けん語録−青春編−(その5)

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昨年3回にわたり掲載した、最近10年の言葉「けん語録」の"青春編"として、
15歳から24歳まで書き綴ったものをお送りします。
年齢相応の感慨もあれば、少しも進歩していないという印象も否めません。
ご笑覧ください(元は数年前、成人式を迎える娘にプレゼントしたものです)。
2003・1月橋本健午

1961年(昭和36年) 十九歳−3
彼の誤解・曲解も 甚だしい 自分の気にいったことしか
許すことができない 小さな人間だ(再び「浪人時代」より9・9)
私は何ごとも 真面目に考えたい
過去もそうであり 現在もそうであり 未来もそうでありたい(同9・9)
このごろ思うこと 感ずること 肉体は精神より 下である(同9・30)
それから 姉の婦人雑誌が 私の知識の元となった
一般に婦人雑誌は 好色的だった(同9・30、「私のヰタ・セクスアリス」より)
もう一方の性である 女性というものを理解するためには
どうしても 想像力だけでは だめだと考えるようになった(同、同)
性生活が いかに大事かと となえたところで
それは全生活の 一部でしかない(同9・30、"結婚"について)
何ごとに限らず 人には好き嫌いはあるもので
そういうものが嫌いだからといって
非難するにあたらない(同、ギャンブル、キャバレーなど)
法律が どうであろうと 他人がどうしようと
それは勝手である(同、飲酒・喫煙について)
20才まで飲まないのは 現に未成年でも飲んでいる人が
飲むことの意義を見出だしているのと全く同様に
私は飲まないことに意義を見出だしている(同、酒について)
すべて 物事は 考えてでなければ 行うことは できない(同、同)
自由とは 自由経済における 自由であり
個人の自由とか 言論の自由とかの
自由を決して指しているのではない(同10・1、自由世界とは)
同じ人間である以上 一方にあって
他方にないということはない(同、親米・反ソについて)
資本主義の旗頭として 君臨できるのは 資源が豊富なためであって
頭がいい からではないのだ(同、アメリカについて)
日本のとる 立場としては 中立主義 しかない
中立こそ 崇高なもの(同、同)
最低限度の文化生活は 必要であるけれど
必要以上にたくわえる ことはいらない
そんなところに 人間の幸福はないのだ(同、同)
元気に ほがらかに 積極的に 生きることにしよう(同、同)
週刊誌の 存在理由はあるのだろうか
それを批判しながら スキを見て読んでいる人間の
これまた存在理由が あるのだろうか(同10・4)
セイなんて 不思議なものだ
案外無関心で いたって 人間はそれから 逃れられないようだ(同10・6)
軽べつするときは それに冷淡なときで
うらやましくなるのは おそれをいだいているときだ(同10・6)
理性が 必要なのは もっと 大人に なってからだ(同、同)
後に残るものと いったら 不快感と後悔と 面倒くささと
そんなものばかり(同、ジイについて)
あいさつなんて 風のようなもの 
通り過ぎれば それだけのものだけど
風はいつもの風でも それを感じる人によって
様々なものになる(同10・7、ある女性について)
少しでも 気持よく見えるのは 女が自分の無知 無教養を自覚して
おとなしくしている ときだけだ(同10・8)
妥協や堕落 迎合的な変化は 何ら品位を 保つものではない(同)
きわめて 個性的な存在 であることを欲したこと
(同10・9、入試制度が人間を類型化し、 個性のない人間を社会が望んでいるのに反発したため)
流行とかブーム
それに追随することをもって 本分とするところのものは
個性の喪失以外の何ものでもない(同10・9)
女性というものは 外面的にのみ見ていれば 少しも男と変わらず
全く当たりまえの 様子をしているようだ(同10・9)
男も女も 一皮むけば 内に秘めるは 獣性に他ならない(同)
何ごとをするにも、余りに慎重すぎて
しかも、やってから、他人からどう見られるかを考えたり
間違いをやらないようにやらないようにと
神経質になっていることだ(同、長所と短所)


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