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「ミニ自分史」(77)「写真について <1964・11・15>」

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 わがHP上の「書くこと」欄に「個人的な北海道文化論−道南地方旅行記−」(抜粋)(1964年10月9日〜19日)を掲出しているが、 一つ忘れたものがあるのに気がついた。
 それは、文章のほかに2冊のアルバムを作った中から、いくつかの写真も出しているが、アルバムの最後に記した"写真について <1964・11・15>"である。
 この考え方は、いまでも変わらず、「私のカメラは人物が写らないのです」と冗談まじりに言うと、たいがい信用?してもらえるようだ。

 私は、写真をとるとき、出来るだけ人物を入れない。つまり、人間は邪魔なのだ。たゞ、より効果的にするために利用することはある。 しかし、それもまれなことだ。だから、私の写真は現実には人が沢山いた処でも、全然写っていないか、ほんの小さく見つけることができるくらいである。
 要するに、私はあるがまゝをとってはいない。ウソを承知でとる。それでは、ウソの写真かといわれゝば、すべて真実だと答える。 なぜなら、私の眼には、ある風景を見て、そこに水とボートと黄葉と人が沢山いても、水と黄葉しか写っていない場合がある。 そこで、水と黄葉の写真ができても、それはウソにはならない。芸術はウソを容れてより真実なものにすることであろうから……
 だから、人《ひと》は私の写真を見て、すばらしいと思っていたゞければ、私の目的は達成させられるのである。

 「奥付」に、
   北海道旅行写真集(全2巻)
   製作 橋本健午/豊島区池袋東3-*、U方/TEL…省略
   カメラ アサヒペンタックス〔白黒〕・ゼニット(ソ連製) 〔カラー〕
   協力 ・M君(同行者)/・亀甲館写真店その他 ―1964、東京―

 これらは、アルバム2冊目「林立」の最後の記したものである。のちに、出版関連の仕事に携わる私だが、 このような"奥付"の意味をどれほど理解していたか、自分でも分らない。
 ともあれ、旅をすればそれなりに記録して文章に残すのは、小学校以来であり、写真集を作る場合は、 だれに言われるでもなく、またその意味も知らずに、奥付を設けている。

 では、もう一つさらに古い、手元にあるB5判の「南紀の旅」は、表紙に「高槻学園中学部/第二回卒業旅行 昭和三二年度」と記したもので、 学友との写真だけでなく、パンフレットや絵はがきを流用した安直、かつカラフルなもの。"編集後記"に次のようにある。

何もかも寄せ集めで申しわけない。自分の写真も少ない。―借り物競争で、強い所以である―
主に景色ばかりにしたのだが、一寸かたよりすぎているきらいがある。
とにかく、持っているものを全部使ったのだから、何も云うことはないと思う。
費用はと申しますと、絵端書だけでも100円はかかっている。また、アルバムもその半分位。 それに、風景の写真は少し安く友達から買ったのだから、これも150円位。自分で現像(に出)したものも100円位かかっている。
寸評は、なるべく付けるようにした。それは面白みがますばかりでなく、内容が良くわかると思ったからである。
                       サイン・日付・・・Kengo Hashimoto April Fool 1958

字は始めから下手であるが、これらの寸評に限り敢えて不味くした。以上、弁解まで。

 さて、肝心の奥付であるが、編集後記の次はシロで、その次のページ左下に、「橋本写真文庫1/南紀の旅」と"書名"横書きであり、 その下、縦書きで「昭和三十三年四月一日初版発行」/「編者 橋本健午」/「発行者 橋本健午」と3行あり、 その下部に「定価400円」とある。
 さらに、左寄りに小さな文字で2行あるのは、「落丁・乱丁本はお取替え致しかねます。」「発行所 四月二日をもって閉鎖いたしました。」
 もう一つ、蛇足ながら加えると、先の「定価400円」から下に点線があり、「タダシ」でスタート、右隅まで行くと、 そのまま上辺まで伸び、ついで左に折れ、さらに角に行き着くと、下に下り、最後は「ウリマセン」となっている。
 なお、このアルバムはカレンダーの裏を使ったもので、表紙を入れて15折であった。

 思い返せば、わが人生は、ムダの連続であり、それは他人と同じことをやっては面白くないというアマノジャクな性格というより、 あるいは単なる暇つぶしともいえそうだ。今ごろ反省しても始まらない?!
 (2008・06・20 満66歳の誕生日にとは、なんと皮肉なこと!)


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