ひたすらコラム目次

「ひたすらコラム」 2006年8月中旬号

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「心の問題?!」
 NHKラジオ「夏休み子ども科学電話相談」に、小学一年の男の子が「心は、なんで人間の目に見えないんですか」と質問したそうだ。 回答の先生方は、抽象的な答え(小一には理解できない?)しかできなかったようだが、たしかに難しい"問題"ではある。
 かの小泉首相は、「(首相就任時の)公約だから。公約は守るものでしょう」、「中国や韓国がとやかく言うのは内政干渉であり、 参拝は心の問題である」などと、あいかわらず開き直って、本日8月15日朝、雨の靖国神社に参拝した。
 元来、政治家の公約は、立候補の際の便宜的な"時限公約"であって、それがいつまでも効力があるとは、当の政治家も選挙民もだれも思っていないのではなかったか。
 しかも、姑息なことに、政治家は内閣総理大臣****、内閣官房長官****と、公の肩書を記しても"私人"と言い張って罷り通るのは、いかがなものか。
 靖国神社に参拝するもしないのも"心の問題"であるならば、国旗を掲げようが掲げまいが、国歌を歌おうが歌わまいが、 その人の"心の問題"であって、強制されるものではないだろう。
 さらに、「ウラ悲しい」(何となく悲しい)、「ウラ恥ずかしい」(何となく恥ずかしい)や、「ウラ解く」(心がうちとける)、 「ウラ無し」(思慮がない)の「ウラ」は「心」と書くが、政治家(公人)にはウラもオモテもあってよいということになれば、 首相などの政治家(公人)には"心"はあっても、一般庶民(多くは生まれてから死ぬまで、私人)に"心"はないということか?!
 もう、政治家や役人には、「心づかい」や「心づけ」なぞ、しなくてもよいぞよ、諸君!?
 とはいえ、わがHP「心―こころ―橋本健午のページ」のトップに、「心に染みる 心を打つ 心くばり 心がける/心が動く 心もとない 心のこり 心がわり/そのココロは・・・」 と掲げているが、"心得ちがい"などといわれないように、看板を下ろそうかと、「ウラ無し」の私は悩むばかり……。

「それでも、英語を優先しますか」
 桜美林大学では、2000年度から「読む・書く・話す」のトレーニングを基礎演習科目に取り入れているそうだ。 つまり、「ファミコン言葉」に馴れた若者たちは「暮らす」→「倉す」、「団塊の世代」→「断崖の世代」などと書くなど、 文章が日常会話化している現状を改善しようとの試みらしい(「ファミコン言葉」とは、ファミレスやコンビニでよく使われている言葉をさす)。
 私も小学生のころ、新聞の見出しの「逮捕」を「ケンホ」と読んでいたが、読み誤りより、書き誤りは言葉や漢字・熟語の成り立ちや意味を知らないところから 生ずるもので、そう簡単に直せるものではないだろう。
 私なぞ、桜美林大学より早く気がついていた。いま30前後の若者が、およそ10年前、すでに壊滅状態だった。 いくつか例を挙げよう。(1)「根情では負けない」/「恨性で頑張る」(2)「公園に隣設するビル」(3)「長崎と同じ偉度」 (4)「ハーレムには国人が多い」(5)「人種が違うところが異民の都市だ」(6)「プライバシー充視」など。
 漢字は会意・形声の文字で、オンは同じでも、ヘンやツクリによって、意味の違いを表わす豊かな表現ができる反面、 複雑でもある。そのため、ここに見られる例は、頭に最初に浮んだ文字を、そのまま書いてしまうという、正しいかどうかも判断しない (できない)ことを示している(正しくは「根性」「隣接」「緯度」「黒人」「移民」「重視」)。
 もう一つ、近くの中学校で、この春の体育祭のとき、道路側に面したある教室の窓ガラスに「3の1、見せろ!ど恨性!!」との張り紙があった。 「ど根性」のつもりが、何に"恨み"があるのかと思ったが、いまだにそのまま張り出してあるところを見ると、先生方のレベルも疑わなければなるまい。
 こんな状況の一方で、いまこの国では小学生に「英語を」という流れとなってきた。賛成する向きは、国際人(=アメリカ人化)の育成といい、 親たちの一部は、きっと国語がキライだったのだろう(昔流にいえば、非国民?!ではないか)。
 されば、「クスリ(覚醒剤)、やめますか? 人間、やめますか?」ではないが、いっそ「国語、やめますか? 日本人、やめますか?」

