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電子版 梶山季之資料館 開館について(ごあいさつ)

 本日(2005年5月11日)、梶山季之の没後30年を迎えました。

 昭和33年から同50(1975)年5月11日に没するまで、17年余にわたる梶山の作家活動は、 出版界における小説雑誌の全盛という時期とも重なり、多彩を極めました。

 編集者から「梶サン」と親しまれ、週刊誌時代を築き、トップ屋と呼ばれたのち、"産業スパイ"小説で一躍、 流行作家の仲間入りをし、社会派、弘済会作家、創刊号男、ポルノ作家などさまざまな異名を奉られた梶山季之です。

 一方、冗談好きの"だじゃれ関脇"、また面倒見もよく、酒場では他人の分も支払って先に出る"フケの梶山"であり、 もちろん編集者の"困った時の梶頼み"の無理な注文に嫌な顔もせずという、サービス精神の旺盛な人でもありました。

≪写真撮影:秋山庄太郎氏、市谷の自宅にて1972年2月≫

 しかし、長年の構想と1万点余の資料をもとに書き始めた、太洋小説ともいうべき『積乱雲』は、とうとう日の目を見ず、 45年4か月の生涯を閉じたのでした。

 助手として8年半ほどそのそばにおり、また香港に遺体を迎えに行った私は、その"遺志"を継ぐべく、 梶山美那江夫人編纂になる『積乱雲 梶山季之―その軌跡と周辺』(季節社1998・02)を参考にさせていただき、 昨年の今日、この「電子版 梶山季之資料館」を設立いたしました。

 これまで、若い人々を含め研究者やファンの方々に、梶山の作品やそれに付随するさまざまな活動、 また言論の自由が危うい今日、故人がペンの力でいかに"権力"に対抗したか、改めて見直す資料となればと念願し、 さまざまな角度から展示を行ってまいりました。それは、主として生前の事跡ですが、あまりにも膨大な資料のため、 まだ完成には至りません。

 さて、今年1月末、私もいただいた美那江夫人の「寒中お見舞い」の後半に、最近の動きが記されていました。 04年12月に関する部分を要約しますと、

◎年内に『赤いダイヤ』(上下)の刊行と、05年1月『見切り千両』(作品発表当時の三鬼陽之助氏との対談収録)の刊行予定(ともに新書版「パンローリング」社)
◎故人と同郷で大学の後輩、作家大下英治氏から、『梶山季之伝』を書き進め、没後30年に間に合うように刊行(予定)との電話
◎この「電子版 梶山季之資料館」に関する紹介
◎日本著作権センターより封書、米コロンビア大学出版局が『近代日本文学選集』(3部作〈1968〜1945〉)として英語訳を出版するとの話 (「梶山季之『族譜』」、出版予定05年5月)。《『族譜』はすでにハワイ大学出版局より朝鮮関係小説集『ザ・クラン・レコード』(=族譜)として95年5月に英訳出版されており、それを流用するとのこと》

 同夫人によりますと、その後、ある出版社から梶山の長編や短編集の刊行、また別の社からは時代物の出版、 さらに「日韓友情年」でもある今年にちなんで、映画『族譜』の上映などの話も舞い込んでいるそうです。

 そこで、私は本日から「梶山季之没後30年」企画として、亡くなった年から最近までの30年間の梶山に関する、 主として活字によるさまざまな資料をお届けしたいと思います。いわば、いまだ"生きている"梶山季之、の続編ともいえるものです。

 同夫人は今も、自宅に8畳ほどの部屋を設け、特製の本棚に総計700点を超える故人の自著、関連本や雑誌を収納するほか、 新聞の切り抜き、年ごとのスクラップやファイルがずらりと並ぶなかで、その収録物だけでなく原爆・朝鮮・移民関係の各資料、 手帳やパスポート、手紙類の整理を続けておられ、故人にゆかりのあった中田建夫さんと細川英煕さんが、それを手伝っております。

 おかげさまで、私はこの方々のご協力により、本企画を短期間でまとめることができました。とはいえ、いまだ十分とはいえず、 さらに追加や修正を行い、より完全なものを目指しております。また、作品名・著書名などから検索ができるようなデータベースの構築に向け、 努力を重ねる所存です。

 至らぬ点のご指摘やご教示など、お寄せいただければ幸いに存じます。今後とも、よろしくご支援のほどお願いいたします。

 また、当「資料館」は、ハワイ大学(UHM)図書館内「梶山文庫」からの要請を受け、本日を期して相互リンクを行うことになりました。 この「梶山文庫」には、1977年、美那江夫人により寄贈された原爆・朝鮮・移民関係を中心に梶山が生前集めた書籍類約7000冊が収められております。 どうぞ、ハワイ大学図書館「梶山文庫」も訪ねてみてください。

2005・5・11橋本健午

<参考>2004・5・11の開館のごあいさつ


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