ひたすらコラム目次

「ひたすらコラム」 2006年4月上旬号

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「同い年」
 先週、ある週刊誌の車内吊り広告に「小沢(一郎)・小泉(純一郎)…ともに(19)42年生まれ、慶応ボーイ…」などという惹き文句があった。 どういう内容だか、あまり興味がないので読んでもいない。二世・三世議員であるとか、"壊し屋"であるとか共通点と違いを論じているものであろうか。
 やはり、同年生まれの私も名乗りを上げたい?ところだが、政治家でもなければ、名前に「小」も「一郎」も入らず、 また"…ボーイ"族ではなく"…マン"族であるから、その資格はない。
 これまでにも、彼らが1942年(午歳)生まれと指摘した人はいたと思うが、私は自分の代わりに北のドン金正日を推薦しよう。 彼もれっきとした42年生まれの政治家、いやそれ以上である。この"同年"に気がついたのは02年の還暦のときで、5月の同期会(みな、午)のあと、 友人に話すと複雑な顔をしていたのはなぜだろう。
 その後、『午歳生まれは、強運すぎる人―ヒノエウマが理想の女性だとウシは言った』などという長ったらしいタイトルの本が友人の出版社から出たのは03年11月のことだが、 気の小さい私は"これ以上、強運になっては"と思ったわけでもなく、買いも読みもしなかった。要するに、モノグサなのであろう、私は。
 他の人のことは知らないが、同年生まれで"有名人"つまり"名を成した人"があまりいないと思ったのは、かなり前のことで、 「石橋をたたいて渡る」ぐらいが、私には相応しいと…。思えば、若いころから"敗北の思想"、いま流に言えば"負け犬"的な世界観を持っていたことになる。
 ともあれ、若返りを図ろうとした民主党のあまりにみっともなく、ふがいなさに、やはり"老練"小沢の待望論が前面に出たことと、 最後の賭け?に期待するメディアも多く……。しかし、慶応閥はどこまではびこるか、の研究をも始めなければなるまいぞ?!  ここで、"マン"族してはおれんぞよ!!

「検閲と保存と」
 4月9日、「占領期雑誌記事情報データベース完成記念 講演会・シンポジウム―占領期の雑誌メディアをひらく―」を、 朝10時から夜7時近くまで聴講した(早稲田大学国際会議場)。午後の、83歳という哲学者鶴見俊輔による記念講演「若き哲学者の占領期雑誌ジャーナリズム活動」は、 自称"反動家"の面目躍如たるものがあり、いま多くの若き聴衆は、その発言にいくども拍手を惜しまなかった。
 1945年の敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領政策…出版物をはじめとするメディアの検閲や政治・思想などに関する民主化政策には、 さまざまなものがあった。この雑誌記事情報データベースは、米メリーランド大学のプランゲ文庫に保存されていた占領期に蒐集された雑誌類を元に、 5年をかけて作成されたものという。
 さて、戦前の検閲は内務省を頂点に"言論統制"として厳しく行われていたが、GHQのそれはどうであったか。 前者が伏字(××××…)などでその痕跡が分かったのに対し、後者の場合は、従来の検閲を止めさせ、言論の自由を完全に回復させることを目的とするものの、 現実には新聞・放送・出版などに対する新たな検閲で、禁止・削除と命じられても検閲の証拠を残してはならないという巧妙なものだった。 もう一つはGHQの動静批判や占領政策遂行の妨げとなる報道の禁止であった。分かりやすく言えば、米兵による日本人への暴行などは報道されなかった。
 だれも自分が可愛いわけで、いま政治家や官僚、大企業、そして警察などが、自分たちの不祥事を隠したがるのと変わらない……。
 また、"民主化政策"は、軍国主義の一掃など日本の旧弊を打破し、基本的人権の尊重をはじめとする民主化に手をつけ、 男女同権・労働組合結成の奨励・教育の自由主義化・専制政治からの解放・経済の民主化の五大改革を指す。 これは、ひとまず"善政"であったというべきか。
 ところで、プランゲ文庫にあった雑誌は1万3780タイトル、610万ページに及ぶというが(他に書籍・新聞なども膨大な数に上る)、 劣悪な条件の元、あわや紙くず同然ですてられる寸前だったという(この研究の第一人者、福島鋳郎の話)。 これが今、戦後数年間の占領期のメディアや日本人の生活を"活写"する資料として利用されるのである。 もったいないと、何も捨てずに取っておくのも意味があるが、それをどう読み解くのか、戦後生まれにはかなり難しい?!
 《補足:国会図書館など数か所で、マイクロチップなどにより"現物"に接することができる由》

「過去の遺物?!」
 プロ野球パリーグでの問題。楽天イーグルスの野村克也監督に対し、ロッテのバレンタイン監督が「過去の遺物デース」 (「FLASH」4・11)といったのは、ゲーム前に先発ピッチャーの予告をする・しないの問題で、相対立したからであろう。 バレンタインはファンサービスとして予告するのは当然という考えに対し、野村は作戦を読まれるから「予告しない」というものだった。
 プロ野球パリーグでの問題だが、野村が"過去の遺物"であったかどうか。40年も前の"過去"だが、興味ある証言があったので、ご紹介しよう。
 "打撃の神様"ともいわれた川上哲治(元・巨人監督)は、日本シリーズ9連覇を遂げる2年目(1966年)の7月、座談会「川上監督に聞く……」(「東電文化」91号1966・9)で、 次のような発言をしていた。
 野球でも必要なものの一つとして、「胆力」は根性ですかの質問に対し、「技術の中で培われた精神力でしょうか。 精神力だけで野球はできませんよ(笑)」⇒これなど、先ごろヤマトダマシイで、WBC世界一になってしまった王ジャパンの選手たちに、 じっくりと伝えなければいけませんな!
 さて、本題は野村監督である。そのころ、彼はまだ現役の捕手だった。「投手の活躍は捕手のリードという力が大きいですね」に、 川上は「その意味で、捕手の第一人者は南海の野村でしょうね。昨年は彼が相手のサインを見破る眼は百発百中でした。 カンではなく確実なのですから、投手は楽ですよ」、「(サインは)毎日変えますし、試合中でも変える。しかしそれを見破ってしまう。 サインを変えても、受けたランナーの仕草はついて回るものですから……。昨年の日本選手権は、対野村作戦に重点をしぼったのですよ。 二塁の走者にバッテリー間のサインを読ませ、打者に知らせるという方法――、これは成功しました。 野村は、さすがに巨人が何をやっているか気がついたようですが、バッテリー間のサインほど変えにくいものはありませんからね」。
 うーん、名将川上にここまで言わせた若き日の野村、いまも知将ぶりは衰えてはいないといえる。 おまけに、今季初対決で昨年の日本シリーズ覇者バレンタイン・ロッテに、13−0と大勝したのは野村・楽天である。
 この先、なにが起こるか分からないが、9日現在ロッテは6勝8敗、楽天は2勝11敗と、5位・6位に低迷しているのは"予告どおり"なのかしらん?!

(以上、06年4月11日までの執筆)


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