「頼まれもしないのに、書評!」
 時々、カミさんが図書館から借りてきた本を読むが、元NHKアナウンサー広瀬久美子の『ことば美人は一生の得』(幻冬舎文庫2005・06) にうんざりして途中で止めてしまったのは、タイトルとその中味のちがいに戸惑ったからだ。
 筆者は、すでに市民権?を得た「ら抜き言葉」が気に入らないらしく、P36「一緒に食べれたらよかったのにね」と、 わざわざ「ら」に大きな傍点を施しているが、思うに言葉や文章に関する著述は、ことさら"表現"に注意しなくてはならないはずではないか。 それにしても、この表題"ことば美人"は刺激的である(他に『幸せを呼ぶ美人話法』海竜社など)。では、本書の現実を見よう。
 P25「…そのたびに彼の技術を学びまくり」/P31「彼女は何度も何度も塗りまくっている。」/P27「アイシャドウ、アイラインもハンパでなく施し」 /P31「家に帰って、真似をしたら大成功!」/P36「最近ホテルの会員になり、結構安く食事ができる…」/P59「『あらそう、じゃあ私が行ってくるわ』と、 どこかをまくりそうになって困った」、P65「『もっと優しくものを言いなさいっ!』と、カマしたいのをぐっとこらえ」、 P68「孫のような若者に鼻であしらわれたりと、結構悲惨な状態である」。
 P71「私は冷え性なので、」/P73「あまりの楽しさに、ころっと勉強するのを忘れていたからだ」 /P73「どちらにしても六年間遊びまくったツケは大きかった」/P74「私は青くなっていろいろ探しまくったが…」 /P80「会社のエレベーターで、降りる私を後からどついて、若い男性が降りていった。ニャロメ!!」 /P82「いまのウチのネコはわがままで」/P85「なにしろ嘆き方がハンパでなく」、P86「動物好き、ネコ好きの私でも…」 /P94「私の上手な説明ですんなり理解されるより…」/P95「何回も斧で叩いた人もいるというので、緊張してしまった」。
 中途までの読後感として、超"ことば美人"の筆者は"ハンパでなく"、"結構"いや相当"まくる"ことが好きなようですなあ。
 ついで、筆者の立場・年齢・内容などから、表現として望ましくないのは「カマしたい」「ころっと」「どついて」などであり、 P35「地域の環境によってこんなにちがうものか。な〜〜るほど」/P73「血の気が引いた。受験票が、ない〜〜〜っ!」 /P74「そして中ほどで――"あった〜〜〜っ!!"」である。
 また、P69「パソコンを親に教える時、子どもは親へのリベンジを果たしているのかも」のように「かも」で止めるのは、いかがか。 P73「将来ある若者たちが、こんな状態では将来日本は滅びる。…」は同じ言葉が近接するのは避け、二つ目の「将来」を「いずれ」ぐらいに置き換える。
 P78「人と人との挨拶はとても重要なものだが、近頃挨拶の出来ない人が多い。若者は勿論、いい年をした人のなかにもかなりいる。」 とP87「ほめる時は必ず名前を言ってほめること、とのことだった」について、前者では一般に"挨拶は人間同士でするもの"であるから、 「人と人との」は不要、また二つ目の「挨拶」を「それ(が)」に置き換えると読みやすくなる。
 ところで、筆者は長年担当したラジオ番組で、常に年齢を「二十八歳」と偽っていたそうだ。 それについて記したのが「第三章 知恵のある人ない人、ことば次第」にあるP98「サバを読む」である。 その語源(解釈)を二つ挙げている。
 その前に「言わずと知れた、歳をごまかすことである」と筆者は断言しているが、"サバを読む"とは「数(数量)をごまかす /実際より多くいう」ことであって、年齢をごまかす(実際より低くいう)のはその"応用"であろう。 これが、本書のハイライトとなっているのは、いかにも皮肉なことではないか。
 《ちなみに、解説を書く神津カンナという"作家"は、初めての出会いについて、P228「そんな広瀬さんのファンだった私が、 実物とお付き合いするようになったのは…」と書き出す。「実物とお付き合い」とは、また素晴らしい表現ですねえ?! ほとんどの"女性"は美人と言うことでしょう、かね?!》
 《蛇足:「将来ある若者たちが、こんな状態では将来日本は滅びる。…」とあるが、実は、このような無神経な表現をする、 (講演などに引っ張りだこの)中高年こそ日本を滅ぼす、という現実のほうが怖いような気がする!!》

(以上、06年8月15日までの執筆)


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