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「まだまだコラム」 2008年10月下旬号

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「ノーベル賞とわが国の教育」
 今回の"ノーベル賞騒ぎ"は北京五輪のカラ騒ぎの反動かどうか、はたまた麻生政権に影響したのかどうか分からないが、 受賞者の喜びの声はともかく、わが国の政界、官界、経済界のお偉方は、彼らの"苦言"に耳を傾けるべきだ。
 というのも、たとえば政府側(塩谷文科相)の感想を聞くと、「日本人研究者の業績が世界的に認められ、わが国の研究水準の高さが国内外に示されたことは、 本当にうれしい。ここしばらくは日本人の受賞者がなかっただけに、待ちに待った受賞です」とあり、 "うれしい"ホンネはコメントの後段にあるように思えるからだ(東京08・10・08「水準高さ示す/文科相が祝福」)。
 戦後間もない1949年受賞の湯川秀樹以来、理論物理学での受賞者が多いのは実験設備が貧弱だったことによるからだそうだが、 それは今もつづき「基礎研究 食べていけぬ/ノーベル賞に4氏…お寒い国内事情/予算確保へ『役立つ可能性乱発』 /実利偏重 学問立ち枯れ/人件費削減 授業も『マクドナルド化』」(東京08・10・09)とある。 つまり、「国の政策を念頭に置いて採択されやすい研究内容にシフトし、企業などに擦り寄る姿勢が濃くなっている」(小倉利丸富山大学教授・現代資本主義論)そうで、 また「基礎研究を目指すのは優秀かつ、ある程度裕福な家庭の生徒」だというのは、元予備校関係者の話。
 今回の受賞者のうち2人は米国で暮らしており、南部陽一郎氏(87)は1970年に米国籍を取得している。 それは、日本では何年も研究室で自炊し、寝泊りする日々が続いたためで、「米国は研究だけでなく社会環境や生活環境も(日本とは)大いに違った。 自由な雰囲気にひかれ」て、国籍取得も「自然な選択だった」という。
 同紙9日付夕刊で、野依良治理化学研究所理事長(2001年度ノーベル化学賞受賞者)は「『頭脳流出』は日本人に能力がある証しで悪いことではないが、 日本にも優れた人たちを呼び込む施策が重要」と指摘している(D版11面)。
 ところで、南部陽一郎氏の米国籍取得に関し、先の塩谷文科相は「頭脳流出ではなく、頭脳交流と考えている」と、のたもうたそうだ。 この"言い換え"は、どういう神経なのであろうか。
 話はもどって、大学ではなく、小学校などでの教育はどうあるべきかについて、ともに物理学賞の小林誠氏(64)と益川敏英氏(68)は、 それぞれ次のように語っている。「今は、出来上がった法則が教えられ、それをいかに使うかという観点で教育されている。 …自分自身でどういう知識を得たかとか。そういうステップを踏むことが少ないのではないか」、 「好奇心から科学につながっていくような事例をばらまいて、子ども自身が面白いと思うことを一つでも作ってあげるといい。 『知る喜び』を与えるのは教師の責任」と(東京08・10・11「自由の知 未来へ/ノーベル賞座談会」。出席者のもう一人は野依氏)。
 しかし、わが国の施策は、たしか「50年間にノーベル賞受賞者30人程度」を目標にという、なにが根拠か知らないが、 ほとんどいつも、掛け声倒れに終っているオリンピック金メダル獲得のレベルでしかない、とは。
 ところで、米国で暮らすもう一人は化学賞受賞の下村脩氏(80)で、何でもオワンクラゲの研究家だという。 両氏とも、高齢でお元気である。ノーベル賞は現存の方にしか贈られないはずだから、研究熱心だけでなく、 健康でもあらねばならない、ということでもある。いや、研究に没頭できる環境にあるから、長生きもできるのかもしれない。

「近くの…」
 日曜日の午後、いつもとちがって、周りがうるさい。なにごとかと外に出ると、団地近くの広場で、フリーマーケットをやっていた。 時々催されるのだそうだが、今日はすでに午後のせいか、店(大きくても2メートル四方ぐらいの青いビニールシート)も客も閑散としている。 瀬戸物ばかり並べた店は、主がいないので大丈夫かと思っていると、近くのベンチでたばこを吸っていた。
 騒音はここだけではなかった。歩き出すと、近くのスーパーの広場では、これまた恒例の子どもを集めてアンパンマンだかの音楽を大音声でやっている。 遠くてよく見えないが、子どもの手から離れた風船がフーワリフーワリと、舞い上がってもいた。
 さらに、ちょっと離れた近くの小学校の校庭一杯の人だかり……。入り口の看板に「○×小地域運動会」とある。 老若男女が集うとはいえ、ここも幼い子どもの多いこと。こんなに子どもがいたのかと、市長になった気持ちで眺めてしまった。
 さて、ビニールシートが活躍するのは、河川敷や公園内ばかりではなかった。校庭には大小さまざまなシートで、昼寝をしているお父さんもいた。 「青少年健全育成」ののぼりを立てたテントでは、なぜかカレーライスを200円で売っている。
 演目はちょうど、幼稚園児からお年寄りまで、紅白に分かれての玉入れをやっていた。39個とかで赤が勝ったそうだが、 残りまで全部数えなかったのはどうしたことか。
 10分ぐらい見学して、今度は近くの中学校まで来ると、ここでも元気な声が聞こえてくる。 近くの中学校から来たらしいユニホームとりどりの男女生徒たちが軟式テニス、いや違ったソフトテニスをやっている。 校庭一杯に張ったネットは、全部で8面もあった。
 …と、近くの小父さんは性懲りもなく、今日も散歩をするのであった。
 こんなことを書いているところへ、近くの道路を民主党の宣伝カーが、がなり立てて通っていった。 そういえば、要らなくなった「廃品回収車」の声が聞こえないではないか。そうか、今日は日曜日だった?!

