「政治家、外国の場合…」
国民の審判を受けずに就任した福田康夫総理は、年金問題やイージス艦の事故のほか、日銀総裁問題でもミソをつけ、
世論調査による内閣支持率は下げ止まらずの状況にある。いっそ内閣総辞職か衆院解散をやればはっきりするのではないかと思うが、いかがか。
目を国外に転ずれば、アメリカ大統領予備選挙では民主党候補がまだ決まらず(この争いは"雌雄を決す"ともいう)、
共和党のマケインはヒマそうで、イラク戦争5周年を迎えた日、死に体ブッシュと、「イラク戦争は正しかった」と肩を抱き合っているとか?!
クリントンとオバマの戦いは、まだ先が長くなりそうだからか、それぞれ"舌禍"によるミスでも争ってもいるようだ。
曰く「クリントン氏はモンスター(化け物)」と呼んだオバマ氏の外交顧問(女性)が辞任すれば、クリントン選対の元下院議員は、
オバマ氏のことを「黒人だから有力候補になっている」と発言して辞任したとか(いずれも東京夕刊08・03・08及び03・13)。
もう一つ、アメリカは新旧ニューヨーク州知事のスキャンダル?で、買春疑惑で辞任した前知事の後をついだ副知事は過去に不倫をしていたと告白し、
その奥さんも同時期、他の男性と不倫関係にあったと告白したものの、現在は夫婦仲が戻ったと夫唱婦随ぶりを見せて、
そのまま問題にされない成り行きという。
ちなみに、新知事は同州で初の黒人知事(国内では四番目)で、目が不自由という(盲人の知事は全米で二人目)だそうだが、
このあたりになんとなく、国家として"福祉"の力があるのではないか、とも思う。
不倫といえば、"昔の名前で出ている"クリントン元大統領とホワイトハウス実習生ルインスキ嬢との赤裸々な問題もあったが、
政務をきちんとやっていたのは、クリントン大統領候補の内助の功かしらん。
おっと、外国はアメリカばかりではない。
院政を敷くらしいロシアのウラジミール・プーチン大統領と、その信任厚いドミトリー・メドベーエフ首相とは、
いつまで蜜月が続くか、という見方もあるらしい。解説はなかなか難しいが、二人の名前の"意味"は分りやすい。
すなわち、ウラジミール=世界制服、ドミトリー=混乱の象徴、なのですって(東京夕刊08・03・08「『国父と偽君主』のロシア/原油高で経済成長、大国幻想/富独占の政権 内紛に脅え」)。
も一つ、今度はフランスの話題を。貧民から成り上がった移民の子サルコジ大統領の、前夫人のコネを生かして財閥となった出世譚は高い支持率とともに見事だったが、
あっさり離婚されたり、直ぐに新しい恋人を見せびらかしたり、変なセレブ振りで支持率は下がる一方だとか。
しかし、この元"一家"、話題提供も華やかで、前夫人は元の恋人と再婚するかと思えば、彼らの次男はパリ郊外のオードセーヌ県の県議選で初当選したとか。
父サルコジは22歳で市議となったそうだが、彼は21歳での登場である。
今後はどうなるかはともかく、また政治は性事かどうか知らないが、わが国の選挙権はいまだ20歳以上、
衆院と市町村長らの被選挙権は25歳から、参院と知事は30歳からとか。
何だか、いつまで経っても大人の国ではないような気がするではありませんか。
「別れの季節」その1
3月は別れの季節である。私の場合も例外ではない。講師業を十数年続けてきたが、期せずして、二つとも終わりを迎えた。
そのひとつ、出版関係に従事したい若い人向けの学校で、私は98年4月から文章作成と記事作成の2講座を受け持った。
当時、昼間部一年制の受講生は3クラスで100人を超えていたが、じょじょに減少し、2クラスとなり(受け持つ講座も一つとなり)、
この2年間は1クラスを維持するのがやっとのようであった。
推移は簡単にいえば、出版界の不況と歩調をあわせ、かつ就職難という時代の反映でもあったか。
しかし、3クラス時代の受講生には元気印が取り柄であったり、おとなしい高校新卒も何人か見られ、クラスはリーダーシップを取る生徒によって、
静かだったりうるさかったりと特長があった。
私は1クラス30数名の生徒のうち、多くて一割の熱心な者―つまり的確な反応をする者、突拍子もないが特長のある者など―がおれば、
次の授業も楽しくやれるのだった。しかし、生徒数が減少するにつれて、そのような刺激的な生徒も見当たらなくなった。
私は「講師はサービス業」と割り切り、毎年それなりに授業の組立を工夫したるものの、大卒がほとんどのシラケる生徒が目立ってきた。
それは、理想と現実のギャップに気付いたばかりでなく、授業が面白いかどうかの判断だけで臨む彼らに、
社会人として必要なことを伝えたい"親心"なぞに、聞く耳持たぬ風情でもあった。
彼らには、普通の学校とちがうという認識が希薄だった。つまり1年間学んだところで、しかるべき就職先が保証される世界ではまったくないにもかかわらず、
