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「まだまだコラム」 2008年6月下旬号

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「ナイフの規制」
 秋葉原の無差別殺傷事件は、何ともやりきれない事件である。
 "犯行の動機"は家庭環境だとか、数百万円の借金があったとか、ケータイ(ブログ)への多大な書き込みを「誰も止めてくれなかった」と社会的に相手にされなかったという身勝手な思い込みなどらしいが、 それにしてもサバイバルナイフやダガーナイフ、折りたたみナイフなど使用法のちがう多種類のナイフを所持していたとは、かなりマニアックではないか。
 一方、東京08・06・13によると「ホコ天休止/『安全確保まで』千代田区文書提出」のほかに、「ダガーナイフ中止/刃物の町・関 生産も輸入も」とあり、 刃物生産量国内一という岐阜県関市の「岐阜県関刃物産業連合会」は12日、この事件を受け臨時の運営委員会を開き、犯行に使われたダガーナイフの生産と輸入を中止することを決めた。 ダガーナイフの流通と所持を法的に禁止することなどを、警察庁など国の関係機関に近く要望することも決めた、という。
 いそいで読めば、"立派じゃないか、即断即決するとは"と早とちりしそうだが、なに事件が起こらなければ、 ダガーナイフの生産も輸入も中止はしないだろうこと、そして犯行を許したのは国が取締りをしないからだという言い分であり、 あたかも25歳犯人が責任を"社会"に転嫁したのと、大差のない見解ではないか。
 何とかに刃物という言い方もあるが、彼ら関市の業者には、似たような"前科"がある。
 1960(昭和35)年10月12日、日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎社会党委員長が、17歳の右翼少年に刃物で刺殺される事件が起こり、 年末には「刃物を持たない運動」が全国的に繰り広げられたのだが、実はその前年にも飛出しナイフによる、少年たちの殺傷事件が続発していた。
 朝日「飛出しナイフ禁止立法へ/警視庁 合同公安委に提案」によると、「玉川の小学生刺殺事件の凶器は折たたみ式ナイフだったが、 凶器と犯罪(特に青少年の)との関連を検討している警視庁防犯課では5日、刃物の販売、使用に対する規制をきびしくしなければならなくなった」との強硬な態度をきめ、 立法化への活発な動きをはじめた。「特に同庁では、荒川の通り魔、秋葉原の警官刺殺両事件をはじめ続発している刺殺傷事件の凶器である飛出しナイフの販売、使用をまず禁止させるべきだとし、 都公安委員会を通じて17日開かれる六大都府県公安委員会に提案することになった」という(1959年6月6日付)。
 そして、翌60年にはナイフ追放運動とマスコミの自粛の様子がかなり執拗に報道された(詳細は拙著「有害図書と青少年問題−大人のオモチャだった"青少年問題"−」明石書店2002・11に)。
 この時の、都道府県の関係業者の動きもかなりなものだった。たとえば60年12月3日『刃先丸くする/関市の業者『飛出しナイフ』」、 12月8日「危いナイフ売らぬ/大阪の百貨店が申合わせ」、12月14日夕刊「全県金物屋の店先に/『刃物追放』のポスター/神奈川」など、 各地ですばやい反応を示す報道は毎日新聞に詳しい。
 さて、『刃先丸くする/関市の業者『飛出しナイフ』」と取り上げられた、関市はどのような対応を政府に迫ったか。
 当時、飛び出しナイフは刃渡り5・5センチ以下であれば、銃砲刀剣類所持取締法でいう刀剣類にあたらず、だれでも製造、販売、所持できるため野放しになっていた。 なぜ長さ制限付きで、認められたのか、毎日「刃物を持たない 持たせない」シリーズ(3)〔"飛び出し"は凶器〕によると、 その5年前、警察庁は飛び出しナイフを全面的に禁止する改正案を国会に提出した。 すると、岐阜県関市の生産業者は『名刀"関の孫六"以来7百年、刃物の都として栄えてきた関市の産業に致命的な打撃を与える』と全市を上げて請願。 一方、当時の斉藤国警長官、中川刑事部長は、衆、参院地方行政委員会に飛び出しナイフを持参し、犯罪データを持ち込んで、繰返し状況を説明していた。
 議事録によると、「飛び出しナイフは明治末期に特許申請されたが、戦後駐留軍のみやげ用になるまでは普及しなかった。利用目的がなかったからだ」、 「電気工事関係者は丈夫なジャックナイフが最適、山岳会も飛び出す装置は必要としていない。鉛筆けずりにしても肥後守の方が切れ味がいい。 いくら捜しても平和的な、健全使用目的は見当たらないのに、年間30万丁も生産されている」、「子供たちの好奇心を満足させることと、人を突き刺すのに便利なだけだ」等々。
 しかし、国会側の修正意見は「ストックを抱えて、小売から返品されては業者が気の毒だ。5・5センチ未満は除外せよ」と主張する。 斉藤長官は「短く安いものが出回れば、子供たちの好奇心をかえってたかぶらせる」と反論したが、ついに全会一致で、禁止は「刃渡り5・5センチ以上」という一句が追加された。
 こうして飛び出しは小型化したが野放しになった、というのである。その後年々飛び出しナイフの悲劇は増加の一途をたどった。 東京警視庁管内に発生した飛び出しナイフ使用の事件は昭和32年度164件(殺人3)、33年度240件(同5)、34年度202件(同2)となっているありさま。
 私はこのくだりの後に、次のように記した。「未だに、このときの法律のままで、代議士たちの身勝手な業界擁護、また判断の甘さが、その後数々の悲劇をもたらしているのだった。 もし、警察の意見を受け入れておれば、加害者あるいは被害者にならなくてすんだ少年たちは多くいただろうに……。」

