けん語録−青春編−(その10)

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昨年3回にわたり掲載した、最近10年の言葉「けん語録」の"青春編"として、
15歳から24歳まで書き綴ったものをお送りします。
年齢相応の感慨もあれば、少しも進歩していないという印象も否めません。
ご笑覧ください(元は数年前、成人式を迎える娘にプレゼントしたものです)。
2003・1月橋本健午

1965年(昭和40年) 二十三歳−1
私はきっと 意志薄弱の故をもって この世から 葬り去られるだろう(1・15)
休日がいやである… その日とともに 歓びを感じたことはまれだ
休日は無遠慮・無神経だからいやである(同)
私のことを いつもニコニコ しているとか
快活だと 評するのが 一般的だ(同)
何の悩みもない ような顔をするのは 少しは大人である 証拠なのだ(同)
何と評価されていようと それで喜んだり 悲しんだりはしない(同)
いつまでも 幼な顔をひっさげて 表通りを 歩くことはできない(1・19)
お前の未来は 在る しかし
お前のために あるかどうかは わからない(同)
心せよ 何ごとも注意せよ お前はひとりで すべてなのだ(同)
時間の経過が 何ものも消し去るものではなく
たヾ忘れてしまうだけである(3・20)
私にとって はたして この人生は 生きるに 値するのであろうか(4・2)
一体 何のために 君は生きて いるのか(4・9)
今や教師といえども "師"ではなく
決して 人生について 学生を先導する
資格のあるものはいない(4・23 手紙に)
大学といえども 人生を語る場ではないのだ(同)
春の宵に誘われるのは その気持を大事にすべきである(5・10)
印象が薄いということ 人格にとって 不幸なことである
何故なら 何の付与されたものがなくても
他人に印象を与えれば それだけで 人生を知ることができるからだ(同)
何にもまして 思慮深くあることが 必要である(同)
遊びを知るには 才能がいる
才能のない人間が 何をわめこうと 近所迷惑なだけだ(5・16)
大人をもっと注意しろ 同調するな もっと"大人"になれ
大人のうさ晴らしには 荷担するな もっと大人をやっつけろ(同)
夜明けを待ってなくのは 小鳥だけで充分だ(同)
己を知れば 笑顔だけでは過ごされない
人生なんて 生易しいものじゃない(同)
自己を制御してこそ 人間として認められるのだ(同)
少しは話を 聞いてくれる人がいたら それだけで 満足すべきだ
あとは 引け際を考えるべきだ(同)
色眼  粋なのと そうでないのと
悲しい眼  人生を知っている眼のこと(同)
何ごとに対しても 表情をくずさぬこと
それは賢明な処世術! 知る人は知る(同)
単に反対の示威運動をすることが 青年の唯一の行動様式ではない
彼にはより深く思考すること より強く自制することが必要である(5・17)
影響を受けることは悪くはないが 無批判であってはならない(同)
他人の思想を 盲目的に受容れている人々は 哀れである
彼らは何が正しくて 何がそうでないか
判断することを 放棄しているのである(同)
人は 他人によってではなく
日々 自らによって 殺されている(同)


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