「職場の悩み、今昔」
2月17日付の東京「職場は頭痛の種!?/76%『悩みある』/第一生命研が調査」によると、男性(73%)より女性(79%)のほうが悩んだ経験が多く、
また男性の40代(85%)と女性の30代(86%)が突出していたという(20―59歳、601人の回答)。
そして、悩みの"対象"は男性では「同性の上司」(77%)、女性では「同性の同僚」(58%)が多かったそうだ。
これを見ると、働き盛りの男にとっては"先の見えた上司"が何かと口うるさく、いじめられたり、女性の場合はライバルとして生き残りレース展開をしているのか、
足の引っ張り合いかの図、といえそうだ。
しかし、どのような職場環境か詳細が分らないこと、また質問者自身への「自分はどう見られているのか」という設問もなく、
これでは不十分である。"眼の敵"された匿名男女は、いい迷惑ではないか。
話とんで、『サザエさんをさがして その2』(朝日新聞社2006・12)はいろんなことを教えてくれる。
それによると、"「上司=絶対服従」は、右肩上がりの経済と、終身雇用・年功序列の人事制度があったからこその時代"で、
いまやバブル崩壊後の若者にはそれは通用しない、と経営コンサルタント古屋由美子さんはいう、とある。
さらに、彼らは「自己啓発や趣味、恋愛、仲間とのつきあい、と人生において大切なものが多様化し、仕事=生活ではない。
上司とそりがあわなければ転職も気軽に考える。上司にとっては、雇用形態も違う個々の社員の特性を見極めて指導しなければならない、
難しい時代です」と、先の古谷さんが言ったのは、2006年の春ごろか(新聞掲載時から推定)。
これでは、時代はどちらが先(すなわち、古い)のか、こんがらがってしまいそうだ。
私はといえば、40歳になった年の10月から月給取りとなったが、阪神淡路大震災で明けた95年の12月末に、13年3か月で辞めてしまった。
その理由はさまざまだが、「・別に世間的な意味での出世などしたいわけではないが、正当に評価されないというのは、働く意欲を失わせる
・使い捨てにされるほど、無能ではない」、「汐時が来た! これからの人生を考えると、他人の面倒をみるヒマはない。
その責務もない 要するに、プッツンしてしまったのである。」などと記している(以上、「退職後について(予定)今年末以降」95・9・6未明より)。
思うに、冒頭にあげた第一生命研の調査では、「悩んだことがない」のは3%未満もあったそうだ。 愚考するに、なぜ悩みがないかを聞いたほうが、世間のために役立つのではないか。 もっとも、調査したのが生命保険会社だから、明るい話題を出しては商売に差し障る、というところか。 まあ、政府が自分に都合のよい結果を得るために行なう世論調査のようなものですな?!(箴言:だれも他人のためには働かない…)
「2・26の今昔」
40歳のとき、『父は祖国を売ったか―もう一つの日韓関係―』(日本経済評論社1982・07)を上梓した。
つづいて、岩の原ぶどう園の主、日本のワインの父もといわれる"国士"川上善兵衛(1868―1941)の人物論を依頼され、
さらに別の情報により初代日本共産党書記長の徳球こと徳田球一(1894―1953)についても書こうと思った。
つまり、右翼と左翼の人物論であるが、二人の間に脈絡はない。
先の情報というのは、徳球が戦後中国に亡命するとき、ある皇族が関与していたらしい、というものだった。
そこで、私は大宅壮一文庫で大量の雑誌からコピーを取り、いずれ皇族の取材をもと考えていた。
ところが、8月の下旬、知人から勤めないかという話が来て、その10月から出版関係の団体で月給取り生活に入ることになる。
まず役員面接があり、「酒は飲むか?」に「少々飲みます」と答えると、「少々とは一升、二升ですか」とまぜっかえされたあと、
『父は…』の次にどんなものを書くのかと質問された。私は川上善兵衛の名を出したあと、もう少しで徳田球一を口にするところだった。
しかし、この業界に限らず、組合とか左翼、共産党が好きな経営者は少ないことを思い出し、言葉を飲み込んだ。
私は高校時代からノンポリのつもりだが、人はそうは見てくれないのが世のなか。勤めて2、3か月もしないうちに、
上司にマークされ始め、何やかやと難癖をつけられた。辞めるまで知らなかったのは幸いだが、私は"アカ"のレッテルが張られていたのだった。
もの書き志望の私だが、新しい仕事に慣れるのに苦労して、善兵衛では新潟までの取材にも行けず、
徳球に関してはある人がその皇室の方に会わせてやるよといわれたが、準備不足のまま時間が過ぎてしまった。
それから7年近く経ったある日、別の会合で知り合った国会図書館の方から、「二・二六事件」のナマの資料があるといわれ、
俄然私の中で眠っていたものに火がついた。
手帳を見ると、89年2月4日(土)、午前10時前に、同図書館の4階に今もある憲政資料室にその方を訪ねている。
二回目は一週おいて18日の午後である。午前中は仕事がらみのある会議を傍聴し、夕方からは家族旅行で熱海に一泊していた。
さらに隔週ごとに行くつもりであったが、少しずつずれながらも、コピーを取りに行っている。
資料は主に、事件前後の"不穏情報"などを集めた内務省「週報」で、たとえば第一号〜第十号(昭和11年4月27日〜6月29日)には、
