「中学生事情、ほか」
先月中旬、40数年ぶりに母の故郷、新潟県十日町市を訪ねた。1965(昭和40)年、大学3年の冬、2月に行われた祖母の米寿の祝い以来の訪問である。
新宿から電車を乗り継いで、大宮から新幹線Maxとき号に初めて乗る。うまい具合に二階席。車窓から、
これまで東海道新幹線で見なれたのとはややちがう緑の多い田園風景を見渡すことができた。
そして、一階席では乗客はほとんど防音壁を眺め続けるだけで苦情が出ないかなどと、大宮弁当(うまいが、高い!!)を食べながら、
余計なことを考えている間に、50分で越後湯沢につく。
改めて、世の中の進歩あるいは変化を知るには「行って見なければ分からない」と思うことしきり。
昔なんども乗った飯山線は健在だが、第三セクターによる北越急行ほくほく線も走っており、十日町には安い運賃でつくことなど、
時代遅れに、方向音痴、重い荷物を持っての一人旅、私は戸惑うばかりであった。
この2両編成のほくほく線は各駅停車で、トンネル内の駅が二つある。その一つ、六日町駅の手前で、
緊急停車して約10分後に再スタート。これが猛スピードで暗闇を走る、時間を取り戻すためか、と一人合点はするものの、
よくあることなのか乗客は誰も騒がず、静かなもの(上りに乗って理解したが、トンネル内はいつも飛ばすらしい)。
一歳半ぐらいの男の子も母親と祖母に可愛がられておとなしい。トンネルを抜けると、遠くに雪渓の残る山が見え、
線路ぎわには田畑とまばらな民家が、ゆったりと…。
多くは三階建てかと思ったが、雪国ゆえの対策で、屋根に積もった雪下ろしのためらしく、一階部分は物置などで、
居住部分ではなかった。これは十日町での説明で分かったことだ。
さて、ご先祖や母のことに関して、いくつか思わぬ収穫を得て一泊したのち、翌日は逆の上り電車に乗ったのは、午後6時過ぎ。
夕暮れは東京よりやや早い感じの中、ほくほく線を乗り降りする客の多くは中高生で、それも女子が目立った。
男子の場合も、だらしなくズボンを下げた格好に、ケータイを操ったり、耳にはラジカセならぬiPod姿も多いのは、都心と変わらない。
私の隣に座った男子(2年生)は、わずか2駅しか乗らない間も、すぐさま国語のドリルに取り組んでいた。早くも受験勉強なのか。
しかし、やはり元気がいいのは女子、それも熱気むんむんの中学生とお見受けした。化粧する子、スカートを短めにたくし上げている子、
口に物を運ぶ子などさまざまだが、制服で複数の学校だということも分かる。
たいがい、友だち連れで、4人掛けの座席を占拠したり、立ったままのおしゃべりもにぎやか。
男子も同じように乗ってはいるが、ペアというのは見当たらない。
私の反対側に腰掛けた3人は、マンガを読む子、残った弁当を食べる子、大きな"父の日"とオヤジ顔を焼いたセンベイをほおばる子とさまざまだが、
あいまに会話も進んでいるから、器用なことだ。
帰路は、六日町でJR線に乗り換える。
陸橋を渡っていくと、階段の下には、今度は同じスポーツクラブ所属らしい男子ばかりがたむろして、通せんぼである。
大きな声を出したり、仲間を小突いたり、この年頃の中学生がやることはどこでも同じである(格差・地域差がない)のは、めでたいことか。
この"どこでも同じ"なのは、日本が小さな国だからか、難視聴地域を無くすNHKのおかげか、あるいは類似番組を毎日流す民放のせいかは知らない。
しかし、私はやはり学生時代、仙台駅に降りたときの印象を思い出す。いわゆる駅舎(民衆駅)の類似性(いや、没個性)である。
それまでになんども見ていた豊橋駅の駅舎と、仙台駅のそれがあまりに似ていたことに、日本人はどこでも同じことをするのだなあ、と。
後年、各地で問題になったのは"箱物"行政であるが、ハシリはそのあたりであったか。
「何をいまさら、ケータイ禁止…」
不勉強であることを恥じるが、四川大地震の被災者の中には、ケータイで連絡する人が多く見られた。
さらに、世界的にかなり普及していることを教えてくれたのは、安田真奈「マサイにも携帯電話普及」(東京08・06・12コラム「言いたい放談」)である。
すなわち「狩猟と遊牧で生計をたてるマサイ《アフリカ先住民》」は「電気もガスも使わない遊牧生活」にもかかわらず、
携帯電話が普及しており、「通帳代わりに使った預金口座で、都市部の親族からの送金を受取る」、
「家畜の食べる餌があるか、電話で確認してから、遊牧に旅立つ」、「家畜の市場価格を電話で調べ、より収益のあがるときに売りに行く」など、
これは他の民族でも同様だそうで、携帯電話で生活を向上させているという(映画「MASAI」(マサイ)について)。
ひるがえって、先進国わがニッポンの現実はどうか。
"携帯依存"と自ら称する秋葉原無差別殺傷事件の容疑者K(25)は携帯サイトで、犯行に至る行動を"実況中継"していただけでなく、
そこに到るまでの"人生(社会への恨みなど)"も書き綴っていた。
話を聞いてくれる人もおらず、彼女もできないなどの悩みから、「秋葉原で大量殺人、ワイドショーを独占する」などとエスカレートしたのは、
