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「ミニ自分史」(103)小浜・神宮寺

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小浜・神宮寺  (1974.5.24 橋本健午)

 あたり一面、黄色いジュウタンを敷いたかのように、菜種の花が咲き乱れている。
 子供の頃、大川と呼んでいた、比較的大きな川の土手を、友人の運転する車で通っていると、それは何の前ぶれもなく、眼に飛び込んで来た。
 こんなに沢山の菜の花を見たのは、勿論生まれて初めてである。

 四月の末にしては、暑い陽射しが、電車内の温度を急上昇させていた。
 米原からの単線運転のジーゼルカーはもどかしく、駅ごとに二分、三分と停まっていた。

 高校の時以来、十五年ぶりに“故郷”(福井県、小浜・神宮寺)を訪れる私は、昨年春結婚した妻と一緒である。
 無頓着というか、止むをえずというべきか、私には“故郷”というものが実感として沸いて来ないのである。
 生まれて、引揚げまでいた大連(ダイレン)(中国・東北部)、幼時を過ごした、この神宮寺、あるいはその後の新所原(静岡県、豊橋に近い)、 茨木(大阪府)が、それぞれに故郷と言えた。

 私にとっては、再び訪れたとき、懐かしく、また、町のたたずまい、知っている人々の顔が、何となく昔の面影を残していたり、 不義理をして、何か急に思い付いて帰ってきたものを、戸惑いと、冷淡さでしか受け止めてくれないだろうと思っていると、 意外に暖かく、笑顔で迎えてくれる。それに何と応えていいのか、適当な感謝の言葉も見当たらず、ただ照れくさがったり、 「大きくなったなあ」というような言葉に、何年もの隔たりが、私の中で、たちまちにして消えてしまうというような、そんな処が「故郷」であった。

 故郷とは、へその緒のように、切れたような、切れないようなものであり、それが時間を超越しているのかも知れなかった。
 もっとも、これは私のひとりよがりで、他人は、盆暮れのアイサツは必ずやるべきだというかも知れない。しかし、私には私の流儀しかないのだ。

 天気は崩れるかも知れないというのが、予報であり、この小旅行をねたむ(?)友人たちの気持であったが、私はわりあい運の強い方で、 何か事を起こすときとか、こういう旅行の時など、必ずと言っていい程、天候に恵まれる。
 いわゆる“お天道(てんと)様がついてまわる”という感じで、いつも有難く感謝しているのだ。 他人には、「日頃の行いがよいからだ」と、言ってはいるが、こればかりは、自分の力ではどうすることもできず、 またその余りの運のよさに、いささか怖れをなしているのだが、今回も、他人も羨むぐらいの好天に恵まれた。

 ご先祖に結婚の報告をするというのが、旅行の目的で、はじめは二月の連休(建国記念日と日曜)の頃を考えていたのであるが、 寒すぎるのと、雪が深くて、山の中のお墓までは到底無理だというので、中止した。
 次に三月の、お彼岸の飛び石連休の時に、お墓参りをと考えたのだが、友人の都合が悪いのと、まだ寒いということで(例年にない大雪だったそうだ)、これも中止。
 一時はもう止めようかと患ったぐらいだが、物見遊山が目的ではないので、天皇誕生日の連休を利用して行くことにした。(中断) (3,5枚)


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