まだまだコラム目次

「まだまだコラム」 2008年2月上旬号

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「口は禍の門」
 政治家や役人、著名人の失言問題は、いつまで経っても止まないが、今やだれでも発言できる時代?!
 歌手の倖田來未がラジオの深夜番組で「35歳ぐらいになると、母親の羊水が腐ってくる」というような発言をしたそうだ。 どういう意図からか知らないが、インターネットでの"抗議"の書き込みは3日間で5万件を超えたとか。 彼女は自身のホームページで「皆様に不快な思いをさせてしまったことを心より深くお詫び申し上げます」と謝罪したそうだが、 ラジオ生放送番組を降り、キリンビールの缶チューハイのCMが中止になるなど、他のスポンサーも似たような動きをしたという。
 しかし、先の謝罪の言葉もおかしい。「不快な思いをさせてしまったこと」に対して、お詫びをしているだけで、 発言内容については触れていないからだ。自らの"性"を軽視し、かつ生命をいま話題の商品の消費期限や賞味期限と同じように扱っている、 ところに大きな気がついていない点が問題である。
《補足:後に発言の内容についても、誤りを認め謝罪したそうだ。2008.2.13》
 一方、下手な冗談は、だれだって言いたいもののようだ。ケンタッキーフライドチキンでアルバイトをしていた少年が「店内でゴキブリを揚げた」と、 自分の日記をインターネットで公開したため、多くの人が「気持ち悪い」などと騒ぎを起こしたという。 本人は「いたずらで嘘を書いた」と謝ったそうだが、通っていた学校を自主的に退学するなど払った代償の大きいこと、 前者と大差はないだろう。

 わが身を省みると、大人になってからだが、人から悪口を言われたり中傷されても、言い返さないことと自分に誓った。 他人の悪口にも、同調しないようにして来た。つまり、前者ではその人と同じレベルに落ちるからであり、 後者では悪口の言いだしっぺにされるおそれがあるからだが、いずれも、そこで"終らせる"ことが大事と思っていた。
 その昔、大学浪人時代に母親から「舌禍」という言葉で、発言には注意をと言われたことがある。
 さらにその前、高校一年のころ、親しかった友達と不仲になった。はっきりした理由は思い出せないが、ともかく、 その当時ならった漢文の一つ「君子は交絶ゆとも悪声を出さず」〔史記〕…君子は交際が断絶しても、けして相手の欠点を吹聴しない、 を肝に銘じたことは事実だ。

「"美しい国"大正編?!」
 "美しい国"とは"美国"すなわち中国や韓国でいうアメリカのことだと思っていたが、昨年9月、とつじょ退陣した安倍何とかという前首相の口癖でもあった。 それまで、誰も口にしなかったぐらい、あまり美しくない国、日本であったが、このたび偶然にもこんな表現に出くわした。
 これは『女の世界』大正5年1月号に所収と、『復刻版 大正大雑誌』(流動出版1978・06)にある。
 題して「植民地の酌婦生活」(筆者:河の女)といい、◎京城の汽車の中…6話、◎質屋の客…4話、◎好きな日本人に金がない…2話、 ◎料理屋の繁盛…2話、そして◎支那女の情死…2話とあるうち、「料理屋の繁盛」の第1話である。全文を書き出してみよう。
 ▲数ある醜業婦の中には、これでも男の心を惹くのかと思ふ様な、扮飾の拙い下女の様な女もザラにゐます。 渡り者よりもポツト出の初心な女の方が、可愛いといひます。何しろ美しい国を捨てゝ、気候の不順な、馬賊なんどの跳梁する国に来る人の多くは、 一攫千金者流の者が、悲惨な思出を抱いて新生涯を作らうとして来る者か乃至は真面目に此の土地を研究してやらうとして来る者で、 其大部分は一図に金を握らう、一刻も早く予定の目的を達しやうと焦つて居る者が多く永久的の住居を、心掛けている様な人は寥々たるものです。 従つてこんな土地には女の需要が盛です、なほ娯楽機関の設けが料理屋以外にないことも、この種の女の多くなる自然の勢でございませう。

 どう美しいのか、何を指して美しい国というのか、さっぱり分からないところが、先の安倍何とか前首相の場合と同じでは、 やはり少し"いかがわしい"のではなかろうか。

「目分量、手加減、いい加減」つづき(味噌・味噌汁 編)
 カミさんとミソ造りをはじめたのは、もう20年近く前になるだろうか。カミサンが生協で調達する大豆(2kg)、 麹(8枚、2kg)、荒塩(1kg)を材料に"婦唱夫随"である。
 子どもたちが小さなころの日記によると…
 1986(昭和61)年3月2日(日) 長女(小学5年)が早く起きてきたので、みそ汁の作り方を教える。 /6月15日(日) 父の日 今年もミソづくりをやる。専用のカメも買い、約3時間。
 87(昭和62)年7月19日(日) 一日雨 みそづくり 雨もよいなのに、長女は京王多摩川のプールへ。 友だち同士で遊ぶのも、経験である。1時すぎより、みそづくり、7回目。少しずつ馴れてはきたが、食べるほうが追いつかず。
 88(昭和63)年1月24日(日) みそ造り。午後だいぶ手間取ったが、年2回の仕事。長男(1歳4か月)もみそ汁が好きなようで、 一家全員のために、つくり甲斐があるというもの。
 89(平成1)年1月29日(日) みそづくり 長男も手を出す、長女も手伝う。
 おかげで95(平成7)年6月、長男の好物は「ラーメン カレー フルーツポンチ さとうパン アメリカンドッグ チキン みそしる」と、学校で記す。
 自家製みそをつくる時期はまちまちだが、日曜日の仕事だったんですねえ。しかし、勤めは95年末までで、その後は曜日を問わずに、 やっていたはず。では、最近はどうか。
 2007年6月17日 仕込み/07年12月24日 ・かき回す ・少し取り出す(約一キロ) ・これまでで、いちばんよい味!! 《じつは、少し前、カミサンから「来年はどうする?」と聞かれ、やや面倒くさくなっていた私は「もう、やめようかなと思っている」と答えたばかりだったが、 「やる気が出てきたよ」と答えるから現金なもの》
 08年1月29日朝 二度目の取り出し さらに、美味しそうな色、味噌らしい光沢、練れ具合…(当然、次の分の材料を予約した)

 今朝は、いつものように何を具にミソ汁を作ろうかと起きてみると、珍しく鍋に具が入っているではないか。 その組み合わせ加減で、さらに足してもよいのは、(水煮の)筍にワカメだと読んで、その準備をした。
 やがて、ミソを入れ出来上がりと思っていると、煮干し(昆布と煮干しと椎茸をミックスした粉末状のもの、自家製)を入れ忘れたらしく、 カミさんはお冠であった。ああ!!《蛇足:グーのネも出ない?!》

(以上、08年2月12日までの執筆)


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