「携帯では、その場のとっさの感情を書きやす」く、「いったん書き込んだ自分の文章にあおられて歯止めが利かなくなる」からだ、
とは携帯電話研究家・木暮雄一さんの弁だ(東京08・06・13夕)。
さらに、この国では小学生からのパソコン教育も盛んだが、佐世保での小学6年生女子の同級生殺しがあったのは4年前、
メールのやりとりが発端ではなかったか。
ところで、ケータイを子どもに持たせるなという、今ごろ間の抜けた"提言"もある。
東京08・05・18「『小中生に携帯持たせないで』/教育再生懇/犯罪被害防止対策案提言へ」によると、
「出会い系サイトなどを舞台に未成年が犯罪に巻き込まれる事件が、多発している」ことを踏まえ、
「小中学生には極力、携帯電話を持たせないようにするとともに、持たせる場合は
(1)機能を通話と居場所確認に限定する(2)有害サイトの閲覧を制限するフィルタリング利用を義務付けるべきだ」との意見が大勢を占めた、とある。
もっと前から、危惧されていたことではないか。なぜ、これまで"放置"してきたのかといえば、"業界"が成熟するまで、
ホッタラカシにしていて、普及すると今度は制限を設ける、規制するといういつものパターンが繰り返されているからだ。
ついでに言えば、その最たるものが、銀行の窓口や役所の下請け業務などを請け負うコンビニの多目的利用であろう。
ともあれ、最近になって地球温暖化対策の一つとして、24時間営業を規制する声が上がっている。
そこでも深夜営業と青少年への弊害について論議されているようだが、私はすでに04年に「現代の誘蛾灯」と"告発"しているが、誰も耳を貸さなかった
(「『始めに規制ありき』か?/不健全図書『包装義務化』条例に異議/インターネットは放置 出版規制は弱いものいじめ?」…初出「新文化」04・02・12号)。
ともあれ、便利さに慣れれば、大人も子どもも元に戻ることはできない……。マサイ族もそうならないように、祈るばかり。
「わが"ゴ"育ての記 中間報告(後篇)」
花が咲き始めたのが嬉しく、名前も付けた。ゴー君(右)にヤーちゃん(左)である。当初、ゴー君3つ咲く、ヤーちゃん2つ咲く。
ついで一日おきだったのが、毎日となるが、両方いっしょに咲くことはまれ、しかも一日しか持たない黄色い小さな花、何か育て方の問題があるのだろうか、と悩む?!
よく観察すると、ツルは伸びながら、揺れながら、絡みつくモノを探している。
成長は著しいが、最初の段階での対処が悪かったのか、いずれもまっすぐに伸びるというのではなく、共に外側、
つまり絡まるヒモのない方向に伸びているところが、"育ての親"としては、ちょっと淋しい。
手助けしようと見つつ、あまり干渉しすぎるのも考えものと、じっと我慢して見ていることもしばしば。
しかし、よく見ると、先端(いちばん上)のツルは"先遣隊"のようで宙をさまようか、進む一方だが、その下のツルの様子をよく見ると、
これまで左巻きに絡み付いていたのをそのままに、途中から右巻き?に変えて、ヒモとの距離を縮めているのが分かった。
エライではないか。生存するためのDNAが、しっかり絡みついている?!
世間ではどうか。杉並区役所だったか、ヘチマにキュウリに朝顔、ゴーヤーと動員した本格的な"緑のカーテン"作戦を展開し、
今年は20メートル以上を目指すとか、テレビでやっていた。
新聞を見ると、12歳女子中学生の投書「壁面緑化をより進めて」に、こうあった。
「植物から水分が蒸発することで、都市のヒートアイランド現象を抑える壁面緑化は地球温暖化対策としても有効な手段です。
/私の通っていた小学校にも『緑のカーテン』がありました」とし、「緑のカーテン」のよいところは、夏の暑いときでも涼しく、
冷房を使わずにすむことと、植物の光合成によって二酸化炭素(CO2)を吸収し、酸素を吸収することができること。
これは「小さなことだが、たくさんの人が協力すれば大きな結果が出せると思う」といい、「ぜひ『緑のカーテン』を増やして、
温暖化対策を行っていくべきだと思います」と結んでいる(東京08・06・16《若者の発言」)。
人は、安易な方向に流れやすく、欲しいものを手に入れると、それを使わなければ損だと思う傾向があり、
クルマもケータイも手放せない?! 私なんぞは「テレビは消すもの、電話は切るもの」との性癖があり、
エアコンなど年に10日もつければ多いほう。
話はそれたが、ゴー君(右)にヤーちゃんは相変わらず、ときどき花をつけている。
ハト麦茶の使いかすは植物によいというので、土にまくと、心なしかツルの延び方が早く、わが背を越えたかと思うと、
新たに壁にクギを打ち、からませる糸をたらして、万全の対策を行なった次第。
この間、「ゴーヤー よいこだ はよ(早く)、伸びよ〜」(子守唄のリズムで)なんぞという応援歌まで作ってやったが、
実が生るのはいつのことか心もとない。
花の咲き加減を見ていると、元歌が「寝んねしな〜」だから、やはり寝てしまうのかしらん?! これでは、最終報告もアヤシイ状況である…。
(以上、08年7月1日までの執筆)