「会合・宴会など」
定期的なものや一回限りの場合、多くは公式でもなく、また参加自由、人数もそれぞれである。
学校関係:小学校(静岡県)は、3,4年に一回だが、次はいつやるのだろうか、まだ連絡はない。中高校の同期会は東西で、いずれも3月。
同窓会は東京地区で7月に一回、50人前後は集まっている。大阪での総会は隔年に行われ、今年で20回目となる(11月)。
ともに、毎回出られるとは限らないが・・・。
大学のクラス会はほとんど開かれていない。さいきん10人以上が集まったのは3年前の秋、仲間の一人が亡くなったときだった。
代わりに、同じ釜の飯を食った寮のOB会は盛んで、はや38回を迎え、今年は5月、久しぶりに関西は有馬温泉で行われるという。
かつての仕事関係も、何となくつながっており、年に二回、春と秋に行われる"午の会"は、毎回40名前後の老若男女が集まる。
近ごろ春は上野公園のお花見つきである。私はすでに十数年の参加で、幹事も一回やっている。
ついでに言えば、上記と何の関係もない"仔午の会"という小人数の会は、年三回春夏秋に集まり、単に飲み食いをするもので、
言いだしっぺは私自身であった。これも十数年になる(途中から、たまに出す私の本を買ってくれる会ともなった?!)。
忘れてはいけない。真面目な会もある。4百人ばかりの学界は春に総会と研究発表会があり、時に私もなにやら発表している。
小さな勉強会は年にいくつもあり、出たり出なかったり。今週末には戦前の検閲本に関する話を、
来月上旬には別の会で戦後のラジオ放送と歌謡曲に関する研究発表を聴講する予定。
話はもどって、三年前の9月、一回だけ召集して開いたのは、共通の仲間で、いちばん若いのが大手出版社の役員になったのを慶賀するためで、
これは参加する人選から、会場選びまで、私がやってしまった。
会員社の委員からなる会合を立ち上げたのは、二十年ほど前のこと。人望ある委員長がいたからだが、OBも含め当初、
毎年11月の中旬、よい季節にいつものちゃんこ料理屋で開いていた。
元力士が切り盛りする店で、よく味のしみた熱々の輪切りのダイコンが美味しく、とりあえず「大KON会」と名付けていた。
しかし、世話役をバトンタッチしてしばらくすると、いつしか忘年会に格下げされてしまい、12月の寒くて、
すぐ暗くなる時期に開くようになったため、会場選びもまた一苦労のうえ、年輩の参加が徐々に少なくなっている。
趣味的な会にも誘われて入会したが、最後は飲み会になるものの、なんとなく馴染めず、疎遠になってしまっている。
芸人を呼んだりするところに、何の会か分らないことにもよる。
さて、参加すれば、それなりの出費がかさむのに、出かけない夜、私は"ひとり宴会"を楽しむのである!!
