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T-1〕著作に関して 書籍編へ

〔I〕著作に関して 書籍編 詳細 −選集・シリーズ等のあとがき・解説ほか−

1)書籍編

オ、選集・シリーズ等のあとがき・解説ほか

38・09/SEXスパイ/集英社/単行本

〔あとがき…この本には、いわゆる〈産業スパイ物〉ばかり、集めていただきました。 (中略)小説ですから多少の誇張や脚色はありますけれど、事件の骨子は私が取材した真実そのままで、 このような事件が実際に日本で起こっている、ということだけは、自信を持って断言します〕

A)講談社版「梶山季之傑作シリーズ」(全7巻、新書版も刊行)

〔1〕S40・07/ある復讐/講談社/単行本 ★42・05新書版
〔著者あとがき…自分の作品を、自分で解説するということは、どうも気恥ずかしい行為である。 それは自分の吐瀉物を、指でかき廻している行為を、私に連想させる。だいたい小説なんてものは、 読者がどう受け止めてくれるか、ということにかかっているわけで、それを作者がしたり顔で、 「この小説の意図したものは――」とか、「この小説のモチーフは――」などと説明したって、無意味なのである。 作者の意図したものが、十二分に描き出せていたら、その小説は成功したのであり、読者が、つまらないとか、 わからないと云ったら、それは失敗作なのである。だから、私は自己弁解めいた解説はしない。 //ここに納められた六つの短篇は、それぞれ雑誌に発表したものだが、取材については、いろいろと苦労している。 /作品として、愛着のあるのは、<新潮・新年号>に発表した『ある復讐』であろう。 /秘密探偵社に勤めている人物から、いかに素行調査などが、出鱈目であるかと云う話を聞き、義憤を感じたことが、 この小説を書く動機となった。/後に、木村功氏の主演でテレビ化されたとき、興信所の人々から抗議されたが、 真面目な調査員ばかりであれば、あの小説は生まれなかったことを、附記しておきたい。 /『風のない月夜』は、小説中央公論に書かせて頂いた。/部落ぐるみの犯罪という点に、大いに興味を抱いたことから生まれた作品だが、 むろん場所などは架空である。この小説の中では、トップ屋時代の私の生活が、かなりくわしく描かれている。 /『モチは餅屋』は、実際に起きた事件が骨子となっている。刑事たちが捜査に行き詰った挙句に当用漢字という突破口をつかむということは、 いかにも小説的ではあるが、実話である。/『一匹狼』は、デパートの苦情にも、いろいろなケースがあると云うことを、 読者に知らせたくて書いた。世の中には、、いろんな人間がいる。悪知恵の働く連中も……。 そうした悪人に翻弄される企業も、少なくないということを警告しておきたい。/『悪の勇者』には、特定のモデルはないのだが、 読者の中には、ある人物を想起される方もあろう。それはそれでいいと思う。/『落下する浮気』は、 団地を取材していて思いついた、架空の所産である。婦人雑誌に書いた〕
〔2〕S40・08/SEXスパイ/講談社/単行本 ★42・08新書版(「男の階段」に改題)
〔著者あとがき…私が文壇にデビューできたのは、トップ屋を辞め、静養のために入院した病院で、 『黒の試走車』という小説を書いたからである。これが所謂、産業スパイ小説のハシリとなり、 デビュー当時は産業スパイを扱った小説ばかりを書かされた。また、よく講演会などに、引っぱり出されたことである。 だが、それも今では、懐かしい想い出となった。/セックス・スパイの三作は、雑誌の注文で書いたものだが、 事件は現実にあったものに、かなりの粉飾を交えてある。「産業スパイならともかく、セックス・スパイなんてないでしょう……」 という人がいる。しかし、それは間違いである。女性の産業スパイは、現存するのだ。 アメリカあたりでは、トップ・シークレットを盗めるのは、セックス・スパイだけだといわれているが日本だって同じことである。 私は幾人かの女性の産業スパイを知っているが、日を逐うて多忙のようである。それらの女性たちは、 はじめから産業スパイとして養成されたのではなくて、酒場だの、座敷だので働いているうちに、ある筋から要望されて、 スパイを働くようになった人が多い。/人間、酒を飲むと、つい口が軽くなる。 「ねえ、今度の日曜日に、ゴルフに連れてってェ!」などと誘われて、手帳をのぞきこみ、 「いや、だめだ、土曜日に、スイスから客が来るんでね、うん。新しい特許を買うんだ……」なんて、 ついつい会社の重大な機密を、ホステスにしゃべっている社長族を、よく見かけやしないか?  私は、酒を飲んだときが、いちばん秘密を盗まれやすい、危険なときだと思っている。『セックス・スパイ』三話は、 そうした意味で、警告を含めて執筆したものである。/『男の階段』は、女性週刊誌に書いた中篇である。 出世をめざす男性が、有利な結婚話のために恋人を捨てるというケースは、決して少なくはない。 また、そのために、恋人を殺すというケースも、珍しくないのである。/『ある事故死』は、タクシーに乗っていて、 運転手から、「オカマを掘る」という専門語を教えられ、それがヒントになって書いたものだ。 これは追突のことだが、一重衝突ではなく、二重衝突にして、犯人をあの世に送ったところがミソである。 /以上、手前味噌ばかりで、いい気になって書いたが、第一巻にもふれたごとく、自撰集のあとがきなんて、 野暮の骨頂かも知れぬ。どうか、あとがきはほったらかして、中味の方を読んでいただきたい〕
〔3〕S40・09/詰め腹/講談社/単行本 ★42・06新書版
〔著者あとがき…このあいだ助手の人から、私の本が、三十冊を越えていることを知らされて、ビックリしてしまった。 三年間で、三十冊の本を書いたわけである。来年あたりから、少し量を減らして、もっと良い作品に取り組みたいと考えているが、 生来、気が弱くて、頼まれるとイヤと云えない方なので大いに自重している。/いつも酒ばかり飲んでいて、締切日になると、 ヒイヒイ悲鳴をあげる私をみて、ワイフは、「あんまり遊んでばかりいるからよ……」と、よく叱言を云う。 /しかし飲んでいても、絶えず仕事のことが、頭の片隅にへばりついているのだ。文士とは悲しい生業である。 それに私はナマケ者だから、締切日が迫るまで、ペンを執る気になれない。もっとも、次の作品で書こうとする材料を、 頭の中でこね廻し、次第に醗酵するのを待っているといった気配も、たしかにある。あまり醗酵しないうちに、 ペンを執ってもよくないし、醗酵しすぎても、だらけてよくない。作品の仕上りが悪いのである。 /この第三巻には、ある事件があって、それを取材してから執筆した作品を、多く収録して頂いた。 その意味で、私としては愛着が深いが、読み返してみると、醗酵前にペンを執ったような作品もあり、 慙愧に堪えない思いである。/『詰め腹』は、ある石油会社の社長が、金融資本の陰謀と、官僚の圧力とによって、 追い出された話を書いたもの。政治献金で、有名な会社だったから、ハハア……と頷かれる方も多かろう。 むろん、フィクションの部分も強いが、その社長が、「政治家なんか、金だけとっておいて、いざという時にはソッポを向く。 