 ついでに言えば、1998年、テレビドラマで人気タレント木村拓哉が使用するバタフライナイフが排除されたのは、 ドラマの真似をした少年によるナイフを用いた殺人や傷害事件が起こったからだが、そのときの文部大臣はいま官房長官の町村信孝で、 通り一遍の注意文書を出したに過ぎなかった(わがコラム「文科省の定番?! 『お願い』文書(その2)」06年11月21日付ご参照)。

「居酒屋タクシー」
 個人タクシーは、法人のそれに比べて拘束もなく、自分の都合による運行で、気ままにやっているものだと認識していた。
 なかには、よく利用する客はなじみの運転手を選ぶことも出来るわけで、時にはチップもはずむことだろう。 その程度なら、世間にいくらでもある感謝の気持ちの表われ、で済むことだ。
 しかし、今回発覚した運転手側が役人に"サービス"するというのは、明らかに利益誘導の手段である。 遠距離ならば、儲けも多くなり、少々の出費もカバーできるはずだし、チケットで乗る役人も"人の子"、密室の談合は苦もなく成立し、 何回も繰り返され、かつ役人連中も"みんなでやれば怖くない"状態ではなかったか。 いやいや、国会(政治家)のために深夜まで残業させられるのだから、これぐらいは当然だろうと思う前に、立場上接待されるのは当り前、 と思っていたのではないか。
 運転手も役人側にも、その根底にあるのは、「どうせ税金なのだから、だれの腹も痛まないだろう」という、 都合のいい論理だけではなかったか。
 その政治家側のトップ、町村官房長官は、「なぜ、残業が多いのかを考えなければいけない」なんぞと、これまた、 どこ吹く風の発言をしているから、税金を払う国民はたまらない。

 ところで、私はだいぶ前から、日本人"役人7割説"を唱えている。
 すなわち、中央官庁や地方官庁の役人とその家族・親類縁者、そして出入り業者や役人連中が利用する官庁街周辺(ときに"城下町"ともいう)の飲食店などを含め、 要するに直接間接に"税金"によって生活する世界に属するものを指す。 この国に、天下りと談合がなくならないのは、このような一種"総役人"の国だからである。
 ある深夜、タクシーを拾って帰宅する途中、運転手相手に、この"説"を話していると、個人タクシーの彼はいった。 「そういえば、私のお客の8割は霞が関の役人ですねえ」。「ええ、8割ですか」と、私は絶句したものだった。
 蛇足ながら、もう一つ、霞ヶ関とタクシーの話を、どうぞ。これは法人の場合であります(コラム「役人の、手前勝手 その2」06年1月18日執筆)。

「わが"ゴ"育ての記 中間報告(前篇)」
 先月、わがカミさんが、ゴーヤーの苗を二鉢買ってきた。西日を避ける手段として、省エネでもあり、緑が増えるのはよいことだと、 私もとりあえず、賛意を表した。
 ベランダでは長年、簾を使っているが、私の机の前は構造上、半分は日陰となり、エアコンの屋外機もあるため、簾はなくてもカーテンを閉めれば、 まずまず西日は避けられる。しかし、ここに二鉢おかれたのである。おぉ、やさしいカミさんではないか?!
 しばらくは、カミさんも毎朝水をやるなど"子育て"に邁進していたため、ゴーヤーはじょじょにツルを伸ばし始めると、 サァどこに絡み付こうかと、間に合わせの添え木を超えて、宙をさまよっている。一方、カミさんは水はやるが、それ以上のことはしていないらしい……。
 私も草木は嫌いではないが、メデる振りはしても、自ら育てる趣味も時間もない。しかし、そのままではやがて朽ち果てるであろうと思うと座視するに忍びない。
 見かねた私は添え木を探すが、ほんの数日しか役に立たない代物である。このさき、どうすればよいか。 ツルが伸びるのを手伝うには、何か絡まるモノがあればいいのではないか、と遅まきながら思いつく。 そこで、裁縫箱から細めのヒモを何本か持ち出して、"棚"を作ることにした。土の入れかえというか、鉢を大きめのに替え、プランターに残っていた土を補った。
 風のある日だった。上から吊るしたヒモと同じように左右前後に揺れるツルは、どこに絡もうとしているのかと予想しつつ、 上の壁のいくつかのクギにヒモを結んだ。
 ツルは左巻きに絡む習性があるようだった。吊るしたヒモのそばで揺れるツルを、静かにほどいて、しかるべきヒモに絡めて様子を見る。 そのまま、絡みついてくれるものもあるが、なんど繰り返しても、元の位置に戻っていることもしばしば……。 もとより素人の私がやったことは、彼らには迷惑なことかもしれなかった。
 次の日も、観察と試行錯誤である。ゴーヤーだけでなく、ヒモをどうすれば、彼らの役に立つかという命題に絡んでいる私……。 上下のヒモは3本から倍の6本にして間隔をちぢめ、さらに、左右の"ゆれ"が極端にならないようにと、横ヒモも何か所にわたして(それも、角度をいろいろ工夫して)、張ってみた。 気のせいか、ツルは見るたびに伸びているようである。
 この間、私が面倒を見るようになってから、2週間ほど経っていた。≪次回につづく≫

(以上、08年6月17日までの執筆)


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