(美空ひばりにあやかって)ひとり、自宅で飲む酒は〜
「テレビは必要、出版物は…」
青少年から頼まれもしないのに、彼らの健全な成長を願うという大人たちが、年一回代々木のオリンピックセンターに集まり、
彼ら青少年たちに害を及ぼしているという前提のもとに、各種メディアの代表と懇談する会が、今年も二月に開かれている。
かつて私もそのうちの一つ、出版団体に所属していたので、事務局として顔を出し、時にはレポートも書いていた
《「「出版倫理」 ある年次報告について (その1)」…昭和59年度「青少年と環境に関する懇談会」の「第一分科会 テレビ」参照》。
これは、今もつづく青少年育成国民会議主催の、昭和59年度「青少年と環境に関する懇談会」の「第一分科会 テレビ」に関する、
23年前の報告である〔マスコミ倫理 昭和60(1985)年3月25日 第305号〕。
ちなみに、この年に呼び出された業界人は、テレビ・少年少女向け出版物・青少年と成年及び一般向け出版物・新聞(スポーツ紙)・映画・雑誌自動販売機(以上、6分科会)に出席している。
では、今年の場合はどうか。A(複合カフェ・たばこ・コンビニエンスストア)、B(図書・テレビ・ビデオ)、C(ゲームソフト・インターネット・携帯電話)の3会場に大別されている。
A…日本たばこ協会/日本フランチャイズチェーン協会/全日本アミューズメント施設営業者協会連合会/日本複合カフェ協会…4団体
B…出版倫理協議会〈出版4団体で構成〉/日本民間放送連盟/放送倫理・番組向上機構/ビデオ倫理監視委員会/日本映像ソフト制作・販売倫理機構…5団体
C…コンピュータエンターテインメントレーティング機構/コンピュータソフトウェア倫理機構/テレコムサービス協会/インターネット協会/電気通信事業者協会…5団体と、
錚々たるメンバーではないか。
二十数年も経ち、青少年を取り巻く社会環境は大いに様変わりして、新聞やテレビに映画はもう呼ばれず、"追及"もされないが、
相変わらず出版物が槍玉にあがるのは、紙に印刷するという、手に取りやすく、表現も指摘しやすい古典的メディアだからだ。
そう、新しいメディアに馴染めないお節介な大人たちの欲求不満を解消する"ガス抜き"の役を担わされているのである。
「梅は咲いたが…」
パソコンと酒に淫する日々、寒さも加わって左肩が凝っていけない。腰も痛くなるのは運動不足だと、頭では分っているが体が動かない。
階段の上り下りはエレベーターを使わずとか、やってはいるが週に何回もない。
一念発起ではないが、先週末、午後の暖かさに引かれて、それぞれ1時間前後、ご近所を歩いた。
東に行けば野川があり、西に行けば多摩川と、散策には事欠かない。肩をぐるぐる回しながら、深呼吸もしたりして、歩く。
野川の水量はかなり少ないが、カモが何羽も水につかって遊んでいたり、犬も主人を置き去りに飛び回っている。
川べりの道路はサイクリング用でもあるが、放課後の小学生のグループに出会うのがほとんどだった。
カミさんと歩く場合は、花を愛でたり、話しながらだったりと、歩くのは二の次になっているが、
一人のときは"運動のため"が先に立つのか、つい早足になってしまい、いつの間にか左足ふくらはぎのあたりに違和感を覚えはじめた。
立ち止まったり、スローダウンしつつ様子をみる。少し歩いて見る。重いが、それほどでもないなどを繰り返し、
何とか無事に家に戻ることが出来た。
2日目。公園や個人宅の庭には、紅白の梅が今を盛りと咲き誇っている。もうすぐ、桜もやってくるかと思うが、
季節は気まぐれでもある。つい、梅は咲いたか、桜はまだかいな…などと、唸るだけの風流でもない私は、
そのまま多摩川べり出ると、陽は高く、風もなく気持ちがいい。
サイクリングする人、散歩の夫婦連れ、犬を連れた女性に、流木を拾う青年、そして先ほど私の前を無遠慮に手をつないで歩いていた若いカップルは、
そのまま川に入るかと思ったが、上流に向って歩いて行っただけ…。
ふと、私にもあのような青春はあったのかなと…。思うに、吾らの時代、手をつなぐことはほとんどなかったようだ。
40年以上前は、清く正しくでもなかったが純情ではあった?!
別の住宅街に出る。ときどき行きかうのは、散歩の老人、「歩くのに丁度いいわねえ」と話しながらの老婦人二人、
また市民農園の手入れをする人、可愛い声のするほうを見ると、三、四歳の少女が母親に話しかけた。
「歩くのは、私の仕事」だって。
目的のない散歩が出来ないのは貧乏性のせい!? スーパーで一升瓶その他を買い、陽気にまぎれて歩き出したはいいが、
さて中味の形が不ぞろいのビニール袋は、意外に持ちにくく、重たい。おまけに遠回りしたおかげで、徐々に左肩に違和感が蘇る。
ああ、自転車にすりゃ、よかった!!
(以上、08年3月11日までの執筆)