宗教もなく、無秩序の中に、
 頼れるのは、ただ一つ……、
 自分だけが、頼りとは?
 彼にとっては自分こそ、この世の唯一の未知のものであった。



第五章

 九月に入った。大学は、まだ正規の授業をやっていなかったが、賢二は休暇中、中断していたS夫人の個人教授を再開していた。
 その日、彼は、いつもより遅く起きて、余り調子がよくなかった。こういう日は、たいてい頭が痛い。 いつも代わり映えしないS夫人の顔を想像すると、もう駄目である。彼は思い切って断わることにした。
 のそのそと布団からはい出して、皺くちゃのパジャマを手で伸ばしながら、洗面所へ行き、鏡の中の不機嫌な顔に、唾を引っかけたら、 余計醜くなってしまった。これじゃ、一日中面白くないぞと、彼は用だけ足して、食事もせずに、また布団にもぐり込んだ。 うとうとしていると、S夫人から電話がかかってきた。急に都合が悪くなったから、今日は休みにしてくれという。 小言を覚悟していた彼は、ホッとした。電話するのを忘れていたのだ。再び、布団にもぐったが、もう眠れなかった。
 夕方近く、一人でモダン・ジャズを聴きに行った。友だちを誘おうかと考えたが、そういう一日のらくら過ごした日は、他人の顔も見たくなかったし、 口を利くのも億劫だった。友たちは止して、その代わり、帰りにバーへ寄ろうと考えていた。
 喫茶店『R』の近くの『J』に入る。彼はこの頃、キャノンボール・アダレイに惹かれるものがあって、「ワーク・ソング」や「プリミティブ」、 「ジャイブ・サンバ」などを、よく聴いた。
 狭い地下に、若い男女が膝つき合わせて、あるものは眼をつぶって聴き、あるものは手拍子をとり、足や身体全体でリズムをとりながら、陶然としている。 タバコの煙と、人(ひといきれ)の立ちこめる薄暗い店内は、不健康だったが、がなり立てる音楽と調和して、その日の彼の心を、やっと元に戻してくれた。
 二時間ばかりで、外へ出た。バーへは行かなかった。狂ったような夏の空は、都会の空気を余計汚くしていた。雨が欲しかった。

 賢二の住んでいる処は、荻窪の先である。新宿からの中央線の眺めは、高架のせいか、低い家並みがどこまでも続いて、ちまちました人間の生活が、 手にとるようである。夜ともなれば、徒にネオンがけばけばしく、どさ回りのサーカスのように、その醜さを競っている。 この国の、美意識と、美的感覚は、この喧騒の都会に、枕を高くして安眠できる程に、鈍磨されているらしい。 翌日目覚めて、昨日と同じ混濁の世界が待ち構えていても、彼らの眼には、新しいものと写るのであろうか。
 駅を出て、北へ少し行くと、大通りから分かれた田舎道がある。賢二の叔父がやっている写真スタジオは、そのはずれ近くにあった。 明るい大通りを避けて、人気のない寂しい田舎道を行くのは、賢二の習慣である。 電車に乗った時など、人間には、自然に明るい方を向く習性があるというが、彼の場合は、反対だった。
 賢二が、高校時代に付き合っていた三つ年上の絵描きの女は、日中でもカーテンを閉め切って、部屋を暗くしてから、明かりをつけて、 その中でじっとしているのが好きだといっていた。そんな中で絵を描くのかと聞くと、それはちょっと無理だということだった。
 その女の影響で、彼が暗い処を好むようになったのかどうか、もう彼自身にもはっきりしないが、今夜も大通りを避けている。 道を半分ぐらいまで来た時、たった一本ついている街灯の下で、賢二は思いがけず、暗い中から杉代が現われるのに出会い、突然のことで、吃驚してしまった。
 ずっと前は、今後来たら口を利こう、何を話そうかなどと考えていたのだが、彼女のことはすっかり忘れていたのだった。 「あら、今晩は。珍しい処でお会いするわね。貴方、川添さんでしょう? Sさんの家庭教師をしてらっしゃる……」「えゝ、そうです」 「こちらに、おうちがあるの」「えゝ、U写真館、叔父の家です」「えっ? あの写真屋さんなの!」
