けん語録−青春編−(その9)

目次
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昨年3回にわたり掲載した、最近10年の言葉「けん語録」の"青春編"として、
15歳から24歳まで書き綴ったものをお送りします。
年齢相応の感慨もあれば、少しも進歩していないという印象も否めません。
ご笑覧ください(元は数年前、成人式を迎える娘にプレゼントしたものです)。
2003・1月橋本健午

1964年(昭和39年) 二十二歳
良心的に なればなるほど 相手は つけ上がるのだった(1・19)
真実を語ること 自分自身を 甘やかしてはいけない(1・21 '64のテーマ)
十二歳の少年でも 愛されたい ということを知っている(1・23)
話しても 理解されないことは
話さなければ 余計理解できない(同)
個人の問題を 他人と 共有しようとは思わない(2・1)
知ろうとしてはいけない まず 感ずるのだ(2/6)
ユーモアはその場限りの
決して他人を害してはならないものである
それは意味があってはならないし
他人を不快にさせてはならない
単純で明快で そして他人を楽しませるもの
それこそがユーモアの本質である(2・10)
知的な深み その次に肉体的な魅力
順序を逆にしようと思えば
すべての女と 寝なければいけない(2・12)
自分の行動は 他人のそれによって 制約されてはならない(同)
死はあまりにも 多くのものを奪う
 愛 友情 信頼
それはすべてのものを奪う(3・4同級生(女性)の死について)
他人に対して 何者かであろうとすることの困難さ(3・16)
愛のみの 本当の愛はなく 憎しみだけ ということもない(3・26)
ぼくは十七歳のころ あんまり早く年をとるのが たまらなくいやだった
大人は判ってくれないと 叫びたかったからではなく
唯何となくいやだった(4・7)
二十歳を少し出たばかりで すでに五十歳の心を持っていた(5・2)
時には 親のない子のように(5・11)
"生きる"ことと"生活する"ということの 区別がつかない人がいる(同)
青年の 大きな欠陥の一つは 物事の両面を 見ないことである
それ故に 深みを知らない(同)
自分の国に愛着が持てないのは悲しいことだ
私はこの国の歴史にも伝統にも 祖先にも親しみを感じない
それどころか私はそれらなしに 突然生まれてきたかのように
思われて仕方がない(同)
人々が類を求めるということは もはや不可能になっている
表面的には親しそうでも それは偽りであるか 低い次元の交わりである(同)
個人は全て 別物である
決してお互いに 影響することはないであろう(同)
私が本当に 何を求めているかを 理解するものはいないだろうし
私自身もはや 理解してもらおうとは思わない(同)
政治的立場を 明らかにしないからといって
彼が何ら政治的意見を持っていないとは限らない
政治とはそう簡単に 御しやすいものではないのである(同)
私は遺書を 書かねばならない
遺書こそが すべての始まりなのだと 私は確信したのだ(9・20)
みんな兄の影響だと知ったとき
兄とは別々に 住まなきゃだめだと思った(9・27手紙に)
私は 模倣が 大嫌い である(10・2)
どうしてぼくは 自分に親切でないのだろう
何故他人に好意的なのだろう(11・3 詩の一部)
今は 心から落ちつくことが肝心だ
それに 自分を見失わないこと(11・27)


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