「パロマ(はと)の罪!!」
その昔、ハリー・ベラフォンテの歌う「Cu Cu Rru Cu Cu Paloma」(ククルクク パロマ)という曲が好きだった。
歌の内容は「夜毎彼は泣いて泣いてばかりいたそうだ/何も食べずに死ぬまで彼女の名を呼び続け/恋焦がれて死んでしまったそうだ
/住む人のいない家の開け放たれた戸のそばで/毎朝早く一羽の鳩が飛んできて哀しそうに鳴いている/あの鳩はきっと彼の魂にちがいない
/鳩よ、お願いだ、そんなにくくるくくと鳴かないでおくれ/誰にも彼の愛がわかる筈がないのだから」とHP「シャンソンG-Vocal」にある。
もう一つ、「ラ・パロマ」はHP「マンドリン・ギターMIDI」によると「もしも一羽のハトがあなたの窓辺へ行ったなら、
やさしくしてね。それは私の化身なの」という島娘の純情を歌った曲だという。
男女のちがいこそあれ、この鳥は若者の恋ごころを謳うには格好の"伝書バト"といえようか。
さらには、旧約聖書にあるように"平和のシンボル"とされる一方で、ダニの発生や集団化による"鳥害"も深刻という。
さて、瞬間湯沸し器の不正改造によるガス中毒死事故を隠していた、わがパロマ工業の場合はどうか。
発覚したその日の「製品には全く問題はない」「不正改造がなければ事故もなかった」との若社長の強弁も、
四日目の「一転『パロマの責任』/社長明言、会長は辞意/CO中毒 遺族あらためて怒り」(東京07・19)によると、
「経営者として認識が足りず、申し訳ない」と謝罪したが、報道陣から「同族経営や無事故を看板にした会社体質が正確な情報の伝達を妨げたのでは」
と問われ、父の会長は「そう言われると心配になる」と、ちょっと意味不明の返事。
そして、自分は辞めるが、「問題が起こった時期に入社していなかった息子(社長)」をかばう発言をしたそうだが、
いままさに"問題"が起こっているのではなかったか。
そもそも、部品がなくても、簡単に改造できる配線構造が問題だろうに、社長は「改造という言葉から、われわれの製品ではないという意識を持ってしまった」
といっているのに、記者連中の追及も粘りが感じられませんねえ。
まだある。「『知らせても効果薄い』/パロマ器不正改造/ユーザーへの周知を軽視/利用者問合せ1万4000件超す」(東京07・20夕刊)とか、
「パロマ器交換部品/事故多発下で生産中止/91−96年 不正改造に拍車?」(東京07・21)とあり、利用者(ユーザー)も、
嘗められたもんですな。ユーザーは「(もっと)ユーゾー」にならなければ…。
わがパロマは、かくのごとく"片思い"の会社であって、さらさら"平和のシンボル"などではなく、
各地でガス中毒死を起こさせた"鳥害"に近い会社であったようだ。
蛇足だが、不平不満などを吐き出す"ガス抜き"という表現があるが、いまそれがいちばん必要なのはこの会社ではないのか?!
「A級(永久?)戦犯とは」
北朝鮮がサッカーの2007年女子Wカップ予選(女子アジアカップ)準決勝で、中国に敗れた後、
"敗北を受け入れられない"彼女らは審判の判定を不服として、ゴールキーパーが主審を後から蹴り上げたり、
テポドンならぬねペットボトルを観客席に投げこむなどして、3人が出場停止を受けた。
アジアではトップクラスでも、負ければ、まともに国には帰れない?とか、将軍様からどんな処分を受けるかという恐怖心?が働いたのかもしれない。
そこで、言い訳として「負けたのは審判のせい、と強調したい国内向けポーズ」だとの、もっともらしい解説もある。
しかし、最後の日本戦では、必死になって勝ちに来るだろうとの予想は、その通りになった。
(大和)撫子ジャパンなんて、はじめから負けそうなネーミングではないか。
ところで、言い訳や、都合の悪いことを他人のせいにするのは、日本人も同じであろう。
たとえば、論理のすり替えはコイズミ首相の得意とするところ。イラクのサマーワ派遣について、「自衛隊の行くところが非戦闘地域」だとか
「私に分かるわけがない」と言い放っても、一国の首相が5年も務まるのだから、世話はない?!