 今度は、杉代が吃驚する番だった。賢二は、そこでやっと、一息つくことができた。
 「今、貴方のおうちから、写真頂いて来た処よ。とっても好く撮(と)れてるわ」「貴女は、いつも魅力的に撮れてますね、叔父もそう言ってましたよ」 「あら、実物の方は、どうなの」と、今度は杉代が、賢二の言葉に満足しながら、もっとほめて欲しげな口調をした。
 それを察した賢二は、すかさず、「実物の方は、もっとすばらしいですよ、特に、こんな夜見ると……」 「随分な皮肉屋さんね。でも嬉しいわ」「お返しですよ。この前、Sさんの処で、さんざんやられましたからね」 「執念深いお人。そんなに私言いまして?」 杉代も忘れていないような口ぶりである。それは、賢二を元気づけた。 おれの観察は狂っていなかったのだ、と。
 「まだSさんの処へ、行ってらっしゃるの」「えゝ、今月から、また始めたんです。あの人は熱心ですね」 「女って、だいたいそうなんじゃないかしら。特にSさんは、女学校時代から秀才といわれて、勉強ばかりしていたわ。 お家が近所だったので、私のお姉さん代わりで、よく教(おそ)わったわ。偉いと思うわ、まだ向学心が失われていないなんて」
 袖なしの、涼しい格好をしている杉代の口から出たその言葉は、S夫人の熱心さを思い浮かべる賢二の耳には、讃美というより、 いくらか軽蔑している口調ともとれるのだった。
 「こんな暗い道歩いていて、恐くありませんか」「そうね、ひとりだと何とも思わないけど、男の人といると、やっぱり恐いわね」 と、杉代は、悪戯っぽく賢二の顔を見た。それは、賢二に、彼女も相当な皮肉屋らしいという印象と、ある種の親しみを与えるのに充分だった。 二人は、並んで駅の方へ歩き出した。
 「おうちは、どちらなんですか」「私? 私のうちは藤沢よ」「随分遠い処ですね。こちらへはよく来るんですか」 「いゝえ、月に一、二回かしら」「藤沢のどの辺りですか」「鵠沼なの、嫌な処だわ」 「どうしてゞすか。あの辺は、昔からのお屋敷ばかりで、静かないゝ処じゃないのですか」
 「でも、寂しすぎますわ。広い屋敷の中は、がらんとしていて、いくつもあるお部屋、浜風に吹かれて変に伸びた、お庭の二本の松を見ていると、 夜なんか黒々としていて、気味が悪いの。とても女の住む処じゃないわ」「貴女が、ひとりで住んでいるのですか」 「母と、お手伝いさんが一人。男性といったら、年寄りのセパードが一匹いるだけ。年を取ったものは、何でも嫌ですわ。動物でも、人間でも、惨めだわ」
 賢二は、それには何とも答えられなかった。商店街の賑やかさは、二人を否応なく、現実の世界に呼び戻した。 「あら、私、つまらないことばかりお喋りして……」 「そうでもありませんよ、僕は……あの、今度いつか昼間、ゆっくりお会いできませんか。 僕からこんなことを言うのも変ですが、いつも不意をつかれてばかりいるので……」
 杉代は、一瞬考えるような表情を見せたが、すぐに、「えゝ、いゝわ。貴方がSさんの先生で、写真館の人だと思うと、何だか他人のような気がしませんわね。 今度は、三度目の正直ってわけね」「えゝ……」「いつでも結構ですけど、私は、この次の土曜、一日空いているのよ」「じゃあ、その日で結構です」
 「銀座、それとも新宿? 貴方の学校からだと新宿の方が近いわね。銀座は、以前と違って、今はもう、子供の遊び場ね、なんとか族とかいう……」 「僕も、ああいうのには、ついて行けないですね」「お昼ごろね? どんな処に、いつもいらっしゃるの」 「喫茶店なら『J』、実はさっきも行って来たところです」「どんなお店?」「モダン・ジャズをやっているんです。お嫌いですか」 「いゝえ、行きますわ」
 賢二は簡単な地図を書いて渡した。「では、お昼といっても、二時ごろだわ。よくって?」 「僕は、いつでも暇がありますから。それから、一つだけ訂正しておきますが。今度お会いするのは、三度目じゃなくて、四度目なんです」 「あら、いつお会いしました?」「それは、今度の時のお楽しみ、ですね」「貴方って、本当に意地悪屋さんね」