政治家ほど、頼りないものはない」と、憤慨していたことを附記する。/それにしても、なぜ同じ乗取りでありながら、 銀行が企業を乗取ったときには、世間は批難しないのであろうか。私には、この辺がよくわからない。 /『唇さむし』も、実際にあった事件である。この取材のさなか、私は裁判というもの、検察官僚というものについて、 つくづくと考えさせられた。/『四本目の鍵』は、フェティシズムを取り扱ったものだが、終りのオチが効いているか、 どうかよくわからない。私は、ふとしたキッカケで、男色というものが存在することを知り、以来、 変態性欲というものに興味をもち、かなり文献も集めた。私の作品に、歪んだ形のセックス描写が多いのは、 どうやらそのためらしい。/『遺書のある風景』も、東北で実際にあった殺人事件をヒントにしている。 /『裏口入学』は、ある私大で起きた不正事件を調べて書いた。だが私には、その不正事件よりも、私立大学という、 不可思議な機構の方が、面白かった。いずれそれをテーマに、長編を書いてみたいと考えている。 /『現代の忠臣蔵』は、石油化学の特許導入にからむ、メーカー、商社の内幕について取材した所産である。 /原稿に追われて、さいきんの私は、ほとんど取材できない有様だが、にも拘らず、いろいろなタネが集るのは、 トップ屋時代に私と仲間が知り合った、数多くの業界紙記者や、その他のジャーナリストの方々のおかげである。 それと、私の取材を手伝って呉れている、私の愛すべき仲間たちの協力の賜物である。彼等なくして、今日の私はない。 あとがきの末尾を借りて、衷心よりお礼を申し述べておきたい〕
〔4〕40・10/風変りな代償/講談社/単行本 ★42・07新書版、58・04角川文庫『風変りな代償』は別編成
〔著者あとがき…このあとがきは、米国はシアトル市のベンジャミン・フランクリン・ホテルの一室で書いている。 出発前に、なんとか作品に目を通して執筆したかったのだが、ついに果たせなかった。だからこの一文は、 作品の記憶にたよって書くことになる。/『風変りな代償』 これは締切日のギリギリまで、なにを書いてよいのか、 自分でも材料に困り、旅館で無為に三日を過したという苦い経験がある。机に向かえば、一気呵成に書上げてしまう性質の私にしたら、 珍しいことである。/旅館で、井上泰宏氏の『犯罪と性』という本を拾い読みしているとき、友人から文士劇を見に来ないか……という電話がかかった。 /<えーい。なんとかなるだろう……>と、一行も書かずに、宿を出て東宝劇場に行き、文士劇を大いに野次って廊下に出たら、 私の原稿を待っていた編集者の某氏と、バッタリ顔を合わせた。<しまった!>と思ったが時すでに遅く、 怖い顔をした編集者氏から、「こんな所に遊びに来て居られるのなら、間違いなく明朝十時に、頂けるのでしょうな」と云われた。 /仕方なく私も、承諾したものの、冷汗三斗の思い、たちまちタクシーで上野の宿に素っ飛んで帰ったが、 その車中で井上泰宏氏の本の内容がヒントになり、一つのストーリーを掴んだ。/宿に帰って、坐りづめで十三時間半、 百七枚を書上げて、約束の時間に原稿を渡せたときは、ただ責任を果たせた……という思いだけで一杯だった(注)。 これは私の超スピード記録の一つで、それだけに愛着がある。/『電波が殺した』は短編だが、トリックの点で案外、 私の気に入っている。/『一押し二金』は、醜い顔に生まれついたために、コンプレックスに悩まされていた少年が、 金銭欲にとり憑かれる話を書いたものである。別にモデルはない。/『地面師』と『怪文書』とは、実際にあった事件を調べて書いた。 /金融難に陥ると、導入屋という商売が横行する。その導入屋ブームに乗って、実在した大地主を詐称し、 金を捲上げた吉村寅市という人物のモデルに、私は面識があるが、いつか麻布二の橋の待合で、 花札の妙技を見せて貰ったことは事実である。/私はなぜか、この吉村寅市という人物には愛着を持ち、 同名で『のるかそるか』という長編のなかで登場させた。/小説を書く場合、登場人物で困るのは、その名前である。 最近もある作家が、実在の人物の名前を小説の表題に使ったため、週刊誌あたりで騒がれたが、これは仕方がないと思う。 だから私は、それを避けようとして、同じ名前を二度つかったりするのである。/『怪文書』のモデルにも、私は面識があった。 地方銀行の人事をめぐる葛藤を描いたものだが、書上げた後、これはじっくりと長編に仕立てた方が良かった……と後悔したことである。 /『恋のかなしさ』も短編。私は四、五十枚という注文が、どうも苦手だ。それは人間感情の推移を描こうとすれば、 事件の経過がおざなりになり、事件に重点を置くと、人間が類型的になってしまうからである。 作者としては、いろいろと新しい試みをしているのだが、読後感がわるければ、やはり成功したとは云えまい。 もしかしたら私は女性を描けない作家なのかも知れぬ〕
(注)季節社編「積乱雲」によると、38・02小説新潮103枚とある。
〔5〕40・11/歪んだ栄光/講談社/単行本 ★42・07新書版
〔著者あとがき…考えてみると、私の同人雑誌歴はかなり長い。広島時代に、「天邪鬼」という雑誌を創刊してから、 「広島文学」「希望」という二誌を経て、終着駅は第十五次「新思潮」であった。そうして私が、小説の書き方というものを、 曲がりなりにも体得できたのは、この第十五次「新思潮」の同人として、末席を汚してからだったように思う。 /この名門の雑誌には、三浦朱門、曽野綾子夫妻をはじめ、有吉佐和子、村上兵衛、阪田寛夫、村島健一、竹島茂、荒本孝一、 野島良治(死亡)……といった才人たちが、同人として加わっており、私のような田舎漢には、大いに刺激になったものである。 この本には、いわゆる純文学の匂いのするものを集めて頂いたのだが、読み返してみると、いろいろ思い出があって懐かしい。 /『合わぬ貝』は、「新思潮」から推されて、「新潮」の同人雑誌推薦作品集に応募したもので、私の小説が、 小説誌にはじめて掲載された、いわば処女第一作みたいなものである。小鍋夫人覚書という架空の文献に拠って、 松尾芭蕉が男色家ではなかったか……という推理を働かせたものだが、博識で知られた三浦朱門氏までが、同人会で、 この架空の書物に一杯喰わされたのは、ちょっと愉快だった。/もっとも朝日新聞の文芸時評欄では、山本健吉氏から、 「そんな書物はない」と、あっさり看破られたけれど。ただ、心残りだったのは、文学界だったかで、いくら二月だって、 桜が爛漫と咲き乱れるものか――と批評されたことである。小説に出てくるその年は、閏月の年であったことを、 批評家氏はご存じなかったらしいのである。むろん匿名批評だから、抗議のしようもなかったが、 当時は自分の作品に対する批評については、かなり敏感だった。文学青年だったのである。 /『幻聴のある風景』は、安岡章太郎氏の『ジングルベル』という作品に刺激されて書いたものだが、 自分ではかなり気に入った短篇の一つである。/『性欲のある風景』も、同じく「新思潮」に掲載されたもの。 一度、新潮編集部に送って、返却された作品だが、のちに同人たちから「手を入れてから、良くなった」と賞められた。 昔は、一つの作品を、何度も何度も書き直したものである。