けん語録−青春編−(その2)

目次
青春編(その1)    青春編(その3)


昨年3回にわたり掲載した、最近10年の言葉「けん語録」の"青春編"として、
15歳から24歳まで書き綴ったものをお送りします。
年齢相応の感慨もあれば、少しも進歩していないという印象も否めません。
ご笑覧ください(元は数年前、成人式を迎える娘にプレゼントしたものです)。
2003・1月橋本健午

1959年(昭和34年) 十七歳
願うのは 世界永久平和(1・20)
一人だけの 幸福は 何のためにも ならない(1・30)
これからの 国際平和のためには
不偏不党の精神 でなければならない(3・15)
全人類が 平和に 平等に
生存できるというのは 大事なことだ(同)
どうも女性は 外面的な方ばかり 発達して
内部、とくに 頭の方がだめだ(同)
現天皇が「人間」に なってから 十数年も経過しているのに
どうも時代が 逆行しているようだ(5・13『朝日ジャーナル』へ投書<没>)
われわれ 青少年の問題は 今日に始まった ことではない(同)
自分で考えなければ 何が真理で
何が真理でないかが 分からない(学園新聞に4・25付)
いわゆる「遊ぶ」 余裕のない者は
利己的な人間に なりやすいのではないか(同)
学校が 一時的に集まる 「群衆」の場 であってはならない(同)
意見を異にし 議論してこそ 価値があるのだ(同)
人格などは 生きている間は 永久にまつわりつく ものである(同)
常に 相手によって 試験されている のである(同)
なんど手がけても 途中でやめて しまうのが 日記である(8・26)
他人に迷惑を かけない限り 自分の思う通りの 道を歩めばよい(8・27)
自由にできるのは 自分の身だけだ(同)
頭がよいだけでは よい人間になれない(同)
人間、この中途半端なもの(11・28)
何故に吾 人間として 生まれたか それは宿命か 因果か(同)
人間は 矛盾したことを 知らん顔で やってのける(手紙に12・10)

1960年(昭和35年) 十八歳
その時 私たちは 友だちとして
つき合い始めた のである(1月 日記より)
「我が生涯の幸福。私は少年で、彼女は少女である。」
これが私の小説の 書き出しだった(1・14)
徐々にではあるが 昔の状態に もどそうと
たくらんでいる人間が 多いのだ(2・26)
気づいているものほど 不満が 多いものだ(3月)
私はただ 私の道を歩む だけである(3・19)
ある程度 成長して 単に遊ぶだけの 友では 満足できなくなった(4・11)
私は元来 人と歩調を 合わすほど 都合のいい人間 ではない(4月)
自分のことも 満足にできないのに 他人に干渉するな(5・2)
男である前に 人間でなければ ならない(同)
秀才が 必ずしも 人格者である とは限らない(6・6)
来年の三月は 二月の次で 四月の 前の月に相違ない(6・9)
二者択一の場合 Cはいずれを 選んでもよいが
選択権は当然 AにもBにもある(6・28)
正月だからといって いつもと変わったことを
したいとかの 希望は何もない(12・7 手紙に)
時々 感傷的になれば 何かで気をまぎらす 術を心得ている(同)
どのような 環境にいても 人によっては
楽しい人もあり そうでない人もいる(同)


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