 と杉代は、まいったといわんばかりに、賢二を睨めつけると、くるりと背を向けて、改札口を出て行った。 賢二が、新宿まででも送ればよかったと気がついたのは、それからしばらく経ってからだった。

 がら空きの電車に乗った杉代は、三度目ではなくて、四度目になると、賢二の言葉が、気になっていた。 私がこちらに来ることは…、この間写真を撮ってもらった時にはいなかった……。 その前、私が無理にお酒を飲まされて、あの店へ行った時だろうか。いや、そんなことはない。あの時は、ご主人がいただけだ。 いくらなんでも、彼と年のいったご主人との違いぐらいは見分けられるわ。第一、顔が似てないもの。だったら、いつのことだろう……。
 しかし、杉代はいつの間にか、邪気のなさそうな顔をしながら、次々と皮肉を口にする賢二のことを、憎らしいというより、かわいいと思い始めていた。 Sさんは、この人は何を考えているのか、さっぱり判らないと言っていたけど、私には判りそうだわ。 あの人には、深刻さを拭い去れないだけの理由があるのよ、きっと。それを、そ知らぬ顔をして隠しているとしたら、案外あの人も大人だわ。
 杉代は、眼をつぶって、賢二の顔を思い浮かべた。神経質らしい、頭はよさそうだ。何よりも、前途有望な若さが魅力だわ。 彼女は、そんなことを考えていると、我知らず、賢二への羨望を禁じえなかった。 そして、賢二に教えてもらっているS夫人への軽い嫉妬の情も湧いて来るのだった。 今まで、勉強以外では、いつも優越感を持っていた私なのに……変だわ。
 賢二が、自宅に着いたのは、八時半ごろだった。杉代と約束ができて、気分は爽快だった。 叔父は、いつもと同じ調子で、賢二に対していた。杉代の来たことは話題にもならなかった。 自分が考える程、叔父と彼女とは、別にどうという関係もないのだろうか。 しかし、今、杉代と親しくなったことを仄めかしては、ヤブ蛇になる恐れがあると思い、賢二は黙って受付に坐った。
 技師の一人が休んでいるので、その日は叔母も手伝っていた。

 賢二は、幼い頃から、叔父夫婦と暮らしていた。始めは、本当の両親(おや)と思っていたが、中学生になって間もなく、そうでないことを知った。 彼らは黙っていたことを詫びて、どうか不良にだけはなってくれるなと懇願した。彼は、変な気持だった。 どうして叔父夫婦と生活しているのかも知らず、両親がどうなっているのかも判らなかった。 多分死んだのだろうとだけ、察しはついていたが、彼らは言葉を濁していた。 叔父夫婦は、幼い賢二を連れて、この写真屋を始めた。苦労の連続だったが、何とか信用をつけ、今は順調な日々といえた。 彼らの願いを聞いたのか、賢二はぐれはしなかった。むしろ、大人しい、内向的な人間に育っていった。 余り喋らない少年になっていて、夫婦はそれに安心していた。
 叔母は、お人好しだったが、世間知らずで、口煩い女だった。特に教育のこととなると、目の色を変えて干渉した。 自分の子供でないだけに、賢二を育てる責任を、必要以上に感じて、かえって出過ぎたことをしがちだった。 彼女にとっては、偏愛も溺愛も、無理解と同義語である。賢二は、近所の仲間と一緒に遊びたくても、それは許されなかった。
 叔母は、勉強さえしておれば、立派な人間になるものと、堅く信じていた。 学校から帰っても、じっと机に向って、本でも読んでおれば、人格が形成されると思っている。 自分の子供を持ったことのない、子供を知らない、浅墓な女の知恵であった。遊びたい盛りの賢二は、抵抗を感じたが、それに従うより他なかった。 しかし、すべてに従順だったわけではない。
 そういう時、少年に発明の才があれば、きっと相手を出し抜いて、済ました顔で、アメ玉をしゃぶるだろう。 尤も、それで人格が、素直で円満に育てば、余程の奇跡に違いない。