/『歪んだ栄光』は、私の兄が官庁につとめていて、 ノイローゼ気味の部下から、殺されかかった事件を書いたもの。あとで精神分裂症だとわかったが、 ふだんは常人と全く変わらないという人間が、われわれの周囲にいるということは、不気味だし恐ろしい。 /『闇船』は、コミックな味を狙ったのだが、あまりその狙いは効いていないようだ。かなり長い間、暖めていたテーマでも、 やはり原稿用紙に向かうと、うまい工合に筆が運ばないものである。やはり才能の乏しさなのだろうが、 終戦直後のソウル市の混乱状態については、いずれ日を改めて書き残しておきたいと考えている。 /『李朝残影』は、直木賞候補になった作品で、その意味でも懐かしい。ただ小説の結末が、あまりにも安易すぎると批評されたが、 私も同感である。しかし、この小説を書いたとき、これは長篇の第一部のつもりであったことを触れておきたい。 第二部、第三部を執筆できない儘に、今日に及んでいるが、私がなまけ者の故為である。/生来、欲の深い方で、 私は作家として立つことになったとき、三つの作品を書き残したいと考えた。一つは、日系人の移民史である。 いま一つは、日韓併合前から、朝鮮動乱までの、日韓裏面史であった。そうして残りの一つは、原爆以後の広島である。 いずれも、取材に出かけたり、かなりの文献も集めているが、いつになったらとりかかれるのか予想もつかない。 困ったことである〕
〔6〕40・12/冷酷な報酬/講談社/単行本 ★42・06新書版
〔著者あとがき…二ヶ月ばかり、中南米を旅して来た。海外で活躍している日系人に会うことが目的であったが、 思い切って旅に出て良かったと考えている。それは、いろんな意味で、日本を海の外側から眺めることができたからである。 つまり、客観的に日本という国を、評価することができたわけだ……。/振り返って、自己の作品ということになると、 やはりこれは客観的に眺める――というわけにはゆかない。どうしても、評価が甘くなる。また、自己嫌悪めいた感じに駆られる。 五巻の約束だった私の短篇集が、さらに二巻ほど続刊されることになり、改めて通読してみたところ、 いまさらのように自己嫌悪めいた感情に陥らされた。下手糞な小説が多いからである。もっと勉強して、 いい仕事をしなければならぬと、強く自戒しつつ、このあとがきのペンを執っている。 /『カードは一度戻ってくる』という作品は、思わせぶりに長ったらしい題名をつけたものだと思われるかもしれないが、 私としてはこの長い題名が気に入っている。そして題名の真意を知るには、小説を読んで頂くより仕方がない。 /『どんでんがくる』という作品は、題名だけ先に出来ていた。それを長いこと暖めているうちに、こんな小説が出来上がった。 /取材にウエイトをおく私としては、題の方が先に出来上がっているなんて珍しいケースである。 /いつも題名も考えずに、ぶっつけに書き出しはじめ、ウッカリすると、題もつけずに雑誌社に原稿を渡してしまったりする位だから、 私は小説の題名を考えるのが、とても苦手なのである。/この『どんでんがくる』という題名は、私の愛着を誘う傑作で、 もう一度だけ、この題名で作品を書きたいと思っている。その意味は、ドンデン返しというほどの意味である。 /『冷酷な報酬』とか、『罠にかけろ』などは、どうも犯罪映画の題名じみていて、我ながら気恥ずかしい。 『紐育から来たスパイ』は、「寒い国から来たスパイ」という翻訳小説の、題名をもじってつけた。明らかに盗作である。 その点、『ポケット作戦』というのは、自分でも悪くない題名だと思っている。/小説を書く場合、苦労するのは、 主人公の名前である。私は電話帳をくって、珍しい姓や名前を拾いだし、それを組み合わせたりするという方法をとっているが、 なかなか自分のイメージにぴったりとした名前を発見することはむずかしいものだ。/主人公の名が決まり、 脇役として登場する人物の名前が決まると、それらの人物たちが、私の大脳の襞の中で、イキイキと活動をはじめる。 それを追っているうちに、なんとなく小説は出来上がるのだが、ペンを擱いてから、頭を悩ますのが題名である。 /小学生のとき、作文に自由題が出されると、私はユウウツになったものだが、はじめから題名を決められていた方が、 私みたいなナマケ者には書き易いように思えてならない。/読者はおそらく、作者が題名にどれだけ頭を悩ましているかについては、 ご存じないことと思う。また、それでよいのである。しかし、そんな苦労もあるということを、知って頂きたいために、 楽屋噺として披露した次第である。/題名をつけるのは、むずかしい〕
〔7〕41・01/暗闇の女/講談社/単行本 ★42・05新書版
〔著者あとがき…海外旅行から帰って約一ヶ月たった。そうして私は、どうやら昔のペースを取り戻したようだ。 それには矢張り、仕事場をコーポラスの書斎から、都市センター・ホテルの一室に移したことが、預って力があるように思える。 この仕事場は、私が旅行に出掛けるまで、毎日通い詰めた古巣である。三年間の匂いが、その部屋には滲みついている。 /習慣とは、おそろしいものだが、コーポラスの中に、独立した書斎と書庫とを持ちながら、ホテルに通う私を、 人々は大いに不思議がるようだ。しかし、私に云わせたら、若干の云い分がある。/先ず都心にあるために、 取材にすぐ飛び出せるという利点があることだ。相手は、忙しい人が多い。書斎から、住宅の方に上って行き、洋服を着替え、 エレベーターで降りて車を拾う……という作業は、簡単のようにみえて、なかなか辛いものである。その点、ホテルだと、 気軽に飛び出せる。ここは家庭という雰囲気もなく、またワイフや娘もいない。私という人間は、家庭という雰囲気の中では、 モリモリと仕事ができない性格らしい。/次に、書斎で仕事をしていて、いろんな疑問点が出てくると、 書架のあらゆる本を渉猟して、納得の行くまで調べるという私の癖がでる。これは作家の良心だと思うのだが、 資料を読みだすと、ついつい他のことがらまで面白くなり、時間の経つのを忘れてしまう。こいつが困り物なのである。 締切に追われている身としては、これは大いなるマイナスではないか。また、書斎に娘が遊びにくると、 ついつい娘可愛さに相手になって遊んでしまう。親馬鹿と人は笑うだろうが、可愛いものは仕方がない。 /……こんなわけで、書斎では仕事が捗らず、取材に出るにも億劫になってしまうのだ。それで已むなく、 元の古巣に舞い戻ったという次第である。思えば作家稼業に入って、この二月で満四年目を迎えるが、 その間に四十冊の単行本を上梓して頂いた。しかし、これはどう考えても、正常ではない。/だから今年からは、 仕事の量を減らし、野心的な書下しに入りたいと思う。だいたい、外国の作家は、年に一、二作しか作品を発表していない。 また、それでいて、結構食えるらしいのである。私としては、ちょうど今年あたりが、作家としての大切な時期のように思える。 私も、その大切な時期を、矢張り本腰を入れて過ごしてみたいと考えている。/作品について触れる余裕がなくなったが、 この一巻には、私としては女性を中心にした小説ばかりを集めて頂いた積りである〕
42・04/生贄/徳間書店/単行本//「アサヒ芸能」連載(「社告」??)
