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むりやりエッセイ 5月下旬号

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「裁判員制度」
 いよいよ今月21日からスタートする裁判員制度。
 新聞やテレビに書籍でさまざまに論じられ、はたまた集会も開かれ、賛否両論というのか、あるいは時期尚早とか、 日本人に馴染まない、裁判内容をしゃべってはならないなどなど。われら善良な国民は、どうすればよいのか、迷わせられているところであろう。
 昨年11月下旬だったか、最初の“候補”が発表されるにあたって、ある新聞記者から、候補に選ばれたら、心境を聞かせてほしい、 紙面で取り上げたいからとメールが入った。
 「最高裁判所から通知が郵送される、選ばれる確率は350人に1人だが、全国で30万人に上る」ということで、少しは期待?していたが、 私自身も身内も近隣も、あるいは直後の会合で出会った人の中にも、候補になった人はいなかったようだ。せっかく、新聞に載るチャンスだったのに?!

 凶悪犯罪やこそ泥などで、後ろに手がまわるような人は、幸いにして私自身も身内や近隣にもいない。
 いや、少し観点を変えると、近くの席に座っていた人が、ある日新聞ダネになったという例は2件ある。 一つは直接の仕事仲間ではなかったが、その名も高名な小林**という文芸評論家に似た名前の男で、詐欺か何かで捕まった。 わが三十代のころである。もう一つは、2年ほど前、これも直接の関係はないが、親しく口を聞いていた年配者が、いま大学生に流行りの大麻がらみで逮捕された。 いずれも、他人に危害を加えるような事件ではなかったが。

 不勉強でいけないが、なぜ“突然、国民も裁判に参加しろ”となったのか、 (法律に疎い)素人に凶悪犯罪を裁けるのかどうか。 殺人など事件の加害者でも被害者でもない市民が、冷静に客観的に判断できるかというと、心許ないのである。
 では、選ばれたらどうするか。その昔、幼少のころ、軍隊に取られたらどうすると聞かれ、「おなかが痛い」と拒否すると答えた私だが、 現在のところ拒否する特段の理由がない。屠所に引かれる羊の心境であるぞよ、午年生まれとしても?!

「はとぽっぽ」
 “兄弟は煮る(似る)もんだ、焼くもんじゃない”との“迷言”を吐いた人がいたが、鳩山兄弟、いずれも東大卒の政治家4代目、 どこが似て、どこが似ていないのか知らないが…。
 弟総務相は失言も多いが、旧郵政省がらみのかんぽの宿問題や東京中央郵便局の保存問題で、やや失地回復の兆しが見えたところへ、 兄民主党幹事長は、再び同党代表となり、やや陰りの見えていた民主党の支持率も上がったようだ。
 一方、アソウ首相の支持率が20パーセント台後半に戻ったとしても、小沢前民主党代表の西松献金問題の影響であって、首相自身の得点ではないだろう。
 それをうかがわせる世論調査の結果がある。「どちらが首相にふさわしいか」では、麻生32%:鳩山43%(共同通信)、29%:40%(朝日)、31%:41%(読売)、 21%:34%(毎日)、16%:29%(日経)…以上、本日(5・19)の東京新聞朝刊による。 その差が、10,11あるいは13ポイントと、ばらつきや逆転がないのは、かなり正確に“民意”を反映していると言えないか。

 ところで、わらべうた「はないちもんめ」…
 ふるさともとめて 花いちもんめ/ふるさともとめて 花いちもんめ/あの子がほしい あの子じゃわからん/この子がほしい この子じゃわからん /相談しましょう そうしましょう/○○ちゃんがほしい ○○ちゃんがほしい じゃんけんぽん/勝ってうれしい 花いちもんめ/負けて悔しい 花いちもんめ
 は、草花のことではなく、「勝って」は「買って」のこと、「負けて」は“じゃんけんに負けて”ではなく“値切る”の意、だったとか。 つまり、女衒(ゼゲン=女を遊女として売る人)が貧しい親から、その娘を買う、親はやむを得ず低い金額で売る、 ことだったという(東京09・05・05「童謡の風景」悲しい時代の歌:合田道人=作家・歌手)。

 では、その伝でいけば、「はとぽっぽ」…
 ぽっぽっぽ はとぽっぽ/まめがほしいか そらやるぞ/みんなでなかよく たべにこい/ぽっぽっぽ はとぽっぽ /まめはうまいか たべたなら/いちどにそろって とんでいけ
 には、どんな意味が隠されているのだろうか、それとも?!

