メモ…「母校沿革史」検討の参考として     (その4)

15「理念」など目標は高くてよいが…

 ついで、「教育理念」「教育目標」などは、どういう性質のもので、どうちがうのか。 『高槻』第9号には岩井一教頭による「教育理念と教育目標の構築に向けて」と題する「巻頭言」がある(学校法人 高槻高等学校 広報委員会2008・03・19発行)。
 2010年に70周年を迎えるにあたり「…歴史ある本校において、風化していた理念や目標の再生作業に取り組んできました。 過去の歴史を紐解き、現在・未来を凌駕できるもの」として、その案を説明する。《なお、原文は「高槻中学校教育方針について」である》
 教育理念として「知・徳・体の調和のとれた全人教育」。建学当初の設立趣意書に「知徳體の並進に全力を致し、知の進むべきは飽くまでその助長を図り、 優良なる上級校への進学に努むるは固よりでありますが、寧ろ徳體二者を先にし知を以て是等練磨の手段たらしめんとする」とあります。 知は知識の網羅ではなく、知を活用できる力、知力を意味します。全人とは知・情・意の完全に調和した円満な人格者を意味します。 知が徳と体に支えられた調和のとれた社会の推進となる人材の育成に励みたいと考えています。…… 《アミかけ部分は、原文との異同を示す》
 とし、その理念を実現するための「教育目標」として、次の5項目を考えているとある。
 (1)自由を尊重し、自主・自律の精神を育てる/(2)教養・知性を深め、幅広い視野で物事を見る力を育てる/(3)自らの進路を切り拓く力を育てる /(4)豊かな人間性を育てる/(5)行動力のある人物を育てる

 総花的ではないだろうか。もっとも、他校でも同じように数項目並べているのは、インターネットで確認できる。 《下記「新島学園中学・高等学校」の例参照》
 たまたま出てきたのが、「新島学園」のホームページで、まず「校長の挨拶」冒頭に…、

「新島学園は、『新島襄先生の人格を欽慕(きんぼ)し、その遺風(いふう)を顕彰(けんしょう)し、キリスト教精神を基本とする徳育を施し、 品性高潔な、国家社会に有用な人材を育成する』ことを目的に、先生の教えを慕う人々の熱い祈りにより、 1947年5月、新島先生の父祖の地である群馬県安中市に設立されました。」
ついで、教育理念…新島学園の〈教育の5原則〉
自由な校風の中で、まっすぐに学ぶ心、たくましく自立する精神を育みます
1.キリスト教精神を教育の基とする。
学園生活は、礼拝を中心に送られます。それは自ら聖書を学び、考え、神と出会う場です。 そして、キリスト教の考え方を得るための教育プログラムを開発・実践しています。(キリスト教主義教育)
2.一人ひとりの生徒を愛し、その人格を重んずる。
自由な校風の中で、神に造られたかけがえのない者として生徒を愛し、一人ひとりの個性を応援します。 また、社会人として守るべきルールを教えます。(生徒指導)
3.知識水準を高くし、勉学の喜びを教える。
生徒一人ひとりの可能性を信じ、支援します。そして、「知」に出会うことの喜びと充実感へと導きます。(教科指導)
4.勤労を尊び、天然資源の利用を学ぶ。
働くことの喜びと自然を愛し、それを守り育てる実践力と、神と人とに奉仕できる能力を養い、社会で活躍できる健全な心身を育成します。(特別活動)
5.己を知り、国を愛し、隣人に仕え、世界を友とする心を養う。
世界の平和に貢献できる感性と行動力を養います。留学生の受け入れ、また本校生徒の留学を積極的に推進し、 異文化を理解するための外国語教育の充実を図ります。(国際社会との関わり方)

 思うに、わが母校の場合、もっと単純なモノがよい。できれば、大人である理事者や先生方にも通じる“目標”を一つ掲げるだけでよいのではないだろうか。

16 時代は、21世紀

 2005年9月に就任した佐藤博之(ひろし)第5代理事長は、槻友会会長らのインタビューで、次のように所信を述べている(「槻友会報」第52号2006・3・30より、要旨)。
 就任にあたり、「創立時の『高槻中学設立の理念』を顧み」た。理念はいちばん大切である。 「学校を建学される時、初代理事長の藤堂献三氏が創業の理念として『知・徳・体』といっておられます。 先覚が言っておられるように『知・徳・体の3つの成就』は、創立66年ですがいまだ先覚の志がすべて達成できたとは思っていません」、 「成就の達成がこれからも目標」とし、「もう一度『創業の精神にかえること』を皆さんにお願い」すると加えた。 さらに、他の話題を挟んだのち、「先覚がよき理念をもって建学されています」から「設立の要件も存続の要件も十分に充た」されており 「存続していく要件は特に大事」であるとの発言で終わる。