43・04/「快楽の実験」/河出ベストセラーズ/新書判/"エッセイ―おんなの味覚旅行―"
〔著者自身の広告(コマーシャル)…私は、自分のために書く原稿と、読者のために書く原稿とを明瞭に区別している。 /つまり、ゼニをもらって書く原稿には、徹底的なサービスをすることに決めているのだ。そしてこれは、 私が職業作家として生きる決心をした時から、固く守り続けてきた姿勢なのである。/ところが、この"快楽の実験"だけは、 この二つの分類に入らないようであった。一つは自分で楽しみながら書き、一つには読者へのサービスのつもりであったからだ。 それだけに、自分でも読み返してみると面白く、いたるところでニヤニヤし、抱腹絶倒し、そしてこの"快楽の実験"を書いてのは、 自分であると再確認して、また哄笑した次第である(カバー裏より)〕
44・06/人間の探検/ベストセラーズ/単行本//『宝石』「人間の探検―性の秘境を発掘する―」シリーズ
〔著者自身の広告(コマーシャル)…いちばん判っているようでその実、あまり判っていないのが、人間そのものです。 たとえば、ガンにしてもなぜ発病するのか究明されておりません。人間が月世界へ着陸しようとしている時代に! /私は文士の端くれですから、人間そのものに愛着を覚えます。そしてスケベ人間ですから、やはり桃色の世界に限りなく愛着を覚えるのです。 しかし、この世の中は判らないことだらけです。一例をあげますと、巷間よく耳にするところの"タコ"です。 それが女性の名器の称であることは知ってます。ですが、一言の許にタコとはいかなることであるかを、 明快に自信をもって他人に説明できる方が果たして何人いるでしょう? また、その説明が正しいとか間違っているとかを指摘できる人が、 何人いるでしょう?/私は幼い日に疑問をもち、ニキビ華やかなりし頃、煩悶し、そして長じたる後にも、 いまだに判然としない、苛立たしい桃色の世界のモヤモヤを、この本の中で解明することにしました。 /私はこれまで多くの書物を読んで研究し、さらに千人斬りなどという大事業をなしとげましたが、それはすべて、 この判っているようで判らない事実に、スポットをあてるためであったのです〕
46・02/見切り千両/講談社/単行本//「別冊小説現代」連作《45・07掲載分…第2回小説現代ゴールデン読者賞受賞》
「別冊小説現代」45・07号掲載の〈連作小説〉見切り千両〔180枚〕に対し、読者賞 受賞のことば /「……地方へ講演などに行くと、よく私は直木賞作家に間違えられる。世間では、小説家として活躍しているのだから、 直木賞ぐらい貰っているもの――と考えるのだろう。/お恥ずかしい次第だが、私は、まだ如何なる賞も受けていないし、 若し機会があっても、山本周五郎氏のように、お断りする積りでいる。/しかし、小説現代の読者賞だけは、 喜んで頂くことにした。なぜなら、一握りの撰衡委員が撰んだのではなくて、私と血の通った読者からのお褒めの言葉だと思うからである」
47・05/梶山季之のあたりちらす/サンケイ新聞出版局/単行本//「夕刊フジ」連載
(第1章 女について/第2章 酒について/第3章 遊びについて/第4章 食事について/第5章 家庭について /第6章 仕事について/第7章 社会について/第8章 政治について)/

B)集英社版「梶山季之自選作品集」(全16巻、配列は刊行順)

〔2〕47・09/黒の試走車・傷だらけの競走車
〔著者あとがき…『黒の試走車』は、私の最初の書下ろし長篇です。この一作によって、私は文壇に出たと云っても、 過言ではありますまい。この処女作のため、企業間における産業スパイの存在が認識され、 各社とも機密保持に神経をとがらせるようになったそうです。その後、いろんな産業スパイ事件が、新聞を賑わしていますから、 読者もすでに御承知でしょうが、発表直後は、私がその産業スパイの首魁に思われて、大いに迷惑しました。 /『傷だらけの競走車』は、この処女作の続編とも云うべきもので、有名なモンテ及びサファリのラリーにおける企業競争を描いてみました。 南仏など、一ヶ月ちかく滞在して、取材したのですが、この時ばかりは、語学力のないことが残念でした。 フランス語が流暢に話せていたら、もっともっと面白い小説が描けただろうに……と大いに悔んでおります。 /この二つの小説のエッセンスをとり、もっと国際的なスケールの大きな長篇小説の執筆を、外国の出版社から頼まれたりしましたが、 目下のところ、思案中と云ったところです。 七二年七月二十七日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔13〕47・09/女の警察・SEXスパイ
〔著者あとがき…どうやら私には、小説を書く時、硬派と軟派と云う二つの姿勢があるようです。 新聞などにも報道されなかった疑獄事件、汚職事件その他を取り上げる時は、むろん硬派的な姿勢です。 これはレポーター時代からの癖で、足で調べた材料を、小説に仮託しながら、ある怨念をこめて、私なりの正義感を、 叩きつけるように書きます。従って、一般の読者の方には、あまり喜ばれない小説になります(例・夢の超特急)。 /軟派型のときには、これまたサービス精神に徹しきってアルチザンの腕の見せどころと許り、 面白くて為になることだけを念頭に、執筆します。これが所謂、ポルノ小説で、すっかり私をスケベ文士として有名にして呉れましたが、 ただのポルノ小説として読まないで頂きたいのです。私は、その小説の中に新しい性知識を一つでも、 二つでも読者に紹介している積りですから――。/誰かが、私のポルノ小説を批評して、「あれは単なる好色小説ではない。 性教育小説だ」と云われたそうですが、私の云う、面白くて為になる、と云う狙いは、ここなのです。
『女の警察』『SEXスパイ』は、私のこの硬軟二刀流をつきまぜて、新しく一刀流にしてみる試みから、誕生した小説です。 むろん、成功したか、否かは、読者の批判を仰ぐよりありません。 七二年七月二十七日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔14〕47・10/苦い旋律・真昼の孤独//他に、憑かれた女
〔著者あとがき…いわば男の同性愛を取り扱った小説は多いのに、なぜ女性のレスビアン小説はないのだろうかと云う不満が、 私にこの小説を書かしめた動機であります(注1)。一つには、女性週刊誌から、絶対に当たる小説を……と依頼されたことも、 その端緒のひとつになっているようです(注2)。人間には、知識としては、薄ボンヤリと理解していても、 その実体とか、真相を知らないで、過ごしていることが、可成りあるものです。しかし、心の隅のどこかに、 それがひっかかっている。それを他人から、はっきりと解き明かして貰うことは、小説好きの読者の喜びの一つでしょう。 /レスビアンをテーマとすることは、この読者の要望に応えることでありました。私は、半年の時間を費して、 深い神秘のベールに閉ざされている聖域の人々たち――つまり、レスビアンの方々に会い、その頑なな気持をときほぐし、 一体どんなテクニックを使うのかを取材しました。それは、実に辛抱強さを要求される仕事でしたが、男の私には、 彼女たちの秘密のテクニックが判らなかったのだから、仕方がありません。/そして、どうやら概要をつかんで、 執筆をはじめたのですが、この取材のプロセスで、男性に"女装狂"と云う、変った人種があることを知ったのは、 大きな収穫でした。この二点が、『苦い旋律』の柱となって居ります。そして、連載中、これほど読まれ、 発行部数を伸ばした作品も、少ないのではないかと自負しています。職業作家とは、読者と、 編集者に奉仕するのが当然だと思います。もっとも、私の場合には、サービス過剰の気味があるのですが……。  七二年八月二十七日 伊豆・遊虻庵にて〕
(注1)『苦い旋律』、(注2)「女性セブン」42・9・6〜43・7・3〈40回〉
〔7〕47・10/夢の超特急・囮//他に、怠慢なり宣伝部長