 禁を犯すとき、賢二の覚悟は、並大抵ではなかった。しかし、少年にとって、スリルは生甲斐なのだ。 大人から見れば、取るに足らない悪事の数々、ただただ英雄にならなければ、自らを慰めることができなかった。 思い出すだけでも、いやなことだった。
 人は賢二のことを優等生だと、よく言ったが、そう言われる彼は、悔しくてならなかった。 本当の気持を判ってくれるものは一人もいなく、彼は他人に対して、いつも仮面を被っていたのだった。
 そのためか、すべては、何事もないかのように、平和に過ぎていった。 大学に行くようになると、さすがの叔母も、やかましく言わなくなった。 いや、賢二が相手に何も言わさなくなったという方が、適切かもしれない。



第六章

 夏休みの二カ月を、賢二は、半分は東京で、半分は同級の菅野の田舎である、若狭で過ごした。
 東京は、相変らず暑かった。尤も、昼頃まで寝ている彼は、幸いにも、朝の暑いのを知らず、起きて見たら、まるで蒸し風呂に入っていた、という具合である。
 朝食とも昼食ともつかない食事をして、家にいるのが嫌さに、暑いからと、映画を観にいくか、喫茶店へいって、何時間も粘るのが常だった。 店の手伝いも少しはしたが、夏場は余り忙しくはなかった。
 純子には、まだはっきりした答えをしていなかったが、九州や奄美大島方面を旅行中で、すぐ返事をする必要がないだけ楽だった。 勿論、その間に結論を出しておく程、彼は律儀な男ではない。
 純子は、行く先々から綺麗な絵葉書を送って来た。それらを見ていると、あれだけ嫌だと思ったり、言ったりしたものゝ、また顔を見たくなる賢二であった。 本当に俺が好きなら、どうして、一緒に旅行しないかと声をかけてくれなかったのだろう、などと恨みがましくも思うのだった。
 S夫人のアルバイトは、人並みに夏休みの宿題を出してズルを決め込んだ。尤も、その間無報酬だから、彼にも責任はない。
 一方、大学は宿題も出さないから、学生は遊んでばかりいて、頭が悪くなる。油壺へ行った菊池たちからも便りがあった。 大賑わいで笑いが止まらないくらいだが、仲間の一人が愚連隊に因縁をつけられたときには困ったと書いてある。みんな真っ黒になったそうだ。
 それに比べて、唯ひとり海へも山へも行かない賢二だけが、青白くモヤシのような顔をしている。 元々色の白い上に、なかなか焼ける性質(たち)ではない。尤も、黒く焼いた処で、身体が貧弱だから、ちっとも見栄えがしないのである。
 何の変哲もない自分が、陽の当たるところに、自らの場所を持てる道理がない、そう信じている賢二は、何事にも消極的であった。 間隙とは、忘れられた地帯のことでもある。

 賢二は、七月下旬、よかったら来ないかと言われていたので、何の前触れもせず、ぶらりと若狭の菅野の家へ行った。 せいぜい三日、長くて一週間ぐらい遊んで、その後能登へでも行く積りであったが、とうとう一ヶ月近く滞在してしまった。
 菅野は、いつもにこにこしている、大人しい男である。余り目立った存在ではないが、それでも満足げであった。 クラスで勉強するものは僅かしかいないが、彼は数少ないその一人だった。好きでやっているというのではなく、女の子のように、 授業に遅れないために、ノオトをとるという男で、勤勉ではあったが、それは軽蔑されるか、冷笑されるのが落ちだった。 しかし、普段彼を馬鹿にしている連中も、試験間際になると、お世辞を言って近づき、完璧に近いそのノオトを借りて、寄ってたかって写すのだった。 そして、試験が終わってしまうと、連中はまた彼の存在を無視するのだった。
 それでも菅野は、何事も意に介さないように、相変らず黙ってにこにこしていた。そんな菅野に、賢二はノオトを貸してやると声をかけられた。 俺は勝手なことを書くだけだから、要らないといったが、まあ貸してやるよと、置いて行った。 ずぼらな賢二は、殆どその恩恵に浴さず、“良”を頂戴して、菅野には、大いに役立ったと答えたのだった。