 さて、このなかで“創立時の「高槻中学設立の理念」”と“初代理事長の藤堂献三氏が創業の理念として「知・徳・体」”は同一のものと見られ、 この見開き2ページの記事の末尾に、参考として“話のなかに出てきました「知・徳・体」の紹介…[高槻中学校教育方針について (昭和15年10月16日文部大臣より認可)抜粋]”が載っている。
 これは昭和26年10月16日に出された冊子『創立十周年回顧』にある文章15行の後半部分であるが、筆者は「高槻中学校長 吉川 昇」で“初代理事長の藤堂献三氏”ではない。

 藤堂理事長は、吉川校長が何度も念を押しているように、学校(教育)に関しては、すべて吉川校長に任せていた。
 次の「〔記念式典祝辞〕創立十周年に際して(理事長 藤堂献三)にあるように、「財団」と「学校」をはっきりと区別した人である (「高槻学園新聞」第34号/昭和26年11月21日)。

 本校は本日こゝに創立十周年、誠に御同慶に堪えません。唯今校長から色々と御話があり、私からとして此上申しあげることはありませんが、 一・二学校法人側として、考えておる処を申述べて見たいと思います。
 欧米先進国では、所謂官公立の学校は、一国の興廃とその運命を共にするが、私学はかゝる場合にも、その圏外にあり、 その国がつぶれても学校は厳然として存続し、国家民族の教育に貢献しております。かゝる組織は国家民族として必要な事でありますまいか。
 かゝる点も本校の設立せられた理由の一っ《つ》であります。次に学校法人の設立する処でありますが、 学校の人格は校長の人格によって百パーセント表現せられる。 従って法人の最大任務は、理想的な校長を得、更にその校長がその方針を貫きやすいよう蔭から援助するにあると確信します。 本法人は吉川先生という良校長を得て、誠に幸せとしている次第で、これは諸君と共に何より喜ばしいことゝ存じます。 これを以て、私の御挨拶にかえます。《注:記事(原文)に、多少の修正を加える》

 ともあれ、今でも「知・徳・体」は普遍的で、どこでも採用されているが、戦前吉川校長が言ったニュアンスは、それらと違うのではないか。 次項“17”で、参考資料にあたろう。

 話は戻って、後半に語られる佐藤理事長の学校経営論「(1)校風の確立 (2)人材の育成 (3)暖簾を大切に」は具体的であり、 なかでも「人材とは生徒を指導する先生のこと」「学校とはつまるところ先生」「見識ある先生が有為の人材を作る」 「先生方の絶えざる自己研鑽が学校の財産」などというのは、分かりやすく示唆に富むが、先生方は耳が痛いか?!
 経営者(理事長)としては、このような状況になるよう、是非よい環境を作られることである。生徒たちのためにも……。