〔著者あとがき…『夢の超特急』は、処女作とも云うべき『黒の試走車』につづく、偽りなしの書き下ろし第二作です。 東海道新幹線の、用地買収にからむ黒い霧問題は、私がトップ屋の時代から噂されておりました。 しかし、確証がないため、警察畑も、検察畑も、そしてマスコミも手をつけようがなかったのです。 私は、そうした弱腰ぶりに腹を立てて、私独自の方法で、数人の仲間と共に、この事件を洗いました。 そうして、小説という形で、読者に、この黒い霧問題を訴えようとしたのです。ですが読者の方々の多くは、あくまで小説だ。 架空の事件だとして、読み捨てられたようです。/一つには、夢の超特急という題名が、不味かったのかもしれません。 しかし私個人としては、エミール・ゾラが、「ドレフュース事件」の弁護に当ったように、世間の関心を喚起したい気持から、 消されるかもしれない危険を承知で、書いたのでした。でなかったら、デビュー直後の、あの多忙な時期に、 こんな書き下ろしの仕事は出来ません。この小説の中に書かれている数字、そして人物構成は、たしかな筈です。 その証拠に、一緒に取材に当った仲間は、さる筋の人間から呼ばれ、「どうして、あんな正確のことを知り得たのか?」と、 事件が不問に付されたあと、質問を受けています。/私は、週刊誌などの特集記事では、真実を報道できない壁があることを知り、 そのじれったさに慊りなくて、小説という形に仮託して真実を世に知らせよう……と思い、作家稼業に入ったのですが、 世間の人々が、小説を飽くまで"嘘"としか見ないのだと悟り、失望とショックを味わったのです。 この作品以後、私は次第にエンターテーメントな小説を書く、戯作者としての道を歩んでゆくことになります。 その意味では、思い出と、痛恨の深い作品なのです。 七二年八月二十七日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔5〕47・11/女の斜塔
〔著者あとがき…『女の斜塔』は、女性雑誌の創刊号から、とにかくヒットするものを……と云うことで、執筆した連載小説です。 私は、全国の貸本屋に、人を派遣して、どう云うメロドラマが一番うけているか、と云うことを調査しました。 そのうち、ベスト・テンを撰んで、ストーリーを検討し、その結果、下した私の結論は次のようなものでした。 /一、相変らず、勧善懲悪ものが、栄えていること。二、近親相姦に近いものが、読者の興味を呼んでいること。 三、虐げられた主人公が、復讐すると云うテーマが喜ばれていること。……以上の三つです。 /私は、それで若い女性読者に集って頂き、マーケッティング・リサーチを試みました。すると、主人公の職業は、 ジャンパーを着たインテリ、平凡なサラリーマンではなくて創作的な仕事に従事する男性……と云う回答が出たのです。 私は、躊躇することなく、主人公の職業を建築デザイナーに決めました。これが決定すると、あとは一瀉千里です。 この小説は、大いにヒットし、テレビの連続ドラマとして、視聴率をあげました。それは、私の筆の力ではなく、 読者がなにを望んでいるかを事前に調査し、それにあて嵌めて書いたからに他ありません。 /いままで、日本の作家は、こうした読者の趣旨を調査せず、――俺の書くものは芸術だ。それが判らないのは、 お前たちの頭が悪いんだ……。と云った、一方的、かつ高飛車な態度で、執筆して来たように思われます。 しかし、私に云わせれば、明治時代ならイザ知らず、今日に於いては、文学は芸術ではありません。 文学の世界で、芸術として残るものがあるとすれば、詩と、随筆ぐらいなものでしょう。/何人をも感動させるものが、 芸術なのです。売文業者(原稿を売って、生活している人たちの意味です)が、なにを今更、芸術家ぶるのでしょうか。 他人のために書くか、自己のために書くかと云う違いがあるだけで、通俗小説も、純文学も、へったくれもありません。 あるのは、良い小説と悪い小説、面白い小説と、そうでない小説との区別だけです。少なくとも、私は、そう思っています。 /キリストは、九十九匹の小羊よりも、一匹の迷える羊を救え……と云ったそうですが、私は大局的に見たら、 小の虫を殺しても、大の虫を生かす方が、人類の方向としては正しいと思うのです。かなり抵抗のある言葉と思いますが、 生きていく上には、決して無意味なことではありません。どうか、心に留め置いて頂きたいと思います。  七二年九月十日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔11〕47・11/悪人志願
〔著者あとがき…この『悪人志願』は、筆者としては、愛着のある作品です。数人の政財界人を、モデルに使用していますが、 番匠銀之助と云う主人公に、すべてを仮託して、世の中には、こんな悪人もいるんだぞ……と云うことを、 世の人々に伝えたい心情から執筆したのでした。読者の方々は、この小説の主人公が、行ってきたことを、すべて嘘っパチである、 架空の小説である、と考えることでしょう。だが、違うのです。/私は、ルポルタージュから小説の世界に入って来た作家であります。 否、ルポルタージュと云う形式では、真実を語れないと悟って、小説と云うオブラートで包み、読者に真実を伝えようとして、 小説家になった男であります。ですから、私が云いたいのは、私の小説はエロティックな描写もかなりどぎついのですけれど、 それは読者が求めるからであって、私が書きたいことは、その雑誌なり、本が売れる要素をとり除いた、他の部分にあると云うことなのです。 この『悪人志願』の中でも、エロティックな描写は、枚数の五分の二ぐらいを占めています。それは、書いた本人も、 認めているのであります。/しかし、それを除けば、私が、なにを書きたかったかは、お判り頂けると存じます。 私が、この小説のなかで、モデルにした人物は、名前を出せば、「まア、あんな立派な方が!」と云われるような政財界人ばかりであり、 そして殆んどは、鬼籍に入って居ります(因みに、現存しているのは、二人だけであります)。私は、つくづく世の中とは、 良い加減なものだと思います。悪が栄えて、善が滅びるのが今日なのでしょうか。それでは、私たちは生きている甲斐がないと思うのですが、 如何なものでしょうか。 七二年九月十日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔1〕47・12/赤いダイヤ
〔著者あとがき…この作品は、私が芝白金の北里研究所付属病院に入院していた時に、ある作家が、ノイローゼになり、 スポーツニッポン新聞の連載が、突然中止になると云うハプニングから始まったのです。当時、スポニチの文化部長は、 私の京城中学の先輩である成清芳男氏で、その頃、週刊誌のトップ屋を辞めたばかりの私のことを、気にかけて下さっていて、 それで私に、「急だけど、連載を引き受けて呉れないか」と云って下さったのであった。/私は、二つ返事で引受けましたが、 その時、書きたいものは、無尽蔵にあり、(週刊誌の仕事を、四年もやっていたら、当然でしょう)どれにしようかと、 迷った位でした。そうして、あれこれと考えた挙句、不図、思いついたのが、トップ屋時代、ある興味をもって、 時間をかけて調べた小豆相場のことです。ただ、それをどういう風に書くか……と云うことが、私にとって問題でした。 本当の話、私は二日二晩、病院のベッドで呻吟しました。/しかし、小豆相場には関係ないのですが、 あるスペキュレーションに身を投じている私の知人を思い泛かべた時、その作品のストーリーは、突然、 ある形を持って現われて来たのです。当時、私は入院患者で、今日のように多忙ではありませんでしたから、のびのびと、 この作品を書いたような気がします。それに挿絵を描いて下すった、小林秀美先生の励ましの言葉もあって、 野放図に書きなぐったのが、よかったのかもしれません。 七二年十月一日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔15〕47・12/お待ちなせえ
