むりやりエッセイ目次

むりやりエッセイ 1月下旬号

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「わがパソコン事情」その1
 今月半ばまで使っていたパソコン(03年8月購入)が、とうとう力尽きた? のだった。
 一度(06年7月)、ファンの異常音が気になりメーカーに無料で直してもらったことがある。 ついで昨年夏、やはりファンが熱を帯び大きな音を出すので、買い換えようかと何度か思ったのだが、そのまま使っていた。
 わがデスク周りはベランダ越しに差し込む西日は近いが、窓を開ければ風のある日など、しのぎやすい。 エアコンはあるが、ほとんどつけない。嫌いなのである。
 そこで、まずやったのが環境整備。熱がこもらないように、本体の位置を風通しのよいところに移動し、 かつ小さな扇風機を回して、本体に風を送っていた。だましだまし戦法である。
 《こういうアナログ的な作業は大好きなのである。なぜかと考えるまでもなく、目に見えるからである》
 今回は私の“酷使”によるものか、嫌気が差したのか、老朽化か、ともあれ、どうにもならなくなったとたん、 気になることがいくつもあった。
 データはだいたいバックアップしてあるが、中にはやりかけのものもある。 急ぐメールは届いていないか、予定の変更など大事なメールはないかなどと考えると気が気でない。 メールですませようと考えていた返事を、ハガキで三枚も書いた。 漢字がすぐ書けない、うそ字でごまかすなんぞ犯罪的である?!
 このような事情でなくとも、パソコンを開いて最初にすることはメールの整理である。 一晩でも留守にすれば、カミさんの分も合わせると軽く200件近くになる。 ほとんどが迷惑メールの類だが、有効なメールを見落としてはならないと、それなりに神経を尖らすものだ。
 庭を掃除してきれいになり気持ちがいいと考えればよいのだろうが、なんだかよその人にごみを捨てられていったような雰囲気でもある。 これなど、何のためのパソコンかと気が滅入るばかりだ。

「わがパソコン事情」その2
 今回、買い替えを決意し注文して、約一週間で新しいのが届く。 しかし、私がセットアップできるのは、各ケーブル等の接続だけで、それ以上はマニュアルを読めない(読みたくない)ため、 画面上に現れる指示などにお手あげとなる。 そこで、助手の出番であるが、彼女はいつも都合がよいとは限らないのが、また悩みだ。
 私の仕事は、いつもそれほど急ぐわけではないが、文章などを書きたいと思うと、すぐにパソコンに向かう生活であったから、 これができないとなると、いわゆる禁断症状となる。
 一方、ちかごろ老化をふせぐために散歩を心がけているが、それも毎日となると、なかなか実行に移せない。 やれ雨だの風が強いだの、寒いだの昨日は少し長く歩いたから今日はいいかなどと、だれも聞いていない口実を設けて、 サボったりするが、何かをしていないと落ち着かない、いわゆる貧乏性でもある。
 そこで、昨年11月以来たまっていた2か月分の新聞の切抜きを、二日がかりでやった。 この期間、母校の沿革史に関する文書作りをやっていたので、読んでいない日もかなりあった。 世を捨てたわけでもなく、一喜一憂するとか公憤私憤のタネもないわけではないが、なんだか何に接しても、そんなものかというところである。
 いや、ただひとつ、子ども、いわゆる青少年に関することだけは捨ててはおけない。 それは社会環境であり、教育である。ということは、この国(だけではないが)の政治や経済の問題でもあるから、ややこしい?!
 さて、新しい機種となったが、それはただの“箱”で、これまでに作成した文章など何も蓄積されていない。 つまり、ハードディスクはまっさらで、前のものを“移植”しなければならない。 これには助手もがんばってみたが、手に負えないというので、専門家に依頼することになった。
 インターネットで調べ、午後5時ごろ電話連絡して修理を頼んだところ、日曜日で急な話なのに、 他を回ってからとの言葉どおり、予定より少し遅れてやってきた。
 愛想よい彼は、手際よくいろいろと点検し、心配していたほどひどい状態ではないと安心させてくれたものの、 データのバックアップに時間がかかるため、持ち帰ってやりなおす、二日ほどかかるとのことだった。
 その間、機械や設置に関してほめたり、他のさまざまな故障のケースや、同じ地域で似たような故障が起こっているというオカルト的な現象など面白おかしく話すのだった。 なお、彼によると、先の扇風機の導入は「正解」とのことだった。

「わがパソコン事情」その3
 しかし、もともと心配性である。実際にパソコンが完全に機能するまで、安心はできない。 目下、このように少し原稿が書けることやインターネットの検索と、メールをいただいた方に返事を送ることができるだけだ。
 画面が左右に大きくなったので、目を配るのにやや煩わしい。文章を書いていると、右側にサービスというのか余計なお世話か、 さまざまな表示が現れてくる。私はこれらにいちいち振り回される体たらく。
 アナログ時計が時を刻み、その下に各種の新聞記事(ニュース)が現われ、1,2行で国内ばかりか世界の動きが分かるということもやってくれる。 私が悩む必要はないが、これではやっぱり紙メディアは衰微するのは仕方がないな、と思ってしまう。
 しばらくすると、先のニュース画面の下に、タテヨコさまざまな映像が次々に浮かんでは消えている。 これはなんだろうと思いつつ、見たことのある景色やモノが映っているのに気がつき、デジタルカメラの映像を移したことを思い出した。 CDで音楽を(二番目の助手に手伝ってもらって)聴けるようにもした。
 しかし、私はやはりこれまでどおりの作業をしたくなるのだが、まだ2日ほど待たなければならない。
 ところで、新聞片付けに続いてやったことは、結婚以来30数年分のアルバムと写真の整理であるが、これまたやっかいであった。
 アルバム44冊分は、家族の写真が中心だが、私の仕事関係のものも雑然と貼ってある。家族にすれば、知らないおじさんたちの写真を見ても、 何の感興も沸かないであろうから、分離独立ついでにスリム化を図るためであった。
 新しいのから古いのへと辿っていくと、子供がだんだん幼くなっていき、ついには居なくなってしまった。 もうひとつは、カラーがほとんどだが、劣化が激しく歳月を感じさせられた。
 写真といえば、先の修理会社の彼が言うには、ある家庭で子供の誕生から撮り続けていた写真をパソコンに入れたままだったので、 故障したとき、かなりのものが消えてしまったという。ご両親の嘆きはいかばかりか。そして、当事者のお子さんも……。

(以上、09年1月27日までの執筆)


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