 それ以来、彼は菅野に親しみを覚えた。何となくお人好しで、憎めない処がある。 他の破廉恥な連中のように、大きな声で議論するでもなく、大人しくを弁えている処に、好感が持てた。 空言を弄して、自己主張に忙しい人間の多い中で、遥かに大人であった。
 賢二は、不満だらけの自分に比べたら、菅野の自足し切ったという顔が馬鹿げて見えたが、とても真似のできないことだと思った。 しかし、何を考えているのか、彼は知る由もなかった。
 賢二が東京を脱出しようと考えた時、いつ来てもいいよ、特に夏は涼しくていゝ処だと、帰省する前に菅野が言っていたことを思い出したのは、 彼に一つの転機をもたらすことになった。
 菅野の家は、若狭湾に望むO市から、バスで三十分、滋賀県側に入った山の中にある古いお寺である。
 漁港のあるO市街は、活気があって、しかも暑い処だが、菅野の寺のある辺りまで来ると、大分気温も低く、涼しく汗一つかゝないくらい凌ぎやすくなる。
 往還から少し引っ込んだ処に、両側を田んぼに囲まれて、仁王門が立っており、それをくゞると、一直線に、参道がゆるい上り坂になって見える。 二百メートル程歩くと、右手に菅野の家があり、さらにそこから七、八十メートル上った処に、廻りを大樹に囲まれた広場を持つ本堂が、大きく空を圧していた。
 参道の、開けた左側は、遠くに大川の流れ、その向うに低い山が幾重にも重なっている。 道の両側は、一段と高く、苔むした石垣が積まれ、相変らず田んぼが連なっている。
 本堂は、昼なお暗い鬱蒼とした大樹群の中に、静かにたゝずんでいる。その正面には更に一本、急な参道があった。 訪れる人も少なく、日中の蝉しぐれが、ようやく夏らしさを表わしている。
 由緒ある寺だが、貧しく、国の援助もなく、檀家寺でもないので、仕方なく国宝級の小さな仏像などを手放さゞるを得ないと、 菅野の父である住職は言っていた。
 寺の裏の山では、ウサギ狩りも盛んにやったが、今では植林をしたり、雪も余り降らなくなったので、冬の楽しみがなくなったと、菅野はこぼしていた。
 東京育ちの賢二だが、そんな静かな処に何日いても、少しも退屈しなかった。 涼しいだけでなく、都会の喧騒、雑踏を、しばし忘れるだけでも、充分来た甲斐があった。 浮ついた、刺激的な都会よりも、田舎の自然の方が、彼の気性には合っているらしかった。
 学校では目立たず、小さくなっていた菅野も、ここで見ると、さすがに元気はつらつとして、水を得たように飛び回っている。 彼の兄が、寺を継ぐべく修行しているので、自由でいられるということだった。

 ある晩、縁側に腰掛けて虫の音に耳を傾けていると、菅野が突然、「このごろ、純子さんはどうしてる?」と聞いた。 「今、南のほうに旅行してるよ。どうして?」「いや、ちょっと気になったのでね。うまく行ってるのか」「う…うん、まあね。よく知ってるね」
 不意をつかれた賢二は、相手の真意が判りかねた。
 「そりゃ、君たちのことは、クラスじゃ公然じゃないか。誰も手を出せないよ、彼女には……」「そうかな」 「そうかなって、君はとぼけたこと言うね。しかし、俺には判るよ」「何が?」「俺は今まで黙ってたけど、正直言って、君と純子さんはうまく行かないな。現に……」 「現に、うまくいってないよ」「そして君自身、うまくいってないことを承知で、つまり、うまく行くようにしたいとも思っていないのだろう?」
 賢二は、その指摘が余りにも的を射ているので、思わず菅野の顔を見た。 まさか彼まで純子とのことについて関心を持っているとは、思ってもいなかったからだ。
