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「ミニ自分史」(90)「結婚直前、そして5年後…」

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ア) (1973年)1/24 まよなか、あめ、少し よっているかな?

 酒屋   ビールがありません
 石油屋  夏は氷も売っています
 米屋   おいしい麦も少し買って下さい
 薬局 には、公衆電話があり、タバコも売っています、

 おハシ、ハブラシ(ハミガキコ)
 マヨネーズ、

 カーテンを忘れないように、

 新聞は“東京”をとりたいのです。朝日も読売も、おそらく毎日も
 読む処はありません。断って下さい。

 一人のときは、用心して下さい。
 自分のことは、自分で守るよりないのですから(これは、お願いです)
       さち子様      健午より

イ) (1973年)1/25

 7時半、今日は天気がよいようです。
 これから お風呂に入ろうかと思って、お湯を入れています。どうも一人だと、面倒に思えて何もしません。何とかして下さい。
 もう こちらにきてから十日もたったのですね。迷わずに帰ってきますが、生活がありません。

 銀行はきまりましたか、ガス料金、電気料金等、いちいち集金に来たときに払いますか。銀行振込みだと、面倒でなくていいですが、

   家賃 今月末   28,000
              500 ―管理費
              250
            28,750円

  表札、婚姻届用紙

  柊(ひいらぎ)に鰯(いわし)の頭(あたま)を門口(かどぐち)に (節分の風習) 当日、用意すること

ウ) 一九七八年二月三日 朝     室温七度/快晴

 さち子と結婚して五年、“木婚式”である。
 五年というのは、長いようでいて、またずい分短いような気がする。
 色々なことがあった。人の生と死と、喜びと悲しみが、何の脈絡もなく、続いた。
 それが人生というものかも知れない。

 私たち夫婦にも、幸恵が生まれて、三才になった。自分の子供だから可愛いのかも知れないが、なるほど子供とは可愛いものだと思うようになった。
(私は、子供にすかれるが、余り好きではなかったのだ。つまり、人格はあるが、小さいので、どう対処してよいのか、判らなかったからだ)

 これからも大変である。
 私自身も未だに、安定するという処に達していないし、さち子に心配やら迷惑をかけるばかりで申訳ないと思っている。
 しかし、人生は、ひと様々だが、隣りの人ができるからといって、私も同じように出来るものではない。 不器用で、気の利いたことはできないが、自分に忠実に生きるということが、いちばん大切なことではないか。
 良心に恥じることとか、いやなこと、社会的に不味いこと、他人を裏切ること、不正なこと――他の人は出来るかも知れないが、私にはできない。 偽善者ぶるのではなく、ひとのように、何の苦もなく、気がるに出来ないのである。
 自分の出来る範囲で、最善を尽くすよりないのである。

 そういう生き方は、余り夢を感じさせないので、さち子にはすまないと思っている。 しかし、出来ないことを、空(から)約束するのも、かえって裏切ることになる。
 いつの日か、自分の家を構えるということも確かに必要であろう。そのために、自分なりに努力はするが、余り無理はしない。 なぜなら、明るく、住み心地のよい家を持ちたいからである。

 今、さち子に望むことは、自分自身と幸恵の健康と幸せを、毎日築き上げていくことである。 そうすれば、私は、安心して外で働くことが出来る。 仕事の方も、今までと違って、自分から積極的にやらねばということが、やっと判りかけて来た。 やっと、自分の言葉を持つことが出来るようになった。
 まだしばらくは、心配をかけるだろうが、それも、そう長くはないはずだ。

 今日も良き日で、つつがなく暮らすことをお願いする。
 出勤の時間です、ひとまずこれで。
     愛するさち子へ         健午

エ) (1978年) さち子に贈る  二月九日

 おはよう、今朝の目覚めはいかがですか。
 静かな、穏やかな朝です。
 どんな夢を見たのかな。また、追っかけられた夢かな(?)幸恵は無事ですよ。
 五年経ちました。早いものです。
 色々なことがありました。しかし、いつでもさち子は冷静に対処してきました。
 ありがたいことです。何にもまして心強いことです。
 これからも、人生は何が起こるか判りません。
 でも、安心です。いつもの、さち子がいますから。
 夫婦というのは、判り合えるようになるには、時間もかかるし、また程度の問題もあります。 しかし、さち子と私は、かなり判り合っているように思います。
 それだけが、宝なのです。無理をしてはいけません。自然にそうなることが、いちばん大切なのです。
 物質的に恵まれることも必要です。
 しかし、それも自然に、手に入れられるときが来るまで、待ちましょう。
 さち子にとっては、女性らしく、色々やってあげたいことがありますが、全部一度にというわけには行きません。 私は分相応にしか生きられないのですから。
 結婚して五年、今までも大切でしたが、これからも、もっと大切な日々です。
 健康に留意します。さち子は自分のことと幸恵のことをお願いします。
 みんなが、つつがなく生きているということがいちばんの幸せなのです。ではまた……
            一九七八・二・九      健午
     愛するさち子 へ         

《ア・イはエアメール用の便箋に、ウ・エは「日刊ゲンダイ」用箋を使用/いずれも、さち子の“家計簿日記”(1)に保管されていた /73年2月…季節社に勤務。梶山季之の助手をしながら、月刊「噂」の仕事も手伝う/78年2月…35歳》》


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