「"腰巻"をはずして…」
単行本や新書などの表紙に、そのキャッチコピーを記した"帯"をつけるのは、出版社の方針であろう。
言いかえれば、担当の編集者が、その作品をいかに読者にアピールするかに知恵を絞る"場"でもある。
その形状から"腰巻"ともいわれ、かつては雑誌「面白半分」(おもしろはんぶん=Harf-Serious)で、真面目な「日本腰巻文学大賞」が設けられ、
縁の下の力持ち、黒子である編集者を励ましていたものだ。
それがいまや、大小の書店で、棚に並べるとき、その帯をわざわざ外して並べるのだという。
大手チェーン店Rの若い女性店員いわく、外す理由は「帯が破れていると、お客さんは買わない。手を切る場合もありますから、
ウチでは全部外しています」。M書店・男性は「出版社がつける場合とつけない場合があります」と、トンチンカン。
もうひとつKチェーン店・女性は「(1冊ずつ背表紙を見せる)棚さしの場合は外す、(平らに何冊も積む)平積みでは取らない、
(棚に何冊もおき表紙を見せる)面陳の場合も取らない」と明確だった。外した帯はどうするのと聞くと、
「捨てます」とアッケラカン。
編集者の皆さん! ご存知でしたか。あなた方の"努力の結晶"が、表舞台に出る前に無残にも捨てられているのですよ。
また、読者からすれば、この帯や前書などを読んで、買うかどうかを判断することが多いだろうし、
帯も価格に含まれているはずではないか。
すなわち、書店側の勝手な理由と同じように、売れるかもしれない書籍が売れないこともあるだろう。
出版社としては、とくに大手チェーン店に対し、その逸失利益を請求してもよいのではないかしらん。
「"コケろ"と念じて…」
メダルをトリノ、取らないので騒がしかった日本国民は、パラリンピックが始まったというのに、
今度はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)などという、新興の"世界"選手権に躍起である。
例によって、ヤマトダマシイが頭をもたげ、王監督を胴上げしなければとか、負けるわけがないというのも悲壮だが、
東京ドームでの対中国戦における数を頼んだうるさい応援は、礼を失したものではないか。
失礼ながら、まだレベルの低い相手に対して、観客は相手国のプレーを誉め、自国へは控えめにやるのが"大人"の取るべき態度ではなかったか。
そうだ、本論を忘れるところだった。身びいきは人間の本性だが、それにしても、テレビに出る連中は、
荒川選手の金メダルにケチをつけるような発言、つまり外国選手に対し、「コケろ!」と念じたとか。恥ずかしい限りである。
転倒シーンはサッカーなど格闘技ではしょっちゅう見られる。中には(故意に転ぶ)シミュレーションの場合もあるが、
フィギュアスケートで転ぶと、たしかに目立つ失敗に見える。しかし、採点方法が変わるなか、転んでも減点は1点と大したことはないそうだ。
話はまた転んで、WBCではアメリカを大差で破るなど、韓国チームの活躍が目覚しい。第一次予選で1位通過を果たしたのは、
兵役免除という"ニンジン"がぶら下がっていたからとか。一方、王ジャパンの悲劇は、対アメリカ戦でタッチアップの判定が覆って得点ならず、
逆転負けしたことだ。もっと得点を重ねておれば"大事"に到らなかったのだろうが、なりふり構わぬ"野球発祥の国"アメリカにも困ったものだ。
ともあれ、サッカーに比べ野球はマイナーなスポーツと、米国自らが証明したことが収穫といえるだろう。
しかし、BSE"担当"の中川農相のWBCに対する"怒り"を筆頭に、わが国民としてはブッシュ米国に"コケろ"と念じたいところであろうか!?
(15日、対メキシコ戦は6−1で勝ち、1勝1敗となってはいるが…)
「コクボを目指して…」
コクボと読む苗字には、小久保、古久保、小窪、国保などがあるらしいが、トリノ五輪に出た国母選手の名は、
その"活躍"ぶりに比して凄かった。
というのも、「国母」とは、そのものずばり「国の母」で、つまりは「天皇の母(皇太后)」あるいは「皇后」を意味するという、
畏れ多い言葉である。
ちかごろ、皇室典範の改正論議で、女性天皇・女系天皇の"容認"に、国民を含めて傾けかけた矢先、秋篠宮妃が第三子を懐妊されたと公表され、
この問題はとりあえず先送りとなった。このあたりが、わが臣民のDNAのなせるワザか。
一方、生まれ出ずるは男か女かと新聞・テレビに雑誌が報じるだけでなく、井戸端会議(いま、居酒屋会議)でもかまびすしいが、
話題として取り上げられない問題もあるかもしれない。
以前から、皇太子妃に第二子を望む声も多いが、報道によると皇室内には"公私"なかなかに難しい問題があるようで、
下々としてはそっと見守るしかない。
さて、「国母」である。子どもが天皇の位を継承すれば、その母親は「国母」となられるわけである。
これも、下々がとやかくいう問題ではないが、わが国が戦争はじめ争いをせず、平穏無事であることを祈るしかない。
世の中に、コウノトリだけでなく、オツナトリもいるといいのだが…。
(以上、06年3月15日までの執筆)