 俺は、この男をどれだけ甘く見ていたのだろう。実際、人は見かけに寄らないものだと、改めて思うのだった。 「君に合う女性は、そうザラにはいないと思うね。彼女が悪いというんじゃなくて、君とは別の次元の人のような気がするんだ」 「君もそう思うか。一年以上付き合っていて、今更こんなことを言うのも変だが、いささか彼女をもてあましているんだよ。 宮田は勿体ないと言うが、俺は女性をそんな風には見ていない。彼女も、そろそろ結婚のことを考えているというしね……」 「早く手を切った方がいゝのじゃないか」「それが、そう簡単には行かないんだよ」
 賢二は、やれやれ、また堂々めぐりが始まったのかと、自分自身にうんざりするのだった。
 「貴女には、不充分な男ですから、諦めて下さいとか何とか言えばいゝじゃないか」「とんでもない。そんなことを言えば、余計追っかけて来そうだよ」 「じゃ、はっきり断わればいゝ、お前なんか嫌いだ、と」
 菅野は、他人事と思ってか、ずばずばと言ってのける。 「それができれば苦労はないさ。他にも好きな女がいればいゝけど。何も理由がないのに断わるのはおかしいと、相手は考えるさ」「……………」
 「いくらなんでも、男は負け犬のようにシッポを巻いて逃げることはできないからね。それに、俺は負け犬じゃない」 「そんなことを言って、一人で頑張ってたって仕方がないぞ。負け犬と思わなくたって、結果的にはそうなるかも知れないし。 尤も、振られたごとく振るというのが、ドン・ジュアンの資格だというからな」「だから、弱っているのさ。何とかして、諦めさせる方法はないかね」
 「まあ、それは自分で解決するさ。とにかく、アジ演説がうまいからといって、それだけで男にほれるというぐらいだから、女ってわけが判らないね。 その男の中味がどうかという、肝心なことを忘れて、それでいいのかって心配になってくるよ。俺には理解できない。……君は、生憎と、もてる方だからね。 だが、自分が密かに好きな女(ひと)には、相手にされないっていうのと違うかな」
 「君も、なかなか皮肉屋(シニック)だ。俺は今やっと、君がどうして俺を招(よ)んでくれたか、その意味が判ったよ。どうも有り難う」 「何も礼を言うことはないさ。これがもし、女性ならば、もっといいのにという処だろう」「当らずと言えども、遠からずだな……」
 いつの間にか、話はそれてしまった。賢二は、やっと気の置けない相手を見つけたことで、本領を発揮することができるのだった。
 「処で、君は将来どうするんだ。こっちへ帰ってくるのか」 「勿論さ。あんなごみごみした東京なんかに居たくないよ。全く汚くて、騒々しい処だ。はじめは、田舎を飛び出す積りで出て行ったけど、 こうやって帰ってくると、やっぱり田舎はいゝよ」「就職もこちらでするわけか」「そうさ、一刻も早く帰ってくるんだ」 「まるで、新妻が待っているようだね」「そんなこともないけど、何ていうか、こういうお寺に育つと、変わったことをやってみようと思っても駄目なんだ。 いつの間にか、人生は、行く雲、流れる水の如きものだということが染み込んでいるんだな」「……………」
 「人間どこにいたって、その水にさえあえば、充分暮らして行けるものだということが、実感として判ったんだ。 田舎に埋もれてもいゝ、唯人間らしく生きていられゝば、それで満足だと思うようになったんだ。門前の小僧習わぬ経を読むだね、あっはっは」
 賢二は、菅野が大きな口をあけて、快活に笑うのを、その時初めて見た。こういう男にかゝっては、俺なんか足元にも及ばない気がする。 宮田は、俺を老成しているといったが、この男の方が、余っ程老成しているではないか。 他の連中に比べて、かなり大人だとは思ったが、これほど悟り切っているとは、考えても見なかった。彼は、自分が恥ずかしくなるのだった。

 本堂の正面、階段の下左手前にある大きな銀杏の木には、青々とした葉が無数についており、黄葉したら、さぞかし綺麗だろうと思わせる。
 二人は、朝早く起きると、本堂前の広場を掃除して、いくつもある本堂の扉を開けるのを日課としていた。 午前中には本を読んだり、議論をしたりしてすごし、午後には近所の子供たちを集めて、勉強を教えてやった。
