むりやりエッセイ目次

むりやりエッセイ「(時に)一言コーナー」 10月下旬号

10月上旬号      


「(時に)一言コーナー」…「あるメールのやりとり」2009・10・20

この9月上旬、次のようなメールが届いた。

拝啓 秋晴れの候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。/  本日は、突然メールでお尋ねをさせていただくことを、お許しください。/  さて、町田市民文学館では2009年10月17日から2010年1月17日にかけて、「森村誠一展−拡大する文学」の開催を予定しております。 その中で、森村誠一が勤務していたホテルの常連客に梶山季之先生がおり、編集者に渡す前の原稿をホテルマンの森村に渡し、 それを森村がこっそり読んでいたというエピソードがございます。/  そこで、森村の作家デビュー前に影響を与えた人物のひとりとして梶山先生をご紹介させていただきたいと考えております。/  大変厚かましいお願いで恐縮ではございますが、ご紹介にあたりまして、梶山先生の肖像写真(または写真データ)をお借りさせていただけませんでしょうか。 ご検討のほど、よろしくお願い申し上げます。/敬具

ついで、私の返事……

町田市民文学館 Yさま/前略/ 私に、見知らぬ貴方から、メールが届いたのは、多分HP上の「電子版 梶山季之資料館」の管理人ということでと思われます。/ 正直なところ、ぶしつけな文面に、返事をしたくないところですが、不快になられても困りますから、本状を認めております。
/一つは、私自身、13日(日)に大阪で、1時間ばかり“講演”するための資料作りに没頭しており、とても時間が足りないという個人的な理由からです。
/もう一つは、著作権や肖像権の問題が絡むのですが、私のHPをご覧になっておられるならば、そのどこに「写真貸し出し」の文言(表示)があるのでしょうか。 安易な“発想”ではありませんか。
/いちばん腹立たしいのは、貴メールの冒頭にあります、次の文章です。/ >拝啓 秋晴れの候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高>配を賜り、厚くお礼申し上げます。>
/近ごろの“手紙文”に関するテキストには、見知らぬ人、何ら世話になっていない人にも、このように書き出せと教えているのでしょうか。腹立たしい限りですね。
/メールを受取った側として“文意(貴方の希望)”は理解できますが、「ハイ、分かりました」という気持ちには程遠いものです。 /要するに、未知の人に“自分の希望するもの”を依頼するには無神経すぎる文面です。
/次に、ホテルでの“預かり物”の扱いについて…、 /> 森村誠一が勤務してい>たホテルの常連客に梶山季之先生がおり、編集者に渡す前の原稿をホテルマンの森村 />に渡し、それを森村がこっそり読んでいたというエピソードがございます。>
/これは、曲解されそうな表現ですが、“原稿をホテルのフロントに預け・・・”は、原稿に限らないことで、 本来やってはいけない行為を彼はしていたわけです。また、いつも彼がフロントにいるとは限らないでしょう。
/先年、神奈川新聞に彼の“自伝的エッセイ”が連載されていたようですが(05・08・18)、“死人に口なし”の世界ですから、よく吟味しなくてはなりません。
/元助手だった私としては故人の名誉を守ることが大事な責務です。すなわち“写真1枚”ですむ問題ではないのです。 /時間が足りないといいながら、くどくどと記しました。  2009・09・09 橋本健午
/二伸:これをお読みになって、もう一度メールを送られてきたとき、私なりに方法を考えます。ご一考下さい。
さっそく、次のような返事が来ましたが……、
橋本 健午 様/拝復/このたびは、私がお送り致しましたメールにより、橋本様に多大なご迷惑をお掛けいたしまして、申し訳ありませんでした。
/写真借用につきましては、出版社に直接お問い合わせをするよりも、梶山先生お気に入りの写真など、先生に詳しい機関にご相談をさせていただきたいと考えておりました。
/橋本様のご指摘通り、こちらの都合を優先し、安易な考えでお願いをしてしまいご迷惑をお掛け致しました。申し訳ございませんでした。
/また、メールの冒頭の文章についても配慮が足りず、不快な思いをさせてしまい重ねてお詫び申し上げます。
/橋本様のご都合がよろしければ、近日中にお詫びにお伺いしたいと思いますがいかがでございますか。
/今後はこのようなことが無いよう十分注意して参りたいと思いますので、ご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
/敬具/  2009.09.10/  町田市民文学館ことばらんど ** *(氏名)

 ところで、先にあげた神奈川新聞の“自伝的エッセイ”「わが人生・・・16−ひそかに始めた競作−」(森村誠一05・08・18)には、次のようにある。 それにしても、一介のサラリーマンだった彼が、“私のホテル”というのは大したものである。 ここだけ読めば、他人は“ホテル王”と勘違いしはしないか!?

 ……梶山氏は私のホテルを定宿にして、当時、連載十数本、気鋭の新進作家として文芸ジャーナリズムの花形となっていた。
 梶山氏は連載分一本書き上げるごとに、私に原稿を預けた。都市センターホテルで書いた梶山氏の原稿は、すべて私が“検閲”して、編集者にわたした。
 もともと読書が好きで、その方面に関心があった私は、検閲、実は盗み読みするだけでは飽き足りなくなって、 ついに梶山氏の不在中、その部屋に忍び込み、どんな資料や参考書を使って執筆しているのか調べた。
 そして入手可能な参考書を私もそろえ、当時、週刊誌に連載中の一作に絞って、ひそかに競作を始めたのである。
 原稿を検閲していると、だいたいストーリーの展開がわかり、次週が予測できるようになる。
 間もなく梶山氏から書き上げたばかりの原稿を託される。私は自分の原稿と比較して、やはりプロはちがうなあと打ちのめされた。 だが、そのうち何本かに一本は、人間の動き方やエピソードのインパクト、作品環境のリアリティなどにおいて、私の方がいいのではとおもうようになった。
 梶山氏はそのエネルギーを十数本に分散するのに対して、私はただの一本にフォーカスするのであるから有利である。 だが、天下の何本かに一本は取るようになった私は、次第に自信を持ってきた。
 後年、作家になってから、梶山氏にその話をすると、「きみは私のもぐり弟子だな」と苦笑した。

 “大作家”森村誠一が若いころ、いかに大それたことをしていたか、お分かりであろうか。

(以上、09年10月20日までの執筆)


ご意見、ご感想は・・・ kenha@wj8.so-net.ne.jp