 余話なさけ、ない:「○×小地域運動会」について
 自治会関係者に聞くと、小ボスの集まりの頂点がこの催しとかで、1年をかけて"準備"するのだそうな。 接待係や競技係、警備担当などに、各自治会から役員を出すようにというところまでは分かるが、何かの都合で、 当該役員が出席できないから、代わりを出すというと、それはダメだ、来なくてよいというそうだ。 これでは、各自治会から委員を出す意味がないのではないか。それとも、地域住民として小学校を利用するのだから少しは還元しろなどと、 多くの自治会を参加させるのは、いま問題になっている各府県のように裏金をためるだけの"才覚"がないからか、 一部のボスたちが好き勝手にやれるようにと、資金集めの口実なのかもしれない。
 何しろ、この運動会が終ったあと、反省会と称して"大宴会"をやるそうだ。どこでも、予算を立てるのは、 一見明朗にも見えるが、なに運動会をやる前から反省会の準備をするとは、手回しが良すぎるではないか。
 数万円の予算で、100名以上に配るのは缶ビールにおつまみ数点、中学生もいるので、ジュースや大きなペットボトルの水なども用意するそうだ。 缶ビールの"納入業者"も近くの店と固定しているそうな。
 思い出すのは、高校のPTAの役員をしていたとき、研修会と称して、ある芸人の公演を聞くというのがあった。 もちろん、費用は集めた会費から出すのだそうな。会員全員に案内を出しているのだから、手続的には問題ないともいえるが、 私は趣味でもないし、そういうやり方は性に合わず、とうぜん行かなかった。 もっとも、女性ばかりの中に、ひとり男がいては迷惑だろうと思わないでもなかったが。
 いずれにしても、"役得"(=お手盛り)という便利な言葉がありましたねえ。

「自己満足の押付け?!」
 今年で17回を数えるというある出版社の"著者に感謝する会"という会に参加した。
 出席した著者は総勢90名近くという。地方からの参加者も幾人かおり、また外国人もいる。 中堅の出版社にしては立派なものである。
 近ごろ、その社とはトンと縁のない私は、一昨年も昨年も欠席だったのは、体調が悪かったせいもあるが、 何となく億劫にもなっていたからだ。今回の出席は、この社から初めて出した本が増刷されたという、 地方の友人のために馳せ参じた次第。
 友人については、これまで何冊かペンネーム(筆名)で書いたのは、フィクションだからいいとしても、 実人生を語るものに同じ筆名を使うのは、ちょっとおかしいのではないかと思いながら、会場につくと、 いきなり受付で当人に出会った。この意見を述べると、「悩んだんだ」ということであった。 仲良く座って、第一部を聞くことにした。
 このような奇特な会合をやっている出版社は、他では聞かないが、ともあれ10万部突破から始まって、8万部、5万部、 3万部と表彰するのは恒例の行事。著者側の励みにもなるが、私のような売れない本を出すものにとっては肩身の狭いセレモニーでもある。
 今回は趣向を凝らして、このセレモニーの前に「トップ営業マン(男)とベテラン編集者(女)」による、 営業と編集の話が披露されるという。どんな話が出るのかと私なりに期待をしていたが、前者「最近の書店店頭を見ていて思うこと」は、 自分たちは分かっていても、業界の事情に疎い著者たちには、ちょっと不親切な内容であった。
 後者「売れる本の作り方」の場合は、ひどかった。10年も語学書を担当しているというその女性は、 まず「何らかの形で外国語に興味のある方は、手を挙げて」と、幼稚園児を相手にするような話から入った。 驚いたことに、会場の半数以上の男女が素直に手を挙げていたことだ。さすが、付和雷同的な日本人!といいたいところだが、 外国人も混じっていた。もうこれは催眠商法の世界ではないか。
 要するに10万部を売った本についての自己陶酔的というか、自画自賛というか、圧倒的に(一般的に)なかなか売れない本の著者たちを前に、 "後出しジャンケン"的な話を延々とするという神経が理解できなかった。著者も編集者も販売の方も、どうすればよい本となり、 よく売れるのかということをそれぞれの立場から、ディスカッションするならば話は分かる。 彼女が担当したものでも、売れない本がある(多い)はずだから、そのほうに神経を使うべきで、成功譚ほど白けるものはない……。
 さて、第二部の懇親会場では、いきなり若い女性から声をかけられた。参加は皆勤という彼女は、 コンピュータ関係の本を50点以上も出しているというから、美人というより"猛者"に近い(失礼?!)。
 私の友人も彼女の出現で急に元気が出てきたし、終了後には3人で近くのソバ屋へ入り、 他愛のない話をツマミにまたサカヅキならぬジョッキを空けた。
 話代わって:この夜、会場への坂道の上りで、旧友の一人に出会った。定年を迎えたが、再雇用で引きつづき仕事をするそうだ。 初めてのケースで、自分で"規約"を作るのは面映かったと、シャイな彼ははにかんでいた。
 ソバ屋では、隣りのテーブルに見慣れた顔があった。帰り際に彼は、お久しぶりですといい、また別のところで仕事をしていますと、 聞きもしないのにそういい、笑顔で出て行った。いずれも出版関係者である。
 "終りよければすべてよし"の自己満足の夜であった?!

 (以上、08年10月21日までの執筆)


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