17参考資料…「知・徳・体」について

 ◎資料3「臨時教育会議ニ関スル寺内内閣総理大臣演示」(1917・10・1/大正6年)
 第一次大戦の大正時代はどのような状況であったのか。時の首相の発言がある。

国家ノ隆替ハ教育ニ至大ノ関係ヲ有シ其ノ施設宜キヲ得ハ以テ 皇運ヲ隆昌ニシ国威ヲ宣揚スルヲ得ヘシ我帝国ハ万世一系ノ  天皇ヲ戴キ君臣ノ分夙ニ定マリテ国体ノ精華万邦ニ冠絶ス是レ金甌(きんおう)長ヘニ完キ所以ニシテ教育 勅語ノ御趣旨実ニ此ニ存ス
謹テ惟フニ 先帝陛下夙ニ臣民ノ教育ヲ軫念(しんねん)シ給ヒ王政維新ノ際先ツ臣僚ニ命スルニ学制ノ調査ヲ以テシ明治五年初メテ之ヲ頒布シ給フ帝国教育ノ基礎茲ニ成リ文教漸ク行ハル尋(かさね)テ明治二十三年教育ニ関スル  勅語ヲ賜ヒテ其ノ大綱ヲ昭示シ給フ我国教育ノ大本此ニ定マリ国体ノ精華希クハ以テ不朽ニ伝フヘシ而シテ其ノ所謂徳器ヲ成就スルカ為ニハ忠孝ノ彜(い)訓(くん)ヲ順奨シテ倍々(ますます)国本ヲ培養シ知能ヲ啓発スルカ為ニハ世界ノ進運ニ適応シテ施設其ノ宜キヲ得テ以テ興国ノ基礎ヲ牢固ナラシメサルヘカラス
学制ヲ改革シテ教育ノ完全ヲ期スルハ乃チ 勅語ノ御趣旨ヲ徹底スル所以ニシテ既往十数年間ノ懸案ナリト雖議論多岐ニ亙リテ帰著スル所ヲ知ラス延テ大正二年ニ到リ政府ハ貴族院ノ建議ニ基キ始メテ教育調査会官制ヲ公布スルコトトナレリ爾来同調査会ハ文部大臣監督ノ下ニ屡次(るじ)調査ヲ累ネタルモ未タ学制上ニ於ケル多年ノ懸案ヲ解決スルコト能ハスシテ遷延今日ニ至レリ
欧州ノ大戦勃発以来交戦列国ハ兵馬倥偬(こうそう)ノ間ニ処シ尚且教育上ノ施設ヲ怠ラス孜々トシテ学制ノ革新ヲ図リ以テ自彊ノ策ヲ講シツツアリ我帝国ハ現在ニ於テ兵火ノ惨毒ヲ被ルコト与国ノ如ク甚大ナラスト雖戦後ノ経営ニ関シテハ前途益々多難ナラムトス此ノ時ニ際シテハ一層教育ヲ盛ニシテ国体ノ精華ヲ宣揚シ堅実ノ志操ヲ涵養シテ自彊ノ方策ヲ確立シ以テ皇猷ヲ翼賛シ奉ラサルヘカラス
今回発布セラレタル臨時教育会議官制ハ中外ノ情勢ニ照シ国家ノ将来ニ稽へ教育制度ヲ審議シテ多年ノ懸案ヲ解決シ以テ学界ノ振興ヲ図リ給ハムトスルノ  叡慮ニ出テ洵ニ恐懼ノ至リニ任ヘス本大臣ハ各位ト共ニ鞠躬精励以テ此ノ優渥ナル 聖旨ニ奉答セムコトヲ期ス
教育ノ道多端ナリト雖国民教育ノ要ハ徳性ヲ涵養シ知識ヲ啓発シ身体ヲ強健ニシ以テ護国ノ精神ニ富メル忠良ナル臣民ヲ育成スルニ在リ実科教育ハ国家致富ノ淵源ニシテ国民教育ト竝ヒ奨メ空理ヲ避ケ実用ヲ尚ヒ以テ帝国将来ノ実業経営ニ資セシメサルヘカラス高等教育ニ在リテハ専ラ学理ノ蘊奥ヲ究メ学術ノ進歩ヲ図リ以テ国家有用ノ人材ヲ養成スルヲ目的トス
総テ教育上ノ施設ハ国家ノ財政ニ鑑ミ緩急ヲ慮リテ適宜ニ按排シ質素ヲ旨トシテ内容ノ充実ニ努メ殊ニ地方ノ施設ニ至リテハ民力ノ程度ヲ顧ミテ成ルヘク負担ノ過重ヲ避ケ以テ教育勅語ノ  御趣旨ヲ貫徹スルニ努力セサルヘカラス若夫レ欧米ノ学制ヲ模倣スルニ急ニシテ知ラス識ラス国体ノ精華ヲ傷ケ或ハ一時ノ情実ニ覊(き)サレテ百年ノ施設ヲ誤ルカ如キコトアラハ国家ノ憂患之ヨリ大ナルハナシ各位希クハ此ノ意ヲ諒トシ慎重審議シテ多年ノ懸案ヲ解決セラレムコトヲ茲ニ本会議開催ノ初ニ当リ聊カ本大臣ノ所見ヲ披瀝シ且将来各位ノ調査ニ待ツヘキモノ益々多大ナルヲ念ヒ国家ノ為至誠尽瘁アラムコトヲ希望ス (宮原誠一〔等〕編『資料日本現代教育史4』三省堂1979)

