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「まだまだコラム」 2008年11月下旬号

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「数字だけでよいのか」
 本コラムでは、アンケート調査などによる数字の分析から論じることは多いが、いちばんおかしく思うのは"数値目標"である。
 前回も書いたが、かたやオリンピックのメダル獲得数やノーベル賞の受賞者数、あるいは自殺者や貧困層を何パーセント以下にするとか、 というのはいかにも政治家や役人の考えることだが、後者の場合は目標を達成して喜ぶのは立案者だけで、国民はあまり幸せを感じないであろう。
 さて、本題は麻生首相のホテルバー通いの回数と、田母神前航空幕僚長を筆頭とする航空自衛隊員の出した論文の数、についてである。
 ホテルバー通いを、高級とかセレブだとか庶民感覚に馴染まない、などとメディアや国民が騒いだからといって、金持ちでなくても行く人は行くし、 行かない人は行かない、それだけのことである。
 今さら、麻生首相に庶民の味方になれといっても無理な話。そのうえ、自民党のエライ面々が、口をそろえて彼を擁護しているのは滑稽のきわみ、 いや自己防衛であろう。どこへ行こうと、何をしようと、「それがどうした?(エ・アロール?)」の大人の世界、放っておけばいいではないか。
 私は一度だけ帝国ホテル内のそのバーに連れて行ってもらったことがある。メンバーであるその人は単なるサラリーマン(会社役員)であった。 落ち着いていて、静かな雰囲気であったことを覚えているが、今の首相がいるときは、さぞかしマンガ談義などで賑やかなことだろう。
 それより問題なのは後者の、懸賞論文に応募した内容が、政府見解と異なるからというだけでは済まされないことである。 田母神氏は国会でも披瀝したように、自説を展開しただけなのだが、これに対して任命責任を政府に迫っている野党も、ピントはずれではないか。 確信犯的なこの男に対し、早く幕引きを計った防衛相はさらにおかしい。
 その背景に何が隠されているのか。思うに、自民党や政府要人は政府見解を表に出しているものの、アメリカ追随を根底に、 戦う軍隊を育てるために軟弱な現代青年を洗脳する必要があり、"新しい教科書"をもって教育している彼を暗黙のうちに支持していたのではないだろうか。
 その象徴が田母神論文であり、ついでに小松川基地の隊員の60数名とか90名近くが同じテーマで応募していると、メディアは国民を驚かせ、 あきれさせているようだが、これだけでは数字の一人歩きで真相は隠されてしまう。追及すべきは数ではなく、論文の内容ではないか。
 つまり、どれだけの隊員が田母神"教祖"に洗脳されているかいないか精査することを、政府や自衛隊、いやアパグループに要求すべきである。
 早く追及しなければ、大分県教委と同様に証拠書類はすべて破棄したなどと逃げられてしまい、日本人特有の「なくなったものはしょうがないじゃないか」というあきらめ精神どころか、 "七十五日"も経たないで、永遠の過去に。
 そして、しばらく時は過ぎると、第二の"田母神"が現れてくる……。そのとき、大東亜戦争(第二次世界大戦あるいはアジア太平洋戦争)の記憶を持つものはいなくなっていた?!
 《「エ・アロール?」=フランス語。ミッテラン元大統領が現職のとき、夫人以外の女性のことを聞かれ、答えた言葉。私人と公人のちがいを峻別する、文化の違いか》
 《さらに追記:ノーベル賞の受賞者数を増やすため、二重国籍を認めるように法律を変えようという姑息な意見が、自民党から出ているという(東京08・11・16)。 米国籍の南部さんが物理学賞をえたため》

