「誤探知、誤情報、誤配信、誤爆?!“オオカミが北ぞ!”」
東京09・04・04夕刊1面に「政府、ミサイル厳戒/予告期間入り 北が発射通報」、同9面に「北ミサイル『万が一』列島緊迫/住民『対抗策伝わらず』
/予告時間『神経戦か』」との見出しが躍って、国民に緊迫感を煽るのに忙しい?!
さらに、そのとなり8面に「船舶救難信号の9割『誤り』/海上保安庁調査/誤操作や点検不備『救助作業に支障』」とあるのは、
民間の船舶の場合であるが、さて“戦争のプロ”防衛省や自衛隊の場合は……、
北朝鮮は、今月4日から8日の午前11時から4時の間に人工衛星こと長距離弾道ミサイルを打ち上げると予告、
日本はじめ関係各国は警戒感を強め、あるいは制裁について議論している中、初日の昼過ぎ、日本政府は功名心からか、
しびれを切らしたのか、勝手に“発射”をしてしまったそうだ。
東京09・04・05トップには「北ミサイル/『発射』2度誤報/防衛省誤配信、勘違い/防衛相 不手際を謝罪」とシャレにもならないミットモナサが報じられている。
少し引用すると「日本政府は、…実際には発射されていないのに、『飛翔体が発射されたもようだ』と発表、
…陸上自衛隊も飛翔体が発射されたとの誤報を秋田県に流し、混乱が起きた。政府の危機管理能力が問われる事態となった」とある。
有事の場合に、「不手際を謝罪」なんて、のん気なことを言っておれる場合かどうか。はじめから、危機管理能力があるかどうか、知っていただろうに!?
そもそも、となりの韓国気象当局は、風速などから4日は発射に適さず、5日から7日は適していると予測していたではないか(東京09・04・04朝刊1面)。
もう一つ気になる記事が同日付にある。日本政府がこのミサイルを“迎撃”するために配備したPAC3(迎撃ミサイル)などの
「MD(ミサイル防衛) 世界では退潮/米国でも予算減検討/・不況で財政難・技術に疑問符・核軍縮の障害」などとあり、
文中の小見出しには「金払いのよい 日本におしつけ?」とある……。
ともあれ、北は5日午前11時30分ごろに打ち上げたそうだ。
6日付の東京1面トップによると「北朝鮮 ミサイル発射/政府、制裁を強化/『衛星』失敗、米が分析」すれば、「北朝鮮は『成功』」としている、当然だろう。
人工衛星⇔長距離弾道ミサイル、成功⇔失敗と、見方が正反対なのは、どの世界でもあることだが、やはり、来るぞ、来るぞのオオカミ少年や、
オモチャの兵隊ごっこをしている場合ではないのでは?!
「このごろの新聞事情」
皆さんは、新聞をどのように利用しているのだろうか。
宅配でいえば、朝夕刊セットで購読するのが一般のようだが、地方ではまだ夕刊のない地域もあるのだろうか。いや、夕刊を取らないという人もかなりいるらしい。
理由は読む暇がない、記事がダブっている、高すぎる、などのようだが、今ニュースはテレビに限らず、パソコンでもケータイでも、ある程度知ることができる。
大きな事件や北朝鮮がミサイル発射などというビッグニュースであれば号外まで出される。
多くのテレビ局が大新聞と同系列なのは、時代を見越してのことだったのかどうか、紙媒体である雑誌や書籍が売れなくなったように、
新聞も売れなくなって経営を圧迫しているそうだ。
アメリカなどでは大資本を背景に買収が行われ、中立性が失われ、失望した優秀な記者が逃げ出すということは数年前から起こっているようだ。
もっとも、サルコジ仏大統領のように、18歳の若者に新聞を読ませよう、活字離れを何とかしようという指導者も、一方にはいる。
これには新聞配達員の雇用を維持するためと新聞社の経営を支援する目的ともいう。アメリカとはちがう対応であろうか。
ひるがえって、わが国は…これまた数年前から、フリーペーパー(無代誌)が幅を利かせており、“お得情報”を得る手段としてならともかく、
速報性ではテレビ、いやパソコンやケータイにはかなわない。
夕刊や朝刊に連載小説があるのは読者を手放さないための手段であり、高校野球を主催するのは拡販のためとは今回トピックスに書いたとおりである。
そういえば、新聞がテレビ・ラジオ版を見やすい最終面(夕刊)や他の面と切り離しても支障のないように閉じこむ(朝刊)のも“読者サービス”にはちがいないが、
主客転倒の感がする。
ところで、時代に取り残された私は今さら、便利さやズボラさを自ら求めはしないのだが、事態はいつの間にか、あまり抵抗感のない状況に変わっている。
たとえば、パソコンを新しいのに替えると、画面が横に広く、使いにくいぞと文句を言う前に、
その余分なスペースにアナログ(つまり3針の)時計がコチコチと時を刻んでいる(音はしない…)のが懐かしく、その下には主要新聞の“見出し”が、
新幹線のドア上の(電光掲示)ニュースより詳しく、3種ほど出ており、全文を読むこともできる。
NHKニュースが民放のそれと変わらなくなったと批判されるように、新聞のよさ、特徴も薄れていっては困るのだが、
政府寄りというか権力批判が鮮明でなくなっているような気もしないではない。
政治家を批判するのに大衆迎合主義(ポピュリズム)などといいながら、新聞自体がそうなっていないか?
それは経営の圧迫からか、権力よりの体制翼賛に移行する前段階かどうか、われわれ大衆は自らの目で判断しなければならない時代となっているのだろうか、
よくわからない。
「カラス、なぜ取るの?」
わが家は七階にある。辛うじて、まだ富士山が見える。
ある日の午後。部屋の空気を入れ替えようと、ガラス戸をあけると、ベランダに見なれぬ小さな洗濯物が落ちている。
それは、赤ちゃんのオールインワン風の肌着で、どうやら近所のお宅の物干しから飛んできたものらしい。
カミさんはさっそく、ビニール袋に入れ、一階エレベーターホールの掲示板にメモをつけて、吊るしておくと、いつの間にか持ち主?が現れて、
持っていったらしいが、あいさつはなかったそうだ。
それから数日後、わが家のベランダに干しておいた、私の白いアンダーシャツ一枚だけが床に落ちている。それを見たカミさんは「あ、やられた」といった。
他の下着類と同じように、えもんかけ(針金)に吊るしておいたが、それだけ、つい洗濯バサミをしなかったそうだ。
春3月、カラスの巣作りの季節だという。
カラスが巣を作るのに、針金を利用するのは知っていたが、かれらは洗濯をするわけでもないだろうに、針金のえもんかけを持っていったということらしい。
三角に折り曲げてあり、持つところもある、これらが樹上での巣作りには便利なのだろう、か。
その翌々日だった。ベランダから、富士山ならぬ近くの集会所の屋上に、白いものが見えた。やはり、下着のようである。
よくみると、白っぽく細い針金も見える。カラスに下着はいらないだろうから、どうやら針金をはずそうとしたが、はずれなかったのか。
それから数日経っているが、その白い下着は、持ち主にもカラスにも見放されたのか、ずっと、うずくまったままである。
“物、干しがりません、気がつくまでは”?!
(以上、09年4月7日までの執筆)