 ちなみに、最近の例をあげておこう。いずれもインターネットのおかげである。
 文部科学省「中央教育審議会スポーツ・青少年分科会(第28回)議事要旨」の、ある委員の意見
 教育の目指すところは、知徳体の調和的発展で、これは万古不易であるが、知のための学力向上についてはきちっとやっているように思うが、徳のための心の教育はなかなかうまくいない状況にある。そこで、体の方から、スポーツなどによって心に貢献する方法を総合的・科学的に考えていく必要があるのではないか。例えば、スポーツに共通の心の強さや精神力を、他人の経験を整理し、その上で自分自身体験して、そのような強い心を得ることを学ぶことができるのではないか。(平成16年12月2日(木曜日)10時〜13時/如水会館 松風の間(3階))

 もう一つ、広島県教育委員会のHP“「知・徳・体」の基礎・基本”より…本県教育委員会では、…教育改革施策の重要課題として「『知・徳・体』の基礎・基本の徹底」を位置付け、施策を展開する。…新学習指導要領がねらいとする「生きる力」は、「確かな学力」「豊かな心」「健康・体力」によって構成される。まさに「知・徳・体」のバランスのとれた教育を展開し、…

18“建学の精神”とは/「真面目に 強く 上品に」

 学校は“建学の精神”というものを、必ず明記しなければならないのだろうか。ホンネとタテマエという言葉がある。 “建学の精神”はタテマエであろう……。

 今いくつかの大学や高校などのホームページを見ると、それぞれに“建学の精神”が掲げられており、 “こういう考えのもとに学校を作った”“教育方針はこういうもの”という意味が記されている。 古い学校も多く、創立者もさまざまだが、みな“現代の言葉”“自分の言葉”で語っているように見える。

 ひるがえって、わが母校の“建学の精神”といわれている「国運負荷の大任に堪ふべき人材の錬成」について、 上記の観点から検討して見ると、他人の言葉、それも“官制”のものであり、ましてや創立者藤堂献三の言葉であるという論拠は確認できない。
 逆にいえば、藤堂は設立申請時に、“建学の精神”にまで考えが及んでいたかどうか、これも定かではない。

 ついで、校長吉川昇は、どうだったか。
 そのことば「真面目に 強く 上品に」は現在でも、わが母校に生きている。“建学の精神”という意識があったかどうか。 おそらく、自らを含め日本人としての生き方を示す指針のようなものではなかったか。
 ともあれ、これまで見てきたように、吉川校長が初期のころから一貫して、機会あるごとに口にしていた言葉である。

 このような、吉川の言葉である「真面目に 強く 上品に」を刻んだ石碑を目立たないところに移動してまで、「国運負荷の大任に堪ふべき人材の錬成」を藤堂元理事長の言葉だとして石碑を造り、理事長の銅像まで立ててしまったのはなぜだろう。

 ともあれ、「国運負荷の大任に堪ふべき人物」を、いま風に言い換えるのは、とうてい無理である。 また、高校に「建学の精神」が必要なのかどうか、どうしても必要というならば、普遍的な「真面目に 強く 上品に」でよいのではないか。
 『輪 WA』(高槻高等学校・中学校 保護者会だより2004.12.11/100記念号)の裏表紙(中央)には、中学と高校の徽章の下に、この文言が入っている。 OBや吉川校長を知らない生徒(その父母)にも認知されている証拠であろう。

 つぎに、ある夜浮んだ”私案”……、
   *教育理念あるいは教育目標として「自他ともに愛せる心を育む」
     (はじめに考えたのは「自らを律し他を愛する人物を育てる」であった)

 そして、*校是として「真面目に強く上品に」

 その後、思いつきによる”私案”「自他ともに愛せる心を育む」について、過日、一度は目にした嘉納治五郎による灘中学の校是「精力善用・自他共栄」に、 なんとなく共通するところがあることに気がついた。この言葉は、大正11年4月に出された雑誌に初めて出てくる。 灘中学は昭和3年の開校、わが母校はその13年後である。

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