 そうこうするうちに。一週間ぐらいの積りが、一カ月の滞在となり、おかげで賢二は菅野の気の置けない家族と楽しく過ごすことができた。 賢二は、生まれて初めて、家族の味というものを味わったような気がした。それは、嬉しくもあったし、悲しくもあった。 そういうのを見ても、将来自分も平和な家庭を築くだろうなどゝは、想像もできなかった。 他人には可能でも、自分には縁がないのではないかと思っていた。
 菅野には、高校生の妹がいる。摩利子といった。よく海にいったとかで、真っ黒に日焼けして、賢二に顔を見せるのが恥ずかしいと言って、 仲々姿を見せなかった。日本舞踊をやっていて、しかもかなり上手だということだった。 賢二が冗談に、踊ってくれと言うと、恥ずかしいから嫌だと言う。何度も頼むと、今後来た時とか、貴方がお爺さんになったら踊ってあげると言う。 その時まで楽しみに待っていようと答えるしかなかった。
 しかし、そんな彼女も、彼に一度本堂の中を案内してくれたことがある。滅多なことでは、一般の人には見せないのだという。 これは何の屏風、これは若狭湾、この仏像は、鎌倉時代の誰それの作と、彼女はいちいち丁寧な説明をしていたが、 賢二の方は、半分も聞いておらず、熱心に語っている摩利子の横顔ばかりを見ていた。 彼女は、花開く乙女の、清純な、最も美しい時代を、無意識に生きていた。
 賢二は、お寺の、暗く何となく謎めいていて、抹香くさい処が好きであった。 田舎の山の中に、人知れず、ひっそりとしたこういうお寺を、汚れなき少女に案内してもらうなんて、願ってもないことだと思う。 巫女は普段着のまゝだが、神信心に縁のない彼にとっては、むしろ、その方が気が楽であった。
 一人っ子で育てられた賢二は、摩利子を自分の妹のように思った。 いつか、自分にも妹がいたら、どんなに愛し、可愛がるだろうと考えていた彼も、菅野の妹を知ることによって、ある程度その目的を達することができた。
 摩利子は、君に仄かな恋心を抱いていたらしい、困ったもんだと、新学期になって、菅野から聞かされた。
 それは、彼の人生における、きわめて充実した、輝きのある一カ月であった。

 久し振りに家に帰ってみると、留守中に来た純子からの三枚の絵葉書のほかに、賢二の非政治的行動を非難した、クラスからの匿名の封書があった。
 彼が、クラス討論に不熱心な態度を取ることと、デモに参加しないことについてで、それは現代の非常な危機におかれている、 我々学生の採るべき態度ではなく、我々は、むしろ労働者や文化人と共に、いやその先頭に立って、アメリカ帝国主義、それと手を結ぶ日本の独占資本家、 支配階級の、侵略政策を阻止し、国内では貧困、階級差別を排除し、よりよい社会をつくろうではないかという趣旨で、読んでいるうちに、 明けても暮れても同じ題目をとなえる、戦斗的と称される女の子たちの顔が、彼の頭に浮かんでくるのだった。
 賢二は、彼ら半職業的な政治小児病患者のとなえる意味において、現代が危機だとは思っておらず、またたとえそうだとしても、 自分たちが、旗を立て、プラカードを持ち、赤いハチ巻をし、どた靴をはいて、デモをしても何ら効果はないし、 むしろ美観を損ねこそすれ、得られるものは、大衆の反発と、彼らの自己満足以外に何もないと、思うのだ。
 帝国主義に反対するよりも、反動に抵抗するよりも、現在の彼は、自分の自我と、美感の方が、より大切なのである。 ただそれだけの理由で、彼はデモにも、空疎な借りものの言辞を弄する討論会にも出なかった。
 その手紙は、彼には何のショックも与えなかったし、彼は自分はやはり、どの地点からも遠ざかっていると、再認識するだけであった。



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