〔著者あとがき…日本では、最近、絵画が珍重されはじめましたが、そして、それは喜ばしい傾向だと思うのですが、 画商に踊らされて、大いに損をしている人が大半です。なぜなら、日本人は、絵を作家の名前で買うからなのです。 また、画商も、日本人のそんな癖を知っていて、世に名前の出ている画家の、売り絵を言葉巧みに買わせます。 私は、そんな風潮を、身をもって感じ、パリと、ニューヨークのユダヤ画商に、インタビューに出掛け、 そして私の考え方が間違っていないことを確信しました。/それと、日本の亭主族の、地位が低下するばかりだ……と云う現状を、 大いに憂えていましたので、何か反撥を感じまして、画商の生態と、亭主族の反抗とをテーマに、執筆したのが、この小説です。 軽い調子で書いてはありますが、その中に含まれている画商の生活には、嘘はありません。取材した儘、書いてあります。 /どうか、絵をお買いになる時は、たとえ無名の新人でも、自分で見て、自分で良い、美しい、と思ったものを、 お求めになることです。それが、絵を尊重することだと思います。ま、いろいろと、画商の方からは、批難を浴びましたが、 それは、こうした小説の立場上、仕方なかったと思います。だが、常に私は、真実を小説に仮託して、 書いているのだと云うことを、忘れないでお読みください。 七二年十月一日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔3〕48・01/朝は死んでいた・作戦―"青"//他に、風のない月夜・亀裂のなか・歪んだ栄光
〔著者あとがき…『朝は死んでいた』は、私が生まれてはじめて書いた週刊誌の連載小説です。 当時、私は「週刊文春」に所属するフリー・ライター(俗に云うトップ屋)でありました。創刊以来、六人の仲間を率いて、 必死で働いた私の苦労を多として下さった、編集長の上林吾郎氏が、作家志望である私のために、特に頁を裂いて下さって、 有名作家の短期連載シリーズの一員に、加えて下さったのです。/むろん、週刊誌の仕事もしていましたので、 当時の私にとっては、意あれど力足らずと云いますか、あまり世評としては芳しくなかったと思います。 五週間の連載でしたので、長さとしては、せいぜい百枚足らず。それで、単行本にする時は、はじめから書き改めて、 四百五十枚ぐらいになったと思います。ですから、処女作につづく第二の書き下ろしであると云えましょう。 /『作戦―"青"』は、ロケット問題の糸川博士が、ある大新聞社から集中攻撃されたので、調べ上げ、 義憤を覚えて書いた百枚の中篇ですが、発表後、別の件で筆禍問題が起きて居ります。こうした社会問題に取り組むと、 必ず何か――これは私の思い過しかもしれませんが、奇妙なシッペ返しを蒙るのは、一体どう云う訳でしょうか。 /『歪んだ栄光』は、運輸省に勤めていた兄が、実際に受けた、分裂症の部下との経緯を描いたものです。 分裂症の人間は、正常か、異常かの見分けがつかないだけに、社会にとっては、不気味な存在と云えるでしょう……。  七二年十月二十日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔4〕48・01/夜の配当・非常階段
〔著者あとがき…『夜の配当』は、トップ屋を辞めて、『黒の試走車』を発表したばかりの私に、「週刊朝日」の編集部が、 親しく声をかけて下さって、それで執筆したものです。当時、新橋の狸小路に、リボリと云う飲み屋があり、 私は毎晩のように出没したものですが、その店で顔を合わせていた「週刊朝日」の松島雄一郎氏、栗田純彦氏などが、 私の作家としてのデビューを祝って下さるために、新人の起用に踏み切られたのだと思います。一流週刊誌が、 わずか一冊の書き下ろし長篇を書いただけの、無名に近い新人に、連載を書かせるということは、大英断もいいところでした。 /私は、松島氏の御厚意に酬いるべく、執筆する以上は、「週刊朝日」の売り上げ部数を、 少しでも増加させる作品を書きたい……と努力したのでした。この時、私が週刊誌の連載小説を書く態度が、 決まったような気がします。この『夜の配当』で、私は"伊夫伎亮吉"と云う主人公を作り出しました。 その名前は、名刺帳を開いて、二人の人物の名前の上下を、組み合わせたものですが、いつしかこの主人公は、 私の心に棲みついて、<あ、こんな場合、伊夫伎亮吉なら、こんなセリフを吐くだろうな……>などと、日常、 考えるようになりました。/『非常階段』は、そんな主人公を再登場させたのですが、刺戟の強い娯楽作品を求められていたので、 かなりドギツイものになってしまいました。そして、この頃から、私の作品傾向は、エロティックなものへと、 はっきり進んでゆくわけであります。 七二年十月二十日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔10〕48・02/罠のある季節・黒い船渠
〔著者あとがき…『罠のある季節』は、ある週刊誌に連載したものです。当時、マスコミからスポットを当てられはじめた広告業界の内幕を、 私なりに取材して描いたのですが、モデルにしたD社のI氏には、すっかり御迷惑をかけてしまいました。 私としては、そのイメージをお借りしただけだったのですが、I氏の周辺の方々は、そうは受け取らず、 I氏が小説の主人公と同じような行動をとっている……と考えたらしいのです。この辺が、小説と現実との喰い違いの面白さですが、 本当にI氏には申し訳に事を致しました。/『黒い船渠』は、やはり週刊誌に、「海の薔薇は紅くない」と云う題名で、 執筆したものであります。造船業界のことが、舞台に使われていますが、いまから考えると、もっと国際的な視野に立って、 執筆していたら、遥かに面白いものになったと反省して居ります。後に再版するに当って、題名が長ったらしいので、 『黒い船渠』としたわけです。 七二年十二月十日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔12〕48・02/青いサファイヤ・やどかりの詩//他に、白い炎の女
〔著者あとがき…『青いサファイヤ』は、『赤いダイヤ』の連載のあと、引続いて執筆した連載小説です(注1)。 それで、『赤いダイヤ』のヒロインである井戸美子に、再登場ねがって、この女性ならどんな金儲けをするのだろうか……と考え、 スタートさせました。まあ、人間の知恵で考え得る、あの手この手を考えて織り込んだのですが、その結果はどうだったでしょうか。 /『やどかりの詩』は、ある芸者さんから、耳にした話がヒントになって、筆をとったものですが、私としては、割合と気に入っている短篇です。(注2) /『白い炎の女』は、ある女優を取材して書いたものです。かなり脚色してありますが、ある面では、 かなり正確に描いた積りです。(注3)/この本には、女性を主人公にしたものを、集録して頂きましたが、 私は女性の外見は描けても、その深層心理は描けない文士のようです。つくづくと、女性とは複雑怪奇で、 不思議な生物だと思います。 七二年十二月十日 伊豆・遊虻庵にて〕
(注1)「スポーツニッポン」36・8・20〜37・11・16〈450回〉→37・11・17〜38・6・25〈219回〉)、 (注2)「小説現代」40・01〔71〕、(注3) 「小説現代」40・07〔71〕
〔9〕48・03/紫の火花・転落の記
〔著者あとがき…この「紫の火花」は、『週刊女性』に一年間にわたって連載したものです(注)。 当時、京の祇園の内幕を描くことは、タヴーとなっていて、誰もそれをなし得ませんでした。第一、祇園の女性は口が堅くて、 滅多に自分たちの内情を語って呉れないのでした。私は、その取材のため、よく祇園に通いました。 その意味では、かなり取材費と云いますか、仕込み賃のかかった小説の部類に入るでしょう。 /この小説の映画化の話が持ち上ったとき、祇園の幹部の方たちは、猛反対しました。この一事をもってしても、 この小説が、祇園の恥部をかなり深く、そして嘘偽りなく喝破したものであることが、お判り頂けることと存じます。 /私は、小説という形式をとりながら、その実は"真実"を報道しているのであります。世の悪を、虚偽を、暴いているのです。 このことだけは、どうか記憶に留めておいて下さい。/結局、この小説は、映画化もテレビ化もされませんでしたが、 私はヒロインの"魔子"と云う女性の生き方は好きです。混血の祇園の舞妓……などと云うものは、当時は、存在しませんでした。 しかし今後は、出現するかもしれません。世の移り代りとは、そんなものだろうと、私は考えています。 七三年一月七日 伊豆・遊虻庵にて〕