さらに、その後を襲うのが確実?な安倍晋三官房長官、先の大戦に関する極東裁判でA級戦犯とされた軍人等について
「(A級戦犯は国内法上の犯罪者には該当しないと主張し、その根拠として)遺族年金が支払われていることからも明らかだ。
大きな誤解がある」とのたもうた。コイズミ首相の得意技"後出しジャンケン"ではないが、これは論理の飛躍、いやすり替えであろう。
10年ほど前だが、強制連行された中国人が決起し多くの犠牲者が出た花岡鉱山事件(1945年6〜7月)の遺族らが雇い主の鹿島組に損害賠償を求めたものの、
東京地裁が"民法上の不法行為に基づく請求は除斥期間(20年)の経過によって排斥される" と却下した例がある(1997年)。
"20年"を過ぎてしまえば、請求の権利はないということだが、時間稼ぎをする場合も、時の権力者のやり方の一つではなかったか。
また、中国残留孤児と最近の北朝鮮拉致被害者に対する、当座の生活資金などや国民年金について、
多くは高齢で言葉・習慣に馴染めない前者の人たちは(数が多いからか)冷遇され、(数が少なく、政治に利用する)後者はかなり優遇される、格差があるという。
これらと逆の解釈ともいえるものが、先の安倍発言で、"遺族年金の受給者にしてしまえば、その罪は消える"という論理ではないだろうか。
無辜の犠牲者やその家族からすれば、A級(永久)追放でも、気がすまないのではないかしらん。
ところで、A級戦犯の"A級"とは、Aクラス(最高)と思われがちだが、「平和に対する罪」をさし、
B級は「通例の戦争犯罪」、C級は「人道に対する犯罪」をいい、日本の戦争指導者たちは「平和に対する罪を含む犯罪」として裁かれたという。
A−Cの名称は分類上のもので、罪の重さを示すものではないそうだ。
「なぜ、好かれるの?」
世の中には、ちょっと変った人が何人もいるようだ。
ある小さな団体の役員の一人は、団体所有の小型パソコンを子どもたちが使うからと自宅に持ち帰り、返却を迫っても、
なかなか返さなかったという。経済的に困っているわけでもないのに、母親心というのか、倹約精神が旺盛というのか、
使わないのはもったいないと、自分の都合のよいように解釈したのか……。
こういう話はよくあるが、もう一人の女性を紹介しよう。
彼女は、クリーニングに出すとき、どこが安いかと、サービス期間を狙って、あちこちの店に洗濯物を持っていくそうだ。
しかし、これは自宅で洗えない毛布などで、大きな工場で機械的に処理されることを納得している。
しかし、少し値の張る夫のスーツなどは、近所の夫婦でやっているクリーニング店に、持って行くそうだ。
仕上げが丁寧だからそうするので、彼女が困るのは、たまにしか行かないのに「料金はあとでいいわよ」と、
預けたときにお金を受け取らないとか、「ダブルは200円高いけど、安くしておいたわよ」などと、必ず言われることだという。
友人でも親戚でもないのに、どうして、いつも"親切"なのか分からないとのこと。
もう一つある。その彼女は、都心に出た時、あるデパ地下で食料品を買ってくるそうだが、魚屋さんに、
その小父さんがいると、ニコニコして出迎えてサービスしてくれるという。
バーコード表示で値段が決まっており、レジで支払いするのに、どうしてサービスできるのか不思議だが、なに簡単なことで、
商品をつつんでくれる際に、安い値段のついたちがう商品のラベルを貼ってくれるのだという(こんな裏ワザがあるんですねえ!)。
彼女曰く「私って、そんなに魅力的かしら」だってさ?!
「羨ましいわねえ! 私もあやかりたいわ」とは、わがカミさんのやっかみでした。オシマイ!
(以上、06年8月1日までの執筆)