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「ミニ自分史」(89)「仕事のつながり…」

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 これまで、01年12月から始めた、わがHP「心―こころ―橋本健午のページ」で、さまざまなコンテンツを掲出してきた。
 そのきっかけは、私のように何の力も後ろ盾のない者でも、インターネットで情報を発信する点では誰とも“平等”であると、 その数年前に直感していたからだった。
 そして、しばらくすると発信だけでなく、受信の効果も出てきたのは予想外のことだった。 双方向という特性を知ってはいたが、私にはそれほど関係のないことだと思っていたからである。
 たとえば、コラムなどへの感想や意見、「梶山季之資料館」や『戦線文庫』に関する問い合わせなどであるが、 さいきんは仕事の依頼も、HPを見てメールが送られてくるようになり、それがまた広がりを持つのだった。 居ながらにして、さまざまな情報を得ることができる、という利点のおかげといえる。
 一例をあげれば、07年8月の夕刊フジ「使える!!シキタリ講座『橋本健午さんに聞くビジネス現場での言葉遣い』」(4回掲載)で、 コメントを求められたのはHPの「仕事」欄に、01年3月上梓の拙著『会社や職場で必要とされる言葉づかいとマナーが3時間でマスターできる本』(明日香出版社)を掲出していたからであろう。

 ところで、このような動きはこれまでの電話(ファックス)の時代になかったかというと、そうでもない。
 その昔1983年6月、41歳のとき、やはり明日香出版社から『らくらく文章ゼミナール』というハウツー本を出した。 このときは勤めていたこともあり、ペンネーム「本橋 游」を使ったのだが、いくつもの“連鎖反応”があった。
<追加…「珍しく、Iさんよりtelあり。本橋 游に講演の依頼とか? 意外や意外!」と、当時の日記(83・08・08)にある。>
 まず、その年10月、岐阜市内で行われた日本損害保険鑑定士協会年次総会で講演を頼まれ、「日常文章の作り方」について話すことになった。 本屋でたくさん並んでいるこの種の本から、私の本を選んだ専務理事の方は、他と比べて分かりやすいことと、苗字(本橋)が同じで親近感を持ったとも言われた。 本名でないのは“怪我の功名”でもあった。
 ついで翌年7月、日本HR協会より原稿依頼があり、「わかりやすい文章ゼミナール」(『自己啓発』No112)を書いた。
 この種の話は、だいたいこのあたりで終わるのが普通であるが、しばらく飛んで、90年3月には日本マンパワーにテキスト『わくわく3000漢字マスターコース』(3分冊)を納品した。 請け負った若い方が一人で手に負えなくなったので、助けてほしいといい、やはり、本屋でだれに頼もうかと本を見比べ、私に“白羽の矢”を立てたそうだ。
 《彼はさっそく出身大学に問い合わせたが、もとより本橋 游など存在しない。出版社に私の連絡先を尋ねるものの、教えてもらえない。 まだ“個人情報”にうるさくない時代だったが、出版社は相手の電話番号を知らせ、私に対応をお任せするという慎重さは、すでにあった》
 このテキストづくりは、なかなかの難物で時間もかかったが、やりがいもあった。 そして、かなりの報酬を提示されたが、“棚から牡丹餅”的な仕事だったので全額は受け取れず、彼に2割ほど譲った。
 《なお、「本橋 游」の初出は1979年の少年向け『マルコ・ポーロの冒険 上巻 大いなる旅立ち』剄文社エコーPS文庫 である》
 さらに、翌91年3月ふたたび日本HR協会から依頼があり、「あなたの個性を生かす文章表現とは」(『自己啓発』No153)を書いた。 これは、20代後半の担当者に文書(手紙など)を書いてもらい“見本”として使うという、まさに実践講座でもあった。
 1年おいて、93年8月今度は日本能率協会マネジメントセンターの依頼で『実践 短文の書き方』を出版し、 同12月にはまた日本マンパワーから『文部省認定 漢字能力検定 模擬試験集 わくわく3000漢字マスターコース』(共著)を出すというように、 橋本ならぬ本橋 游は人知れず活躍をしていたのである。

 なぜ、未知の方から次々と注文が来るのか。私自身何も売り込んではいないが、彼らは自分の作りたいものに、どのような筆者がふさわしいか、 ということをそれぞれに判断し、依頼してくる。私はそれに誠実に応えるだけである。
 別の表現をすれば、情報を得る環境が多様化し拡大され、かつ類書の多い中で、どのような個性が目に留まるか、ということでもある。 言い古された言葉だが「文は人なり」で、だれにでもチャンスはあるといえるのではないだろうか。
 ところで、本業はきちんとやっていたのかと聞かれそうだが、これらは家での仕事、迷惑になることはなかったし、だれも橋本健午=本橋 游とは知らなかった。
 もう一つ付け加えれば、最近の「プレジデント」(09・03・02号)の特集は「時間を操れる人 奴隷になる人」で、 “1日24時間をどう使うか”などについて著名な方々のインタビューやアンケートなどを載せている。
 私自身、先の本などを書いていた91年ごろ、すでに「一日二十四時間 自分で管理(コントロール) すべきだ」との“格言”を得、 かつ「自分の 人生を 生きることだ」と書き残してもいる。


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