(注)39・1・22〜39・12・23〈45回〉
〔6〕48・03/影の凶器・狂った脂粉//他に、女蕩し・一匹狼・談合入札・どんでんがくる
〔著者あとがき…『影の凶器』は、「新週刊」と云う総評系の週刊誌に執筆したものです。産業スパイ小説ですが、 その連載中に、雑誌は潰れてしまいました。しかも、何回分かの原稿料は貰えない……と云う憐れな状態で破局を迎えたのです。 この小説に目をつけて、残りを書きつがせて単行本にしようと考えたのが、講談社の山田律雄氏(故人)でした。 ホテルや旅館では、私が脱走するからと云って、小平にある私の父の家に、私をカンヅメにしたのは、あとにも先にも、 この山田氏だけでしょう。お蔭で、残り三分の二を書き足し、やっと『影の凶器』は、陽の目を見たわけです。 /しかし、私は、毎日小平まで通って来られた山田さんの姿を、未だに忘れられません。山田さんは、幾つもの童謡の詩を書いて居られる方で、 その意味ではレコード界で名のある方だったのです。私が執筆している時は、次の間に坐って本を読んで居られ、 決して散歩などには行かれない。まったく律儀な方でした。/惜しいことに、亡くなられましたが、この『影の凶器』は、 山田さんのために書いたようなものです。ちょうど濫作時代に突入した頃の作品で、よくまあ、書き下ろしに近い仕事ができたものだと、 感心しています。やはり、山田氏の熱意に、私が根負けしたのでしょう。 七三年一月七日 伊豆・遊虻庵にて〕
〔8〕48・04/わが鎮魂歌・李朝残影//他に、族譜・闇船・京城昭和十一年・性欲のある風景・食欲のある風景・幻聴のある風景
〔著者あとがき…『わが鎮魂歌』は、私の自伝的な小説であります。広島時代から、阿佐ヶ谷時代までを描いたもので、 多少の脚色はありますが、八十パーセントは正確と思って頂いて結構です。/『李朝残影』その他の短編は、 私が文学青年だった時代の作品で、これらに目を通して頂ければ、私が、かつてどんな小説を描こうとしていたかが、 お察し頂けると存じます。/『李朝残影』は、直木賞の候補となりました(注1)。この時の有力候補者は瀬戸内晴美さんで、 対抗が私と云うことでした。/ところが、フタをあけてみると、佐藤得二氏の『女のいくさ』が受賞となり、 とんだ大アナが出ました。なんでも佐藤氏は、詮衡委員のK氏の同級生で、そのための同情票が集まったのだそうです。 /しかし、佐藤氏は、その後、一作も書かずに死亡され、私は受賞決定の夜、銀座の酒場で詮衡委員の某氏から、 /「キミだの、瀬戸内だのに、今更、直木賞をやるこたァねえやな……」/と云われました。/芥川賞は作品に、 直木賞は人に与えるものだと聞かされていた私は、大いに憤慨したものであります。/まあ、その意味で、記憶に残る作品でありますが、 私が「噂」の小説賞、挿絵賞を創設したのは、偏見にとらわれない、編集者が決定する賞があって然るべきだ……と考えたからであります(注2)。 /既成作家が受賞者を撰ぶときには、自分の競争相手となりそうな若手を、どうしても蹴落とそうとします。 云うと云わないとに拘らず、そうして心理が働いている。それを断ち切らねば、真の詮衡とは云えません。 この点、『李朝残影』が落選したことは、自他ともにプラスだったと考えている昨今です。 七三年二月七日 伊豆・遊虻庵にて〕 (注1)第49回(昭和38年上半期)、(注2)月刊「噂」発行所主催。第1回「噂」賞パーティ(48年4月21日銀座第一ホテル)小説賞…藤本義一、挿絵賞…宮田雅之。第2回「噂」賞パーティ(49年2月28日新橋第一ホテル)小説賞…田中小実昌、挿絵賞…濱野彰親。なお、月刊「噂」は、石油危機のため用紙高騰などにより、この2月発行の、3月号をもって休刊となる(通巻32号)。
〔16〕48・04/密閉集団・青い群像//他に、軽井沢秘密クラブ・学生の新商法
〔著者あとがき…私には、現代の若い人たちの、感覚と云うか、考え方(思考過程)がよく判りません。 私は、小、中学生時代を、天皇制のもとで育ち、戦後の混乱期を百姓をしたり、同人雑誌を出したりして過しました。 上京以来、聞くも涙、語るも涙と云った夫婦の苦闘物語りです。しかし、私も女房も、文学(と云えば鳥滸がましいですが)に賭けていましたし、 その意味では、純粋に生きて来たと云う自負があります。また、それでよかったのだ、と思っています。 /現代の若い人たちは、なんとなく不幸で、その癖、甘ったれているところが、一杯あると私は観察しています。 学生運動にしたって、親のスネかじりです。本当の、生活の中から起きてくる運動は、そんな甘えたものではありません。 生活の叫びであり、心からの訴えであるからこそ、庶民の支持が得られるのです。そのことを、若者たちは、判っていない。 授業料が不当に高いと思えば、そんな大学に行かなくたってよろしい。勉強する気ならば、安い図書館に行って、 読書すればよいのです。/大学卒と云う肩書だけが欲しくて、大学へ行き、教授を吊るし上げて喜んでいるような学生なら、 まだしもヤクザ者の方が、人生を生き抜くと云う姿勢では、立派ではないかと私は思ったりしています。 この本に納められた『密閉集団』、そして『青い群像』は、そうした大学生たちを、批判的に描いたものです。 若い読者には、さぞかし御不満が多いでしょうが、昭和一桁生まれの連中には、こうした物の見方があるのだと云うことを、 参考にしてください。 七三年二月七日 伊豆・遊虻庵にて〕
47・12/女房訓/祥伝社/新書判//書下し
〔あとがき…大体、この本は、うちのワイフが、書かねばならぬものであった。/むろん、その内容は、 「家庭歳時記」みたいなものになる予定であった。/ところが、ワイフは、机に向かって呻吟していたが、なかなか脱稿しない。 /編集部からは、ヤイノ、ヤイノ催促されるし、終いには、(中略)/私は、カーッとなって、「才能がないのなら、 初めから引受けるな! こんな本の一冊や二冊、俺なら一週間で書いてしまう!」と、ワイフを叱った。 /その私の暴言を編集部の方が聞きつけて、さっそく飛びついて来た。/あげくの果ては、ひざ詰め談判である。 /私も売り言葉に買い言葉で、仕方なく伊豆に二日ほど籠って、エイ、ヤーッとばかりに書き上げた。 /それが、この本である。/いま読み返してみると、かなりの暴論のようである。 /私自身、心の隅のどこかで女性を蔑視していることがこれでよくわかったし、改めて反省しなければならないことが、 多々あるように思う。/おそらく、この一書は、世の女性たちから、絶好の攻撃材料として、採り上げられるであろう。 /書き直せば、攻撃されずに済むことは、わかっている。/しかし、敢えて書き直さない。 (むろん、その時間もないのだが)女性たちの非難には、甘んじるつもりである。/ただ、昭和一ケタ生まれの男性には、 こうした気持ちが、心の底のどこかに潜んでいることだけは、わかってほしいと思う。/また、女性を素人、 玄人というような分類の仕方をしたが、これは世間の慣例に従ったまでであって、私個人としては、そんな差別心はない。 /世の中には、男と女だけしかいない、と思っている。/まあ、私が一個の亭主として、日ごろ想っている、恨み、 つらみを吐き出した、「暴言録」だと思ってくださればよい。/でも、世の亭主族には、一つだけ言いたいことがある。 /それは、男らしくシャンとしろ、ということである。/亭主がしっかりしない家庭で、立派な子供が育つわけがないのである。 /ときには女房を、そして子供をぶん殴るだけの勇気をもってほしいのだ。/現在の国際情勢のままでは、日本は、 世界の孤児となってしまう。/物事を大局的にみて、日本民族はかくあるべきだ……という気持ちで、 家族に接してもらいたいのである。/私の言いたいのは、ただそれだけである。(1972・11・30)〕
48・05/ぽるの日本史/桃源社/単行本//「週刊新潮」連載
