けん語録−青春編−(その11)

目次
青春編(その10)    青春編(その12)


昨年3回にわたり掲載した、最近10年の言葉「けん語録」の"青春編"として、
15歳から24歳まで書き綴ったものをお送りします。
年齢相応の感慨もあれば、少しも進歩していないという印象も否めません。
ご笑覧ください(元は数年前、成人式を迎える娘にプレゼントしたものです)。
2003・1月橋本健午

1965年(昭和40年) 二十三歳−2
いつも 笑顔でいるひとは かげで それだけ 泣いている(6・6)
今私が 自らを爆発させないのは 私自身の 精神衛生のためだ(6・7)
自分自身を 批判できない人間が どうして 他を批判できるか(6・8)
可愛さのなくなった人間は どうすることもできない(6・24)
他人より 自己しか 憎めない 悲しい心(同)
私はあらゆる意味で 単純な人間ではない
それは一筋縄ではいかないということであり
容易に本心をのぞかせないということであり
幸か不幸か他人の心理・心の動きを
大体読みとれるということである(6・25)
誤解されるということは 大半は受けとり手の側に その責任がある
充分に相手の立場に 立っていないという点で(同)
他人は "ひとを見る眼"がないのだ
という風に考える方が 健康的である(同)
美しい女人の姿を 思い浮かべることは
むしろ より人間的であり 健康なことである(同)
私には 他人に妬まれる処があるらしい
しかし それは他人が 私に対する劣等感から
そんな風な気持を抱くのだと解釈している(同)
他人を妬む前に 自ら大いに努力をすればよいのだ
それができなければ 始めから 対抗意識を 放棄すればよいのである(同)
私は他人を 好きか嫌いかの どちらかに分類し
それぞれの相手に 対処している(同)
不幸なことに 私には 他人の心の動きがよく解りすぎる
解ってしまうと それを無視できなくなる
そこで私の心中で 様々な相剋が 起こるのである(同)
私は友情にしても 何にしても
表面それほど 派手に見せる方ではない
しかし 心の中では 他人以上に 心配している と自負している(同)
私は必要以上に潔癖な方で
そういう意味では 動物的であるよりは
むしろ聖人君子に近い(同)
私は他人に 好かれるたちである と思っている(同)
私には いつでも気にいった女と
一緒にいたいという"欲望"がある
しかし、たヾそれだけのことである(同)
恋愛とか結婚は 概ね男の無能さと 女の誤解の上に 成り立っている(8・14)
道化役者は 人生を知っている
だからこそ 彼らは他人に 笑われようとするのだ
しかし 他人の振り見て 笑うものこそ 道化なのだ(同)
性欲はあまり貴いものではない
しかも 往々にしてそれに支配されるから 人間とは弱いものである
カミュは 性欲は何も生み出さないと言った これは確かだ(8・21)
愛のために性欲が 動員されるとは考えられない
性行為はまさに動物的 そのものであり
それをいやと思わないのは
愛のために行われると 誰もが錯覚しているからである
娼婦を抱く場合は 金のためである(同)
男が女のために恋人のために
一生懸命働くとか勉強する というのは虚偽である
もし本当にそう思っている男は だらしのない男であり
相手にそう思わせている男は 自分の言葉を信じてはいない(8・21)
彼は女性に惹かれるのではなく 母性に惹かれるのだ
彼の求めているのは 愛する相手ではなくて
自分を構ってくれる やさしい女性なのだ(8・26)
エゴイズム
性欲においてすら 人間はエゴなのだ
いや性欲こそ エゴの権化なのだ
一心同体になれないのだという絶望
それは性欲においては 深刻である(8・27)


ご意見・ご感想は・・・ kenha@wj8.so-net.ne.jp