学生気分(モラトリアム)のまま、遅刻や欠席をするのは当然だと思っていたり、私が「落第点はつけない」といったとたん、
次から来なくなった男女が数名もいた。
静かにしていると思えば内職をしていたり、ケータイばかり覗いている女生徒、あるいは教室の後ろ隅っこでおしゃべりする男子生徒、
必要なテキストも買わず、大幅に遅れてきて文庫本を読んでいたりと、だれが高い授業料を払っているのか知らないが、
彼らに"社会人"を期待するほうが無理というものだった。
毎年、3月末の修了式(および懇親会→茶話会)には出るようにしているが、講師の顔を見て、あいさつする生徒もだんだん少なくなっている。
先日の場合は、少し前の10〜12月に毎週で12回会っていたはずだが、十数名のうち、あいさつをしたのは女子一人だけだった。
当初の講座は5〜7月(隔週6回)であったが、各年とも必ずあいさつしたり、話しかけてくる生徒がいた。
前期で就職が決まったという男子から「先生、まだ"けん語録"を書いていますか」(贈る言葉「書く書く詩か字か」)と声をかけられたときは、ビックリしたし、うれしかった。
よく覚えているものだと。
ともあれ、修了式に出席した者のうち、就職が決まったものは半数ほどといつものとおりだが、それ以外のものも元気に顔を出しているのは、
いつもの光景で、このあたりの若者気質は、ちょっとよく分らない。
茶話会で、就職組のひとりが抱負を述べると、講師陣を含め、みなの拍手を受けていた。
ついでに私もその前途を祝福して?質問した。「亀井さんは、本名ですか仮名ですか」、「本名です」と本人が真面目に答えると、
一拍おいて、笑い声があがった。そこで、私はもうひとつ「では、家名を汚さないように」と言いたかったが、
これ以上ダジャレルと、しらけるので止めました?!
「別れの季節」その2
もう一つは、大人向けというか、ある程度の年配者、しかも女性が中心であったが、若者の場合とちがって、気をつけるべきことはいくつもあった。
受講の動機はさまざまであり、また前任者の講義を受けている方が主で、しかも私よりも年輩の方が多い(まだ個人情報のうるさくない時代で、ほとんど年齢が記入されていた)。
馴れない私としては手さぐりというか、おっかなびっくりのスタートであった。課題による文章を数人に読んでもらい、
それぞれ講評するというやり方は聞いていたものの、そのまま踏襲するつもりはない。
とはいえ、継続の方が多いので、まったく違うやり方もできない。
そこで、これまでの文章に関する経験などを400字で"自己紹介"していただくことにした。
題して「書くこと」であったが、予期以上に"個人情報"が披露されていた。もっとも、これはアドバイスや質問をするときの参考のためで、
受講者間で共有するものではない。
現実はどうだったか。当初は人数が多く、90分間で受講者の満足するやり方は、なかなかに難しい。
読んで評価し、他の方の感想もとなると、1人に10分とっても9人までである。当然ながら、さまざまな内容とその出来不出来に質問など、
すべて10分以内というわけにはいかない。
公平な運営、偏らない評価を心がけたつもりだが、一回読んでもらうと次は大分先になり、不満が出なかったかどうか。
さらには順番が来ても、他人に不快感を与えるもの、優越感にあふれ鼻持ちならないもの、年齢相応の知識の欠落や誤解を与えるものなどの場合、
他人に気付かれずに、それとなく断るのに苦労したものである。
講師としては余計なお世話かもしれないが、私はカルチャーセンターは"自分を磨く"ところではあっても、
"自分の評価"を下げるところではないと考えている。しかし、いくら年をとっても気がつかないものは、
人それぞれにいくつかあるものだ。そこで、気がついた以上は、その人の名誉を守るのが、私(講師)の役目ではないかと。
ひとつ挙げれば、「原罪」などに触れずに、人類の祖先はアダムとイブだとの論を展開したのは、相当の年配者であった。
講義の後のお茶の席は、講師と受講者の区別もなく、リラックスするものだが、そこでも気を緩めることは許されなかった。
あるとき、ちょっと礼儀を知らない若い受講生のいないことを幸い、「先生、Aさんのことをどう思いますか?」と聞かれたが、
私は「まだ、よく分らない」としか答えなかった。うっかり同調したりすると、中には「先生は、おしゃべりだ」とか、
エコヒイキしかねないと、解釈する人もいないとは限らない。
もっとも、これは私の人生観で「陰口は言わない」、「人の悪口を広げない」と、心しているからでもある。
《なお、これは別項に関連のものを掲出している(《ミニ自分史》(71)「先生も書くべき…」参照)》
(以上、08年3月25日までの執筆)