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「ひたすらコラム」 2006年3月上旬号

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「審議官は何を審議し…」
 専守防衛という言葉がある。もっぱら、憲法第9条に関わる自衛隊の基本方針で「他へ攻撃せず、他から自己、あるいはその領域が攻撃された場合のみ、 自己、あるいはその領域を守るために武力を用いること」だそうである。
 まあ、国を守る最低の武力行使と考えれば止むを得ないか、という印象を与えるが、その範囲は国内だけか海外までかと意見が分かれているという。
 いや、硬い話はやめて、わが防衛施設庁は何を防衛しようというのか、の問題に移ろう。次に述べる"迷惑メール"やトリノ五輪の話題に隠れがちだが、 「『配分表』作成/歴代審議官4人認める/防衛施設庁談合事件 特捜部が詰め」(東京06・02・18)などとあるように、 同庁が発注する土木・建築工事での談合事件で、ゼネコン業界に天下った歴代の技術審議官が主導した官制談合は、 すでに伝統となっているという。
 審議官だから、何を審議したっていいじゃないか、というわけであろう。同庁は表向きは、自衛隊および駐留米軍のための"施設"等の便宜を図るためのお役所のようだが、 これまで"事件"で表沙汰にならなかったのではなぜか。
 一般に国民の関心が薄い官庁だからではない。その根底には"累はわが身にも及ぶ"(から黙っていよう。あるいは、 どこだってやってるよ!)心理があるからだ。すなわち、わがニッポン国民は、その7割が巨人ファンである。 同じく、7割がお役所関係者である、といっても過言ではない。
 つまり、官の恩恵に与る民は大勢いるのである。この国では"革命"などが起こらない代わりに、談合も汚職も天下りも 「おみやげ」持参も、だれでもやっている国民病であって治らない、ということである。事件が起これば、 必ずこういうコメントがあるでしょう。「前からそんな噂があった」とか、「みんな知ってるよ」などと。 後出しジャンケンはコイズミ君の専売特許ではない?!

「迷惑メール」
 いま、迷惑メールの洪水に困っている人は多いだろうが、どうやら"ガセネタ"(これが、一国の首相の発言!)に引っかかったのが民主党の若手、永田議員である。
 昨年の衆院選の際、時代の寵児と持てはやされていたホリエモンが、その"義父"武部自民党幹事長の二男に、 選挙広報の資金として3000万円を送金するよう、部下に指示したというメールの真贋論争は、とりあえず決着したが、 本人および前原代表の謝罪は往生際の悪いことこの上ない。
 ところで、この"商行為"は違法なのかどうか。受けて立つタケベ・コイズミ連合が事実無根だとか、 証拠を出せと迫っていたのは、いかにも疚しい金(の動き)という印象を与える。 ホリエモンの友人という二男がまったく表に出てこず、すべて父親(自民党幹事長)が弁明するのも同様に映る。
 一方、「証拠はいつでも出せる」と何度も同じセリフしか吐けない永田議員ならびに民主党の追及は、 まったく戦略も戦術もないことを露呈していた。
 通報者を"信頼できる"と思うのは勝手だが、美しい薔薇にはトゲがあるとか、美味しい話に騙されるなといわれるが、 永田議員は功をあせったのか、鬼の首を取ったと思ったのか。情報(ネタ)を鵜呑みにするのではなく、 ウラを取るのは"取材"の鉄則である。彼は元官僚だそうだが、この程度の人物でも官僚ばかりか国会議員が務まるということが不思議である。
 当初、迷惑メールで民主党が滅ぶ?! こんなレベルの問題で国会が空転するようでは、コイズミ自民党やマエハラ民主党は、 わがニッポンを売るかの? 潰すのか?と書くつもりであった。
 しかし、よくよく考えると、これは36歳の永田議員だけの問題ではなく、若い世代に共通するものとすれば、 日本の将来は暗澹たるものと思わざるを得ない。つまり、テレビに限らず新聞記者や雑誌の編集者などが"ガセネタ"を掴ませられたり、 きちんとウラを取らないで発表し、名誉毀損などで訴えられることがよくあるではないか。

「英雄崇拝」
 日本のメダル期待という"狂想曲"は、いつものことなのだが、何しろオリンピックは4年に一度のことだから、 つい日本人の私は"人の噂も75日"派らしく、改めてうんざりしているところであった。
 女子フィギュアスケートで荒川静香が、自身はもちろん日本人で初の金メダルというから、快挙にはちがいない。 しかし、日本選手の不振は、企業などの後援が減ったことや競技人口が少ないなどの理由をあげているが、 そもそもわが国で提供される情報は日本向けバージョン、つまり、世界のトップレベル(対戦相手)に触れることの少ない"箱庭報道"で、 それは今に始まったことではない。
 つまり、当局に都合のいい情報をバラエティとして流すテレビなど"洗脳機構"の戦略であって、スポーツそのものとは関係がない。
 古い例をあげれば、60数年前、大東亜戦争を始めるにあたって、軍部はアメリカの軍事力を軽く見る一方、 日本は「日清・日露戦争以来、負けたことがなく、占領されたこともない」とか、「いよいよとなれば、神風が吹く」と思っていたり、 国民一人ひとりが必勝の精神で滅私奉公をと、最後は"精神力"が頼りであった。
 そして、いま、そのDNAが頭をもたげている。深夜というのに、フィギュア3選手の母校や勤務先にもテレビが入っていた。 眠い目をこすりながら「よくやった?!」というぐらいは個人の自由だが、ある意味で"国家総動員"の予行演習といえなくもない。 どこかで、ほくそえんでいる連中がいるにちがいない。
 スポーツに政治を持ち込むなと"美しく"いわれるが、いますべては"政治的"に動いている。 10年後の東京オリンピック開催を目論むのも、それを実現させるためには"政治力"が必要であろう。 そして、一部の業界とそれと縁の深い政治家が潤うという図式となる。
 ともあれ、"英雄"が誕生した。これもなぜか、小泉首相の得点となった。本人の都合や意向にお構いなく、参議院議員でも、 親善大使でも、一日税務署長でも、引く手あまたであろう。すなわち"英雄"は祭り上げられ、"英雄崇拝"に利用され、 国民の目を現実からそらせる道具となる……。

(以上、06年3月1日までの執筆)


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