〔最終項の後半に…「憲法と"ワイセツ罪"の矛盾」…『ぽるの日本史』を執筆しながら、思ったことは、なにも日本に限らず、 文明の発達した国家では、セックスを如何に表現するか……と云うことが、大衆の中から芽生え、 そして実践されていると云うことであった。/近年、日本では、ポルノ弾圧的な風潮が強まりつつあるが、 それは大衆の意思に反することであって、常に大衆と云うものは、弾圧すれば無目的に撥ね返す作用をするものなのである。 /今度の共産党の大躍進は、そうした大衆の自衛本能を物語っているものだ、と私は思う。 /「どうぞ、好き勝手に、おやり下さい」と云えば、今日のアメリカみたいに、笛吹けど人踊らず、 と云う格好になるのではないだろうか。/憲法では、言論の自由を認めているのに、刑法ではワイセツ罪として、 言論を取り締る法規を認めている。/こんな矛盾したことが、あってもよいのだろうか。/そもそも犯罪とは、加害者と、 被害者とがあって成立するものである。/しかし、ワイセツ文書の場合、被害者がいるだろうか。 /私のポルノ小説を読んで、犯罪を実行したというケースは、未だないのである。/にも拘らず、私は過去三回、 "加害者"として、警視庁に取調べを受けている。/被害者が、まったくいないのに、警視庁の保安課の人たちが、 これはワイセツである、と判断すれば、作家も、映画製作者も、雑誌の編集者も、"加害者"にさせられるのである。 /私は、こうした社会の矛盾に反抗しているのであって、若し、そうした警視庁の枠が、取りはずされていたら、 ポルノ小説など書く気力もなかったであろう。/大衆は、常に、規制外のことを求めているのだ。 /そのことを、為政者は、常に念頭に置いて貰いたいと思う。/赤線の廃止後、トルコ風呂(注:いまソープランド)が、 それに代っているが、一番多い利用者は、独身の警官、ついで教師であることを、お忘れなく。(後略)〕

C)桃源社版「梶山季之傑作集成」(全30巻、函入り・新書版も刊行…一部のみ)

〔1〕47・10/男の誇り(おとこ篇1)
〔あとがき…私のはじめての、短篇ばがりを集めた撰集が上梓されることになった(注1)。有難いことである。 過去十一年間の文士生活で、月刊誌などの求めに応じて、執筆した短篇は、一体、どれだけあるのか、自分でも想像はつかない。 //私は生来、オッチョコチョイだから、"不良少年"である編集者氏から、原稿を頼まれると"ほい、ほい、ほい"と引受けてしまうのだ。 /ところが、私が書けないなどと云おうものなら、忽ち彼は"残忍な紳士"に一変して、"なせばなる"です、 と私を脅迫するのであった。/すると、こっちだって"男の誇り"はあるから、あれは"偽の季節"のことだった、 などと逃げるわけにもゆかぬ。/ホテルを逃げて、銀座あたりで飲んでいようものなら、相手は名にし負う"夜の専務"だから、 "プールサイドにて"話をつけましょうか、なんて凄み、私の"背徳の倫理"を大いに詰るのである。 /しかし、私の大脳の方は"からまわり"するばかり、"狙った女に""色の苦労"をさせられてみたい……などと"妄想日記"、 せめて誰かの"愛妾下賜"でもあって、"あるヒモの告白"なんて書いてみたいなあ……と考える毎日となる〕
〔解説〕"はじめて"とあるが、前掲のように、初期の短編集として講談社から7巻の『傑作シリーズ』が出されている。 だが、梶山自身は、「十一年間の文士生活で」と記しており、全般的ならびに、これまで短編小説集としての単行本にも収録されなかったものを含め、 桃源社の矢貴東司社長の熱意に応える気持ちから、そのように書いたのではないかと推測される。なお、あとがきとはいえ、 このように、収録作品名を織り込んでという"遊び心"からのものが多い。
〔7〕47・11/一匹狼(企業篇1) ★=・=新書版
〔あとがき…トップ屋時代、いろんな体験もしたし、数多くの、変った職業に人々に会い、取材もした。 /そのことが、私が作家となった時に、小説の材料として大いに役立ったものである。/トップ屋は"一匹狼"であり、 フリーのライターであるが、書いた原稿については、責任を負わなければならぬ。/私も、"名誉毀損"と脅かされたこともあるし、 怪電話に悩まされたこともしばしばである。/しかし、私の記事で、告訴沙汰になったことは一度もない。私は、 "怪文書"の類を信用しない性格だったからである。/ただ一度、"赤い妖精"のような美女に誘惑され、 海浜のホテルで"人魚の恋"のささやきに戸惑わされ、危うく敵の術中に陥って、不本意な特集記事を組まされかかったことがある。 /本当ならこれは、ある内閣の土台骨を揺さぶるに足るものだったが、実はガセネタで、週刊誌を利用しようとした"ペテン師物語"だったのだ。 /私が、この敵の"令嬢作戦"に気づかなかったならば、きっと後世の物笑いのタネとなっていたであろう。 /その美女は、保守党の大物が、おなじ党内のライバルを失脚させるため、巧妙に仕組んだ罠であったのである。 /棚ボタ式のネタ――には、必ず醜い鉤が隠されているものだ……と云うことを知ったのは、私にとって大事な教訓だった。 /トップ屋は、企業と企業、政界と政界……と云った、どろどろした現実社会の"亀裂のなか"で棲息している。 /それだけに、誘惑も多く、常に姿勢を正していなければならぬ。/私が現在でも誇れることは、未だ嘗て、 買収されたことがない、と云うことだ。/外国へ旅行するにしても、自費でいく。/招待旅行に応じたのは、 ソ連と東欧の旅だけであるが、ソ連作家が来日した折、自費で接待したり、ポーランドの大学生を日本に招いたりして、 借りは返している。/ロハで招待され、外国を見物した人間に、その招待国の悪口を云う勇気がないのは、当然であろう。 /私が、外国の悪口を平気で云えるのは、すべてに清潔(金銭的な面だけで)だからかもしれない。 /日本の文化人は、外国からの招待に弱い。これは嘆かわしいことだ。/でも招待した方では、それらの文化人を、 自国のカードに載せている。そして、なにかことがあると、牙を剥いてくるのだ。/"カードは一度戻ってくる"のである。 /大いに自戒すべきであろう〕
〔22〕49・03/暗い花道/根ピューだあ(連作篇3) ★52・03新書版
〔あとがき…ここに収録して頂いた作品は、いずれも月刊誌に連載されたものです。/ある意図をもって取材し、 そして読切り短篇として新しい趣向を狙った積りですが、読み返してみると、意に充たない部分もかなりあるようです。 /小説とは、本当に難しいものだと思います。/特に、娯楽性を要求されている小説は、純文学と違って制約がありますから、 苦しいのです。その点を、割引きして、お読み頂ければ、幸甚であります〕
〔27〕49・04/現代悪妻伝/知能犯(連作篇8) ★=・=新書版
〔あとがき…この本に集めて頂いた作品は、二つの連載形式をとった短篇からの収録です。/筆者としては、 かなり気に入っているものですが、読者の方にはどうでしょうか。ご感想をお聴かせ下されば幸甚です〕
〔28〕49・10/日本の内幕(別巻1) ★=・=新書版
〔あとがき「命を賭して」…わたくしを、エロ小説家と見做す人が多いようだが、この『日本の内幕』を一読されると、 私がかなり硬派のレポーターであったことが、お判り頂けると思う。/そのために、私は、"エロ"と云うことで警視庁に苛められた。 しかし、そのことについては、何も遺恨に思ってはいない。ただ、行政上の、いやらしさを、みにくいと思うだけである。 /真実を書く。それは作家にとっては、命をかける、いや、家族のすべてを賭ける大変な仕事だ。しかし、日本には、 そんな作家はいないようである〕
〔29〕50・01/赤線深く静かに潜航す/年譜(別巻2) ★=・=新書版
〔あとがき…ナシ〕
〔30〕49・08/随筆集…青春と友と旅(別巻3) ★=・=新書版
〔あとがきにかえて…梶山美季「親子は他人」←初出「オー・マイ・パパ」『オール讀物』昭和49年新春特大号〕
49・04/大統領の殺し屋/光文社/新書判/「オール読物」2編+49・01「小説宝石」1編を掲載
〔最後に…この作品は、すべて架空の物語です。しかし、もし事実の部分があるとしたら、 筆者がなんらかの形で報復されることでしょう。念のため。筆者〕
《その1年後(50・05・11)、異郷ホンコンでの突然の死は、さまざまな憶測を呼んだ(拙稿「ドキュメント 梶山季之の死」)》



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