おハシ、ハブラシ(ハミガキコ)
マヨネーズ、
カーテンを忘れないように、
新聞は“東京”をとりたいのです。朝日も読売も、おそらく毎日も
読む処はありません。断って下さい。
一人のときは、用心して下さい。
自分のことは、自分で守るよりないのですから(これは、お願いです)
さち子様 健午より
銀行はきまりましたか、ガス料金、電気料金等、いちいち集金に来たときに払いますか。銀行振込みだと、面倒でなくていいですが、
家賃 今月末 28,000
500 ―管理費
250
28,750円表札、婚姻届用紙
柊(ひいらぎ)に鰯(いわし)の頭(あたま)を門口(かどぐち)に (節分の風習) 当日、用意すること
私たち夫婦にも、幸恵が生まれて、三才になった。自分の子供だから可愛いのかも知れないが、なるほど子供とは可愛いものだと思うようになった。
(私は、子供にすかれるが、余り好きではなかったのだ。つまり、人格はあるが、小さいので、どう対処してよいのか、判らなかったからだ)
これからも大変である。
私自身も未だに、安定するという処に達していないし、さち子に心配やら迷惑をかけるばかりで申訳ないと思っている。
しかし、人生は、ひと様々だが、隣りの人ができるからといって、私も同じように出来るものではない。
不器用で、気の利いたことはできないが、自分に忠実に生きるということが、いちばん大切なことではないか。
良心に恥じることとか、いやなこと、社会的に不味いこと、他人を裏切ること、不正なこと――他の人は出来るかも知れないが、私にはできない。
偽善者ぶるのではなく、ひとのように、何の苦もなく、気がるに出来ないのである。
自分の出来る範囲で、最善を尽くすよりないのである。
そういう生き方は、余り夢を感じさせないので、さち子にはすまないと思っている。
しかし、出来ないことを、空(から)約束するのも、かえって裏切ることになる。
いつの日か、自分の家を構えるということも確かに必要であろう。そのために、自分なりに努力はするが、余り無理はしない。
なぜなら、明るく、住み心地のよい家を持ちたいからである。
今、さち子に望むことは、自分自身と幸恵の健康と幸せを、毎日築き上げていくことである。
そうすれば、私は、安心して外で働くことが出来る。
仕事の方も、今までと違って、自分から積極的にやらねばということが、やっと判りかけて来た。
やっと、自分の言葉を持つことが出来るようになった。
まだしばらくは、心配をかけるだろうが、それも、そう長くはないはずだ。
今日も良き日で、つつがなく暮らすことをお願いする。
出勤の時間です、ひとまずこれで。
愛するさち子へ 健午
《ア・イはエアメール用の便箋に、ウ・エは「日刊ゲンダイ」用箋を使用/いずれも、さち子の“家計簿日記”(1)に保管されていた /73年2月…季節社に勤務。梶山季之の助手をしながら、月刊「噂」の仕事も手伝う/78年2月…35歳》》