「マンガチック?!」
 私が「二、三日 新聞・ラジオから 離れると何も解らなくなる(修学旅行記より 10・8)」と書いたのは1957年、15歳のときであるが、 50年以上経った今、もう驚くこともないくらい、私にとっての"ニュース"はない。
 この日曜日(16日)に大阪へ行き、翌17日には浜松まで戻り、友人と三ケ日温泉に遊び、18日夕刻やっと帰京した。
 旅に出たのは今年2回目、六月以来である。テレビはホテルにあるが、もともと好きではない。 朝7時のニュース、ベッドに寝転んで見ては首が痛くなるだけだ。正座し、襟を正して見るようなものもなかった。 新聞はというと、外に出てまで買うというほど熱心でもない。
 ところで、木曜発売だった「週刊文春」「週刊新潮」の発売が水曜日になったのを、カミさんに言われるまで知らなかった。 まあ、広告(目次)を見るだけで、どんな内容かを想像すれば足りるので、買うこともなければ、わざわざ本屋などで立ち読みするだけの勇気と元気とヒマもカネもない?!
 今週の両誌は珍しくそろって、麻生首相(1)とデーブ大久保(2)(本項は省略)が、目玉のようである。
 (1)について、文春曰く「『オバマは英語がうめえ〜な〜』/漢字だけじゃない!/<新聞・TVではわからない>麻生太郎の『マンガ脳』」に対し、 新潮は「<マンガばかり読んでいるからだ!>『学習院の恥』とOBも見放した『おバカ首相』麻生首相」とあった。
 これに先立つのは、次のような新聞記事である。「頻繁→はんざつ、未曾有→みぞうゆう/首相、読み間違い連発/『振り仮名必要』の声も」(東京08・11・14)。 同記事にはもう一つ、「踏襲」→「ふしゅう」と誤読したともある。これらに対し記者団から聞かれた首相は「(誤読は)単なる読み間違い」と答えたそうだ。 さらに、河村官房長官は「うっかり読み間違えることはある」とかばったり、官邸筋の人物]も「イメージもあって、老眼鏡をかけられない。 原稿が見にくいのでは」という"醜い"発言をしている。また、笹川自民党総務会長は「原稿に仮名を振ってもらったほうがいい」と"語るに落ちた"忠告をしているそうだが、 大きな漢字も読めないものが、小さな振り仮名など読めるわけはないのでは。
 つまり、メガネをかけてもかけなくても、はなから読めない、すなわち麻生マンガ首相の辞書に(記載されている)漢字は(あまり多くは)ない、 ということではないだろうか。
 また、「内幕」を「ないまく」と言う代議士がいたり、「IT(アイティー」を「it(イット)」と発音した元首相もいた。
 問題なのは、これら年配者が幼少のころから学んだものは漢字や熟語であり金言・名言が中心であったろうに、 取巻き連中が先のような発言でかばったつもりになることほど、われわれ国民にとって不幸で悲しむべきことはない。 つまり、首相や代議士である以前に、大人=社会人としての教養あるいは常識の問題ではないか。
 ある著名な落語家は、高座で話の次が出てこなくなったとき、もう一度出直してきますといって下がったまま、引退した例がある。 上に立つ人は、それぐらいの矜持が必要ではないか。
 お口直しについて、(2)について触れれば、文春「『デーブ大久保』の『オンナ狂い』全内幕」に、 新潮「『デーブ大久保』が殴った女性は『隠し子』を産んだ不倫相手!」となっている。
 ちなみに、両誌(ともに11月27日号)の定価は前者が350円に、後者は320円である。 ページ数が同じかどうか調べる気がないのは、読む暇がないからではなく、いずれの記事にも興味がないからである。

「夫婦の問題」
 16日付の新聞によれば、夫婦問題は内外ともなかなかのもので、「『夫がネット上で"買春"』/仮想:両世界で離婚/現実」(1)とか、 世界編「夫がイヤ…重婚させる」(2)とあり、不届きなのは「挙式延期させ 妻か女性選択/放火容疑者供述」(3)であろう。
 (1)は、新時代を象徴するケースである。インターネットの「仮想世界」で知り合った男女が実際に結婚したものの、 夫が仮想世界で"買春"をしたのを理由に、現実世界の夫婦が離婚した、というややこしい話である。 ちなみに夫は40歳、妻は28歳という。要するにいい年をした男女が、現実と仮想の世界を混同したのか、 あるいは異星人だったので、重婚ということに到ったのか。
 もう一つ(2)は逆のケースというか、ほとんど仕事もせず、一日中リモコン片手にテレビ漬けという付きまとう夫がわずらわしく、 離婚したかった妻が両親など周りに反対され、第二夫人探しを提案され、兄弟はじめ親戚が協力して、めでたく彼女は"解放"されたらしい。 これもよく分からない、重婚が認められているサウジアラビアでの話……。
 次は、重婚罪もある日本の、39歳の男が主役。妻を取るべきか交際中の女性を取るべきかとハムレットの心境にあった放火男は、 結婚式を上げる予定だったホテルに放火すれば、式を中止して延期させることができると考えたという。 うーん、ひょっとして彼には、職員室に放火すれば成績の悪い通信簿をもらわずにすむ、というような前科でもあるのかしらん。
 3年前から交際し、いよいよ結婚式をとなったが、とうとう言い出せず、引っ込みがつかなくなったらしいが、 「二兎を追うものは一兎も得ず」というコトワザを知らなかったのか、それとも実践するつもりだったのか。 あるいは、モテる男だったのか、それとも気の弱い男だったのか、日本の男はいざというときダメですなあ。
 ところで、話はかわるが、19日付夕刊「来世も夫と結婚?/60代女性半数『イヤ』/通信教育会社が夫婦観調査」は、 20代から60代までの妻だけに行った調査報告である。夫婦のイメージは前者では「絆」、後者は「忍」がトップというから、 歳とともに夫婦の絆は細くなるだけでなく、切れないように耐え忍ぶ、というところか。 逆に、なぜ夫(男性)にも聞かなかったのかしらん。
 ついで、現在の配偶者と結婚してよかったと思うのは20代で88%、60代で83%というから、かなりの夫婦が幸せを感じているのか、 だれと一緒になってもこんなものかとあきらめているのか…。
 さらに、生まれ変わっても同じ相手と結婚したいというのは50代まで60%台にとどまっているが、60代では50%がノーを突きつけた、とある。 しかし、半数とは、残る半数はまた一緒になりたいということで、片方だけタイトルにあげるのはいかがなものか。 このように、新聞(メディア)は読者に"他人の不幸"を強要する傾向にあるから、要注意である。
 しかし、安心されたい。夫婦円満の秘訣は、いずれの世代も「会話する時間をなるべく多く持つ」がトップだそうで、 次に多かったのは、20代では「愛情や感謝の気持ちを積極的に表現」すること、60代では「互いのプライバシーを尊重」となっているという。
 このあたりは意外性もなく、平穏な家庭像を垣間見ることが出来るようだ。いったい、これは何を期待してのアンケート調査だったのかしらん。

(以上、08年11月20日までの執筆)


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