けん語録−青春編−(その8)

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昨年3回にわたり掲載した、最近10年の言葉「けん語録」の"青春編"として、
15歳から24歳まで書き綴ったものをお送りします。
年齢相応の感慨もあれば、少しも進歩していないという印象も否めません。
ご笑覧ください(元は数年前、成人式を迎える娘にプレゼントしたものです)。
2003・1月橋本健午

1963年(昭和38年) 二十一歳
個人主義尊重は 常にその背に 悲劇を背負っている(1・22)
人間関係に必要なのは 遠慮であり 互助であり
そして常に相手の立場を 理解することである(2・1)
どんなに 親しい仲でも 絶対に許せない ということがある(同)
自分自身しか 頼りにすることはできないという
理由は何であれ 真実であろう(同)
私は他人に対して 秘密を持とうと思う
それは通俗的な意味においてではなく
私が言いたいのは 私自身の生活に立ち入らせない ということである(同)
最も気の利いた洒落を飛ばすには
大いに頭を使うことである
飛ばす時は そういつでもあることではない
また、あっても それは瞬時のものである(同)
私には 他人を警戒もせず 疑いもせず
ありのままを 受け取ってしまう クセがある(2・17)
愛するってことは 全くの失敗作か 偶然の傑作だ(同)
終わるということは 始まりである
そして また 同じくり返しである
(2・17求められて、ある先輩への言葉)
親が子供に 期待するものは
一般には 非常につまらない動機 からである(5・9)
子供は親の肉体の一部を 奪って生まれたのではなく
生まれると同時に 親から独立したのである(同)
現代の青年の顔に生気がないのは 何も栄養が悪いためではない
彼らの眼には 現代の世の中が 何らバラ色には映じないからである(同)
希望に眼を輝かせながら 文学も単なる手段にすぎないという
三つ年上の青年の横顔が哀れに見えた(同)
彼女は やはり女ではなくて 少女だ
決して永くは続かない 一回限りの(5・18「題」少女 あこがれ)
仲間たちが "我々……"というとき
私はいつも 自分はその中には入っていないのだ と感じざるを得ない(同)
黙っているということは うそをつくことと 同じではない(8・7)
他人はよく あの人はきれいではないを きたないと解釈する
言葉の持つニュアンスを 全く無視して
機械的な考えをするのが 現代的らしい(同)
内社会的な存在と 外社会的な存在(8・18)


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