 ともあれ、“煮ても、焼いても食えない”なんてことにならないよう望んでおこう。

「名刺あれこれ」
 引き出しの中の古いものを整理していると、いろいろなものが出てくる。
 たとえば、名刺。300枚ぐらいあるだろうか。それぞれ、名前がちがうように特徴があり、思い出すこともさまざまである。 同じ人でも、出世のたびに、あるいは職場が替わったから、という“歴史”の証言となるものもある。 もっとも、儀礼的にやり取りした場合は、以前はもちろん、最近のものでも、どこ(どういう会合)でなどと、日付とメモがあっても、思い出すことは滅多にない。

 では、私の場合はどうか。大学時代に名刺を作っている仲間がいたが、私には必要ではなく、また最初の“職場”集英社ではアルバイトのため、名刺などなかった。 ついで、作家助手の時代(8年半)は住所の変更があっただけだが2種ある。日刊ゲンダイ(築地)では入社した日に1枚、ついで編集部→総務部→経理部と3種もあり、 カラー版のヨコ一からモノクロ(総務部)となり、さらにタテ一(経理部)に変わっている。 そして、会社を作った(作らされた)ときは“代表取締役”であったが、ほとんど使われていない。
 月刊ゲンダイ(音羽)では仕事(記者)を名乗るのが通例で、この場合は職名や個人名より会社の名が幅を利かしていた。 フリーの場合は、肩書なしの自宅と電話番号だけだった。40歳で団体職員(事務局長の次)になって、これが13年3ヶ月も続いた。 当初、3,4年で“次長”に推薦するなどと言っていた上司は、程なく私に“脅威”を感じたらしく、肩書どころか、いかにして自分の地位を守るかに汲々とし、 今でいう“パワハラ”を発揮していた。したがって、私に肩書がついたのは在職11年目、先輩(女性)と、入って間もない後輩といっしょに“事務局長補佐” という珍無類の名称を持ち出してきたときだ。「名刺に刷って、大いに宣伝しろ」と、彼はのたもうた。

 サラリーマンが、名刺を交換するとき最初に注目するのは、名前よりも“肩書”であると知ったのも、このころである。
 いよいよフリーになったとき、名前の前に「フリージャーナリスト」などとしたほうがよいと忠告されたが、 肩書に縁のない人生を歩んでいる私としては、それには組せず、名前と住所、電話番号だけにした。当時、郵便番号は3桁だった。
 ついで、3桁+4桁の時代もシンプルなものだったが、2000年3月初旬にメールアドレスを設けて、わが“電脳”時代は幕を明け(名刺オモテにメールアドレスを記載)、 01年12月4日にホームページを開設した。
 話は名刺の表記(ヨコ一)に戻る。あの狭いスペースでも、中央の名前とその下の住所・電話番号にメールアドレスでは、バランスを欠くと思い、 名前の下に少し小さくペンネーム(本橋 游)を入れ、その上方には「文章表現・自分史・名入れ色紙 アドバイザー」と書き入れたのは02年4月23日である。
 そして、ウラも利用しなければと思い、“「名入れ色紙」とは、色紙を贈る相手の名前を織り込んだ言葉でつづったもの(相手のキャリア、性格、趣味、立場などを参考に)”(1)、 ついで“「心−こころ−」橋本健午のHP”とそのURL(2)を入れ、さらに1行あけて“「からむコラム」(毎月中旬に追加)/「けん語録」/「プロフィール」 /著作等/「出版倫理・青少年問題」等”(3)とした。
 以後、折を見て、というか事あるごとに、オモテとウラを連動させたものを作ってきた。これまで15種あり、昨日は16番目のものを作ったところである。

(以上、09年5月19日までの執筆)


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