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「まだまだコラム」 2008年6月上旬号

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「自衛隊機で輸送を」
 私の知った第一報は、5月28日(水)夜のテレビニュースだった。
 四川大地震の被災者に、大型テントを送る件で、中国政府は「自衛隊の輸送機で」と要望してきたため、日本政府はそれに応じるという。 私は思わず、そばにいるものに言った。「中国はそこまで具体的に求めるのか。内政干渉ではないか」という疑問を。 ついで、輸送機を"捕獲"して、機密(性能)でも調べるのだろうか、とも。
 翌日の新聞では、さらに文字が躍っていた。東京08・05・29第1面「中国に自衛隊機派遣/地震救援要請受け/テント・毛布など空輸/政府方針」によると、 「中国からの要請は27日に北京の日本大使館を通じて行われ、救援物資とその輸送に関し、自衛隊の活用を含めた協力要請があった」。 つづいて記事は「増大する被災者救援活動の一環とはいえ、中国側が外国部隊、とりわけ日本の自衛隊の受け入れを判断したのは異例」などとある。 第3面では、さらに「歴史的感情より救援/四川大地震 自衛隊機派遣へ/『要請は画期的』/関係改善 薄らぐ抵抗感」に、 防衛省幹部の言として「画期的」とあるのだが、つけられた写真は、今すぐにも飛び立つかのように、小牧基地などでの輸送機の姿やテントの保有数などについて報じていた。
 ところで、同記事「自衛隊派遣要請の背景にあるのは、日中関係の急速な改善にある」とし、歓迎ムードのなか、インターネットでは「日本軍はまた中国領土を踏みにじる気か」 「地震よりひどいニュース」などの反発もあるという。
 だからであろうか、同29日夕刊になると、「自衛隊機で物資輸送/中国メディア、報道せず/『なぜ政府は認めた』/ネットで当局批判も」となり、 中国メディアの一つは「中国側が自衛隊の保有する救援物資を含め支援を求めたところ、日本政府が自衛隊派遣を決めたという"解釈"をしている」と、 状況はがらりと変わってしまった。
 それでも、30日朝刊「武器持たず 国際貢献」などのトーンは、「自衛隊機派遣/(日本)共産党が容認」と、まだのんびりしていたが、 31日には「自衛隊機空輸 一転見送り/『要請』めぐり(ボタンの)掛け違い/日本 『派遣前提』と先走り/中国 政府内調整前に騒ぎ」であったと、 新聞も煽った? わりには無責任に言う。福田首相は自衛隊機の派遣見送りについて、いつものように、「両国政府同士で話し合った結果、 そういうやり方が一番いいということになった」と、他人事のように説明したそうだ。
 さて、肝心の"自衛隊の輸送機で"というのは、町村官房長官の手前勝手な"解釈"だったようで、 さらに防衛省の連中は「自衛隊の災害援助で海外に派遣されることはなんら問題がないと中国が認めたことになる」と、 これも都合のよい解釈による"高揚感"に包まれ、航空自衛隊のC130輸送機派遣の準備を加速させたという。 最後に、いつでも眠たいんだかどうか分からない石破防衛相の談話を付け足しておこう。 「物資輸送について、自衛隊にお願いしますとの話があったわけでもなく、自衛隊の輸送を除くとの意思表明が中国からあったわけでもない」。 ああ、もう眠くてかなわん?!
 要するに、この"言った言わない"に近い問題は、ギョーザ中毒事件の繰り返しのようにも見えるが、日本政府や防衛省お歴々の、 片八百長なのか、何とも後味の悪い思いしか残らないのは私だけかしらん。

