けん語録−青春編−(その6)

目次
青春編(その5)    青春編(その7)


昨年3回にわたり掲載した、最近10年の言葉「けん語録」の"青春編"として、
15歳から24歳まで書き綴ったものをお送りします。
年齢相応の感慨もあれば、少しも進歩していないという印象も否めません。
ご笑覧ください(元は数年前、成人式を迎える娘にプレゼントしたものです)。
2003・1月橋本健午

1961年(昭和36年) 十九歳−4
正義と独立と 自由と 進歩の ためにガンバレ!
(ノオト「浪人時代」より、10・13ある女性に)
私はまだ ある一つのことに 熱中して
他のものは眼中にない という境地には 達していない(同10・15)
彼女は 私にとって 生の喜びを
無限に与えてくれる 女神・天使である(同10・20)
恋愛は すべてに優先することが 是か否か
否に決まっているだろうが
理性を失ったときには どうなってしまうのか(同10・22、小説を書くとき)
結局は戦争というものに 郷愁を持っているのだ かつての皇国主義
あのいまわしい 皇国日本という亡霊に 郷愁をいだいているのだ
(同10・27、亡兄の額を下ろすときに)
親に孝か不孝か ということは 人間関係における 重要問題じゃない(同)
すべての 道徳律は 紀元前五世紀に 通用したからといって
20世紀に通用する ものではないのだ(同)
われわれが 考えなければならないことは
いかに自己の存在を 確かなものにするかであって
決してわれわれが 他からの強制なり圧迫を受けながら
生存することではない(同)
われわれの人間関係は すでにあるのではなく
これから作るものであって 決して 過去の
いかなる規範にも のっとる必要はない(同)
"親孝行"ということは 親が年寄りが
若いものに ありもせぬ権威を 示すための方便に すぎない(同)
感謝とは 何のことか
はなはだ あいまいなことばだ 自立しえないコトバだ(同)
いかなる理由があれ またいかなる国によっても
もはや核実験は 許されるべきではない
(同10・31、ソ連50メガトンの水爆実験を)
一般の民衆 というものは 必ずしも物を 大局的には見ていない
彼らは自分の身のまわり のことに関して 注意を払うだけだ(同10/31)
利己的な人間は 自分の利益ばかり 考えるが故に
物の見方が 偏向する(同)
悪いことはどんなに小さくても どんなに大きくても
その"悪い"という点では 同じ性質のものである
そして正しいことと 悪いことに 国境はないのだ(同11/1)
私の性格として 平穏無事を祈る 傾向が多分にある(同)
私はより左の人と話すときは それより右的な発言をするだろうし
より右的な人と話すときは より左的な発言をするだろう
しかも私は何ら矛盾してはいないのだ(同)
あまり 政治的に ならない ということ(同)
外的な どんなことにも 影響されることなく
私の信ずるところを 進めばよい(同)
必ずしも 常に信用しない ことにしている(同、"活字尊重")
ツジツマのあわないことや 矛盾することは
きらいである(同、正確であること)
絶対的権威を認めぬという態度
それが極端になれば ニヒリズムになる わけである(同)
だれも 知らなかったが
まただれも 聞こうとしなかったことは
甚だ好都合であった(同11・11家庭について)
私の勉強の邪魔になるかならないかは
私自身の判断するところであって
他人のつべこべいう筋合いのものではない(同11・19)
世界の言葉をひとつにしたらいいということになったが
それが可能だとしても 味気なくならないだろうか
同11・28国家間の相互理解について)
人間の感情が 引き起こす いやなことは 本当に たえがたい(同12・24)
(運命よりも)もっと深遠な もっと純粋なものが
真の生き方でなければならない(同)
私はあくまで 正義のために 闘うのだ 封建遺制と 闘うのだ(同)


ご意見・ご感想は・・・ kenha@wj8.so-net.ne.jp