一、二・二六事件関係情報/二、相沢中佐事件(S10・8・12)関係情報/三、神平隊(S8・7・11)事件関係情報/四、軍部関係情報
/五、其他不穏情報/六、統一戦線運動情報/七、要注意其他人物ノ時局談等/八、雑之部/九、叛乱事件支持的言動調
/十、週報特別号(昭和11年6月15日)関西方面ニ於ケル国家主義運動 となっている。
第十一号(昭和11年7月6日)は、非合法策動ニ関スル情報ほか5本、第十二号(昭和11年7月13日)では、
"特秘情報"とあり非合法策動ニ関スル情報ほか7本など、昭和12年の2月分まである。
これらで類推できるように、旧漢字にカタカナ書きで慣れるまでに一苦労する。書かれている内容はそれ以上にむずかしい。
それを本文ともどもワープロ入力したのは半年以上過ぎてからだが、一方で、そのころ刊行されていた原秀男編『検察秘録 ニ・ニ六事件(匂坂資料)』1〜4(角川書店)も買い求めていた。
しかし、いちばん欲しかったのは、先の情報収集の指揮をとった元内務省警保局長の萱場軍造氏(当時、すでに故人)の日記である。
昔の人はよく日記などの記録を残しておられるから、それがあれば、公の記録に書かれざる"何か"があるのではないかと思ったからだ。
同氏については、昭和41年、42年の二回にわたり行われた回顧談「萱場軍造氏談話速記録」(内政史研究資料第四六、四七集)があるが、
私は事件直後のナマの声がほしかった。そこで、いろいろ調べた結果、ご子息がある保険会社の役員をされていることが分かり、
その方あてに手紙を書いたところ、しばらくして勤め先に電話をいただいた。
予想外、かつ嬉しかったが、「日記など、まだ整理をしておりません」とのことである。取りつく島もない、とはこういう状況をさすのだろう。
しかし、見ず知らずの相手に、わざわざ電話を掛けてくださっただけでも、良しとしなければならなかった。
書籍資料はここに挙げたものを含め十数点あり、あきらめずに私は自宅でワープロに向かい資料を文字化していた。
当時、勤めのほうはすでに慣れていたが、名古屋にいる母の見舞いなど、週末を使っての時間はなかなか取れなかった。
そんななか、あっという間に、この作業を打切る事態が起きた。どこをどうミスしたのか、入力したデータおよそ30ページ分が、
一瞬にして消えてしまったのだった。
私には「今からでも遅くない」も何も、なかった。
「ゴミかコレクションか」
〔日記〕某月某日・・・何か整理し始めると、連鎖的に気になり、必要のないことにも手を出すことがある。
忙しいかどうかも構わず、仕事の優先順序もあるだろうに、とにかく気になりだすと止められない?!
というわけで、頼まれもしないのに、冷蔵庫の中身を整理していた。
といっても、大がかりなものでないのが、悲しい現実。出てきたものをアトランダムに並べてみよう(数字がないのは一個だけのもの)。
うなぎ蒲焼のタレ/喜多方ラーメンのスープ/「北海道」がら味スープ(しょうゆ味)/ポタージュ<熱湯150ml、かきまぜ>
/もりおか 冷麺スープ/かんてんぱぱフルーツソース(ストローベリー)/中濃ソース(カントリーハーベスト)
/「さぼてん」特性タルタルソース(賞味期限2005・12・20)
キムチ風味スープ/トンカツソース<濃厚10g、自家製>3袋/ビビンパのたれ/神戸点心PAOPAOシューマイのたれ
/好餃子 餃子専門の店のたれ/宇都宮餃子 たれ2袋/味噌だれ15g(賞味期限2008・03・08)/しょうゆ(古市庵)すし用?
/美味しいおでんのスープ(濃縮タイプ)/青じそ(ノンオイルドレッシング)柿守/みつ30gロケットパック入り
/ところてん つゆ/おろししょうが(2種)
わさび(3種、3g〜3・5g)/ねりからし(2・5g、要冷凍)/がり(すし用)/納豆のたれ(5種)
/納豆のカラシ60個(みな黄色だが、四角の袋も大小、切取り口の形態など少しずつ特長がある。大別して3種…13個:20個;27個)。
このほか、パックされた大き目のキャラメル一個に、何に使うのか不明の茶色いスープ(50グラムぐらいか)
さて、今わが家に弁当持参の学生はいないので、冷凍餃子などはなく、これらはいつ食されたのか。
賞味期限2005・12・20の「特性タルタルソース」を見るとかなり古いことがわかる、しかし、ほとんど"脇役"ばかりだが、
薬味がないと味気ないだろうに、なぜこんなにも残っているのか、よく分らない?!
とはいえ、色とりどり、これだけ並べると、かなり壮観ではないか、という興味の沸く方もおられるだろうと、
頼まれもしないのに記念撮影もした。
さて、問題は後始末である。そのまま捨てるのはだれしも思うことだが、いまどきそれは許されない…。
環境に配慮し、いかに苦労したかは秘密だが、まだ処理し切れないカラシやたれなどがある。
どうしたものか、タレか故郷を思わざる?!
この作業は書類の整理をするのと同じで、時間をかけた割には、見た目に大きなスペースが空くわけでもなく、
「スッキリして、助かったわ」というお言葉をいただける性質のものではない。
さらには本来、"公表"すべきものではないだろう。したがって、公表する意味があるのではないか、と愚考する次第!?
(以上、08年2月26日までの執筆)