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「まだまだコラム」 2008年5月下旬号

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「分からないことがあれば」
 ついに、私のところにも"重要"かつ"親展"という「ねんきん特別便」がやってきた。
 社保庁の"優秀な"職員は、これまでも長年にわたって年金や税金の使い放題、宙に浮いた5千万件の受給者不明など理解に苦しむ対応をしてきたが、 ふたたび税金の無駄遣いというか、何百万人にも「ねんきん特別便」を送りつけるというのはあきれるばかりだ。
 自分たちの無責任さを棚に上げて、国民に対し、年金の需給が継続になっているかどうかを申告しろというのは"丸なげ"もいいところ。 きちんとした対応がなければ、国民の"自己責任"ときめつけ、自分たちの無責任さをチャラにしようという魂胆ではないのか?!
 さて、その中身は年金記録のお知らせ、年金加入記録回答票、そして"舛添要一"と読むには一苦労する厚労相直筆サイン入りの説明書と回答記入例の6ページにわたる印刷物 (以上、すべてA4版三つ折)、さらに回答書を送り返すためらしい、あて先のある封筒も入っていた。
 事細かに書いてある「お知らせ」を読んでも、なかなか理解できないのは、こちらの頭が悪いせいか。 ともあれ、私の年金記録には「もれ」や「間違い」はなさそうだと一安心はしたものの、返信しろという用紙と封筒の関係が分からない。
 封筒は天地左右のサイズが中途半端というか、三つ折の回答票(かなり硬い紙、かつ機械によるのか、折り方が均一ではない)が素直に入らないのである。
 記録の内容に「もれ」や「間違い」がなくても、必ず送り返せというが、どうしてよいか分からず(本件について、「お知らせ」には何もない)、 いろいろ試しているうちにクシャクシャになってしまい、だれも送り返したくなくなる?!
 返信を求めるならば、記入後その三つ折りのまま入れられる封筒を用意するのが常識であろう。 彼らにはそれが重要だという認識がないからか、あるいは返信を期待したくないからか、いい加減であるからか。 でなければ、紙の容量を節約したとでも言いたいのだろうが、多寡が知れている……。
 私は「分からないことがあれば…」問い合わせろという電話番号に何度か掛けてみたが、いつも「ただいま、電話は混みあっています。 このままお待ちいただくか、いったん切って・・・・・」というのにウンザリ。
 そのうち、届くであろう、「お返事がありませんが、いかがしましたか」などという「ねんきん特別便 part2」でも期待して待ちましょう?!
 《後日談:改めて回答用紙を四半分に折れば、何とか入ることが分かったが……》

「不発爆弾と焼きそば」その1
 辛うじて、避難対象区のわずか外側に住む私も、米軍の"置きみやげ"不発弾処理の行われる18日(日)は午前6時ごろから昼ごろまで緊張を余儀なくされた (調布市による避難実施時間:午前8時〜午後3時頃まで)。
 予告されてはいたが、当日が近づくにつれ、準備をするものの、思わぬことも出てくる……。
 わが家族は4人。まず、大学生の息子は前日に続いて、朝7時すぎに千葉方面へ発掘調査に出かけた。 カミさんは何年ぶりかで彼の弁当を作り、自らも避難ボランティア、視覚障害者ヘルプのため近くの小学校へ7時30分までに行った。 さらに、避難地域内に住む娘は("9時半までに避難")、9時ごろにやってくる。
 さて、"兵站"後方支援を引き受ける私は、いつものように冷静沈着?とはいうものの、パソコンで取りかかった仕事が面白くなりかけたころ、 市役所の広報車はスピーカーで避難を呼びかけ、消防車はサイレンを鳴らして走り回り、空には取材のヘリコプターがうるさく飛び回り、 サイクロンのミャンマーや大地震に見舞われた中国の被災者のことを思うと、さしたる問題ではないが、やはり落ち着かない。

