けん語録−青春編−(その7)

目次
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昨年3回にわたり掲載した、最近10年の言葉「けん語録」の"青春編"として、
15歳から24歳まで書き綴ったものをお送りします。
年齢相応の感慨もあれば、少しも進歩していないという印象も否めません。
ご笑覧ください(元は数年前、成人式を迎える娘にプレゼントしたものです)。
2003・1月橋本健午

1962年(昭和37年) 二十歳
何かいいことをしたと思うと ホントにそんな気持に
なるのかと思うと 人生も案外 楽しくなるものだ
(同1・9 在京のガールフレンドに風邪ぐすりを送る)
安逸な状態は いつまでも続く ものではない
いつか破綻が 来るのだ(同1・13)
親不孝なんて コトバは通用しない
新しい道徳が 確立されなければならない しかも青年の手で(同1・17)
私でなければ書けないもの
また青年時代の私でなければ 書けないものを書きたい(同1・22)
マジメが肝要 いつでも(同1・30)
金によって 人間の存在価値の基準 とすることはできない
赤貧であっても 生きる価値がある間は
どうにか生きられるものだ(同2・8)
私は 何事においても その絶対的価値を 否定してきた(同2・11)
結婚せず しかも つかず離れずの状態
 −ちょうどサルトルとボーヴォワールと同じように−
を維持しようと思えば お互いが
自立していなければ できないことである(同)
子孫は 彼らの意志によって
生まれ生きるのではない(同、夫婦について)
母と一緒に 暮らすようになって
私はだんだん世の中が すなわち処世術が 分かってきた(同2・13)
私のこれからの人生が いかに展開しようとも
私は"私自身であること"を 失わないであろう
(同2・13上京後、書き出す予定のノートの扉に)
まるで 遠足に行く小学生か
あるいは 芝居を見に行く老人のようだ(同2・24上京を間近にひかえて)
生きることの目的が 恋にばかりあるとは考えていない
しかし 恋は人間を "大人"にさせる(同2・27)
目の前に 私の持って来た ハサミがある
そしてそれは 凶器ともなりうる
(3・1上京第一夜、文京区でノオト「最初の十日間」より)
温和 愛他的 批判的 ペシミスティック
(同3・15自己の性格として、学生身上記録に)
生活は貧困でも 恋をするとき 人は"貴族"となる
(同3・21東大受験生へのかりそめの恋)
だんだん世の中の 事情を知って
普通の人間になるよう 努力しています
(もまれることが近道)   (3・30手紙に)
常識のない人間は 相手にするに足らずだが
偏見のある人間は よけい恐ろしい(4・13手紙に)
積極的に 能動的に 自覚的に 生きることが必要(同)
希望することと 強制することは 同じだろうか?(5・7)
"特殊"と"天才"は同じで いずれも
一般人には理解されない "凡俗"だ(5・16)
元気なやつ あわれに見えるが うらやましい
ユウウツなやつ 同族だが ひっぱたいてやりたい(同)
偏見のない人間は 愛すべきだが
他面 危険である なぜなら 彼は自分に注意しないから(同)
賢明なる方法は 中庸の徳 を守ること
これぞ私の生活信条 ではなかったか(5・28)
自分を信じ 自分の力を 頼りにしよう(同)
人間は落ちつきが 肝心だ
何をするにも 節度を守り 我を通さず 協調すること(同)
愛は醜く 恋は怠惰だ(9・21)
自らの存立を悟らなく
自らの価値を 悟らないものは
生きる屍にしか 過ぎない(9・30)
人生の肯定は 弱き人間の常 すがりつきたいやつは ふり落とせ(同)
考えることができない というのは もっとも 辛いことである(10・24)
悲劇は喜劇の 兄弟である ――書いてあることが
真実のすべてである と思ってはならない(10・30?)
ああ、寝たい眠りたい……
そして この世が終わったころ 目をさましたい(11・3)
人生は すべからく 盗作の連続だ(11・5)
人生は 一日の 集大成である(同)
愛するとは 相手に干渉し 相手を傷つけることだ
それ故に 自らも 苦痛を感じることである(11・25)
相手の人格を尊重し
相手の尊厳を 傷つけないようにと思えば
何も働きかけないのが 得策である(同)
一緒に過ごし 共同の時間を持ちたいと望む のは健康である
だがそうすることによって どれだけ個人の時間が 犠牲にされることか(同)
壁は 破るべきものとして 存在している(12月?)


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