「小学生から英語を」その1
 東京08・05・27「小中学生に携帯持たせず:小3から英語を必修に/教育再生懇が1次報告」によると、 教育再生懇談会(座長・安西佑一郎慶応義塾長)は、小3からの英語必修化に関して、年間35時間以上授業を行うモデル校を全国で5千校設け、 支援することの目標を提示したという。
 英語早教育については、今年1月に中央教育審議会(山崎正和会長)が、小学5,6年生で、週に1時間の「外国語活動」を必修とするとの答申を行っているが、 さらにもっと低学年からというわけであろう。
 いずれも、公立の小学校の話であろうから、たとえ5千校と多くても、モデル校の指定からもれた小学校との格差はどうなるのか。 今年1月から始まった杉並区立和田中学校の、塾教師による希望者向け補習授業「夜スペ」でさえ、「公立には相応しくない」 「教育の機会均等の精神にそぐわない」などと騒がしかったのに、この"小学生から英語"が、さほど騒がれないのは、どうしたことだろう。
 さらに、最新の福田内閣のメールマガジン(第33号 2008/05/29)[この人に聞きたい]では、 「小・中連携した英語科学習の取り組み」(千葉県成田市立成田小学校教諭 岸幹忠)という"論文"だか"自慢話"が載っている。
 同校は平成8年度から文部科学省指定研究開発学校だそうで、成田国際空港に近く、成田山もあり、外国人観光客と接する機会が多いため、 恥ずかしがらずに英語を話す子どもが多いという。そうなったのは、外国人講師を雇ったり、年3回外国人とのふれあいを楽しむ「交流活動」なども行っているからだそうだ (詳しくは、同日の「福田内閣メールマガジン」をご覧あれ)。
 揚げ足取りではないが、"年3回のふれあいを楽しむ「交流活動」"なんて、かの国のパンダだっていいじゃんか?!
 ところで、慎重論や否定論がないわけではない。
 たとえばクリスチャンの多い韓国では少し前まで英語がかなり"母国語化"していたらしいし、米軍基地のあるところでは今もそうではないか、 などと推測していると、「一般市民も英語を話す国は、北欧などの人口が少ない国であり、母語だけで消費市場を形成できる国は、 フランスを見ても英語は苦手だ」と、『英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想』の著者・薬師院仁志帝塚山学院大学教授は言っている。
 現に、英語ができても、外国で「あなたの国はどんな歴史をもっているのか」と聞かれて、何も答えられなく、恥ずかしかったという若者は多いではないか。 さて、どうする!?

「小学生から英語を」その2
 ちかごろ、なかなか勇敢な主婦(38、都内在住)の投書に出会った。社説「英語教育、低年齢化だけでいいか」(東京5月28日付)に対し、 「これこそKY。世界の空気が読めないのではないでしょうか。日本の危機が分かっていないのではないでしょうか」で始まり、 英語は世界中どこでも第二母国語として使われていると断言する。
 少し日常英会話が出来るというだけで、これだけ大胆に発言する自信はどこから来るのか知らないが、 その論拠は「最近よく行っている東南アジアでは、コンビニやデパートの店員、警察官等々が英語を話すのは当り前。 (中略)普通に高校を出た人たちで、『小学校から数年、英語を学んだのでOK』と言います」などと、 "英語で"取材したことを得々と述べている。
 これなど、終戦直後(今から60数年前)、GI相手の女性が身につけたパングリッシュ(パンパン英語)と揶揄されたり、 米軍基地で働いた男女がカタコトで米語をしゃべっていた日本の現実を思い出させるではないか。
 もう少し38歳主婦の発言を引用すると、「『外国語の習得は、その国の文化や習慣を学ぶことが先決』なんて悠長なことを言っている時代ではありません。 もう世界は、英語が使えなくては、『話にならない』『世界に相手にされない』という時代に入っているのです」。
 彼女の発言の結びはこうだ。「小学校から英語を始めて、子どもの英会話ができるようにすることは絶対に必要です。 それに反対する人は、早く新しい時代に目覚めてほしいものです」
 もう、戦争末期に国防婦人会が唱えた「パーマネントは止めませう」と同じ感覚で、街頭で若い女性の髪を切りかねなかった主婦たちの感覚そのものではないか。
 思うに、これは西洋かぶれ、でなければ、欧米コンプレックスの裏返しではないだろうか。 そう、自国を知らずに(身の程しらずに)、云々するのは勝手だが、援軍?もあるからややこしい。
 伊藤克敏・神奈川大学名誉教授によると、言葉の習得は、音声能力をしっかり身につけることが大切だが、 『九歳の壁』があるという。つまり、八歳ぐらいまでは言葉を具体的な場面を通して直感的、全体的に捉える能力が高く、 九歳以後は論理的、分析的志向が強くなるといい、5,6年生に身近なコミュニケーション場面を音声中心に指導することができるかどうかは疑問だと…… (東京08・05・29「こちら特報部」)。
 サア、九歳以上の子どもならびにその親たちは、もう英語をはじめ、日本語も、ついでに日本人であることも諦めますか。

(以上、08年6月3日までの執筆)


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