 そういえば、この日はお昼に"焼きそば"を作ることになっていた。食事はだいたいカミさんが作るが、この焼きそばは私の仕事になっている。 そう、結婚する前の中学時代から休日に作っていたのだ(大人はだれも作ってくれず、空腹の私は自ら調達するよりなかった。 ああ、スーパーもコンビニもなかった青春時代?! 野菜サラダや、イチゴやリンゴのジャムも作っていたっけ)。
 ところが、いつもの我流ではなく、カミさんがテレビで仕入れたばかりの「ガッテン流焼きそば」という注文である。 いわく1)麺はほぐさず、油で両面を焼く(中火2分)、2)麺の周りに肉を置いて焼く、3)キャベツはその上に乗せる、 4)お湯を注いで蒸す、5)ソースを混ぜてほぐす というメモを渡されたのである。
 これは、フライパンを使った、一人前の作り方と分かったことで私は頭を抱えた。
 料理など別に趣味でもないが、なにごとも工夫が必要であると思っている。いや、天邪鬼なのかもしれないが、 教科書どおりにとか、言われた通りにやるというのは苦手である。第一、創造力が刺激されず、面白くないではないか。 ―ツヅク―

「不発爆弾と焼きそば」その2
 たかが、"焼きそば"であるが、私は大きな中華なべを使い、肉や野菜(時には海鮮もの)をいため(スパイスは生姜にニンニク)、 味を十分に出した中に、あらかじめお湯でほぐしておいた麺をいれ、味を馴染ませ、ソースを二人分だけ入れてよく混ぜ、 最後に"隠し味"生卵を落とし、少し混ぜ、しばらく置く。この日はキャベツでは面白くないからモヤシを使った。 ほとんど"むし焼きそば"かもしれないが、いつもは一度に三人前が出来上がるのだった。
 話はもどって、不発弾処理は、30分くらいで終わったそうだ。2人交代のため、家に戻っていたカミさんは市のアナウンスで知った"避難解除"の知らせに、 さっそく小学校へ戻って、間もなくプラスチック容器に入れられたオコワ弁当をもらって帰ってきた。 テレビをはじめ取材陣は多く、中にはあの懐かしい"不肖宮嶋"カメラマン(週刊文春などで活躍)も混じっていたとか(ということは、あやうく戦場になるところだったか?!)。
 この日の避難民は、入院患者を含む1万6000人とか(市民の15分の1ぐらいか)。
 ともあれ、無事に終ったものの、3月27日に発見されて以来、この日までにかかった広報はじめさまざまな費用は相当なものであろう。 先の入院患者(約120人)を他の病院に移送した病院は、その費用1千万円超といい、市に費用負担の協議を求めていきたいという。 医療だからか、だれでも求められるとしたら、さらに市の財政はたいへんなことになろう。
 インターネットでは、落下当時の話を含め、さまざまな情報が流れていたという。土地の古老は日本軍の狙撃で米軍のB29が墜落し、 捕虜が多くいたことや、あるいは爆弾が落ちたときのことを鮮明に覚えている人もいてスケッチで示したそうだ。
 ところで、不発弾処理の撤去費用は、その土地の持主の負担だという。なるほど、いい迷惑であろうが、法律上はそうなるのだろう。 しかし、知っていても放置するケースもあるそうで、沖縄ではしょっちゅう埋め戻されているとか?!
 それはさておき、元はと言えば、アメリカ軍がらみのことである。ここで、福田首相や石破防衛相は直ちに米軍に"思いやり予算"を求めるべきであろう。 さらには、石原都知事も新銀行の追加400億円ほどではないだろうから、一肌ぬぐべきではないだろうか。 調布といえば、弟裕次郎がお世話になった地ではないか。
 さて、もう一度、話はもどって……結局、私にはマスコミ注視のなか、ウラ番組として焼きそばを二種類も作るという"怪挙"を成し遂げた、 歴史にも残らぬという一日となったのであります。

(以上、08年5月20日までの執筆)


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