とんだエッセイ 1月下旬号
「二重の、やらせ?!」
納豆を食べればやせるのかどうか、よく食べる我が家では、とくに太ったものはおらず、だからといって「その通り!」などと思いもしないが、
どこのスーパーに行っても品切れには困った。
そのことは新聞でも報道されたが、これが捏造による映像であったこと、納豆を取り上げたのは業者と"組んで"やったらしいことも発覚した。
それにしても、テレビを信じやすいニッポン人には、ホトホトあきれる。
そのヤラセだが、世の中にいっぱいあるのも、また困ったものである。最近では、05年の紅白歌合戦の総合司会に起用されたみのもんたのアドリブはNHKの台本どおりだったとか。
アドリブとは"即興のせりふ"ではないのかしらん。
その昔、新人俳優の発掘に、大掛かりなオーディションをやり、何千人もの応募者が詰めかけたが、何のことはないはじめから決まっていた某有名監督の息子を売り出すための戦術だったとか。
近くは、東京都立の4大学を統合し、新しい名前を公募したが、決まったのは「首都大学東京」という、だれも書かなかった名前で、
それは石原知事の発案だったという。
ここまでは普通のヤラセだが、ブッシュ大統領は危険な大量破壊兵器を排除するという"大義"のためにイラク戦争をはじめたことになっているが、
これはイラクにある石油利権と、大統領を支持する軍需産業のためという"二重のやらせ"であった。
再び、わが国に目を転ずると、"日本橋に空を取り戻そう"キャンペーンは、オリンピックをもう一度東京でという都知事の動きと連動し、
前の東京オリンピック(1964年)のためにつくられた首都高速道路を、今度は同じ名目で壊そうという話である。
日本でのオリンピック開催の実現性は薄いといわれる状況下、工事は進められるであろうことは目に見えている。
すなわち、関係する産業界・経済界が潤うだけでなく、利権の欲しい政治家も潤うためであって"日本橋に空を!"は、
後からつけた理窟であろうからだ。
「そら見たことか」ということにならなければよいが、納豆的に絡められる大衆は、十数年先のことなんか覚えていない。困ったものだ。
「検証する、ということ」その1
ある出版社に、企画があればと言われ、原稿を持ち込んだ。その社であれば、少しは関心を示すであろうという気持ちと、
いつも"あまり売れない"ものばかり書くので、どうかなという期待薄の心境でもあったが、一応、「検討させていただきます」という。
しかし、一と月以上待ったものの返事がないので、「お忙しいでしょうが、年明けにでも何らかのお返事を」とメールを送った。
だいぶ経ったころ、残念ですが、わが社では出せないという紋切り型の返事が届き、そのあと原稿や資料が送り返されてきた。
そのメールに、「前著ですでにエッセンスについてまとめられている点と、戦前、戦時下でどのように国民意識が動かされていったのかとの本書の大きなテーマについて、
一資料から読み解くのは不十分ではないだろうか、との意見も」あったという。さらに「ご返事に時間を要した上に、ご期待にそえず、大変心苦しく」思うとも、あった。
出版社には、その社の理念や方針があり、何でも出すというものでないことは重々承知しているが、その文面から、
ほとんど何も検討・検証されずに放置されていただろうことが読みとれ、空しさを感じた。
一つは、原稿を持っていったときの対応から、表面的にも"関心"や"熱意"を感じられなかった上、
返却された原稿は手垢も折り目もタバコの灰の跡もなくきれいなままだったこと、そして「一資料から読み解くのは不十分」という見解に、
その後だれも読んでいない、ということが分かったからだ。
ともあれ、こういうすぐバレるような空々しい態度に、腹を立てる気にもならないのは、困ったことだ。
「検証する、ということ」その2
ついで、前回(07・01・16付)の「今後の"抗議"について」の後日談である。
これもメールのやり取りのあと、責任者が直接会って説明したいというので、出向いたのだが……。
メールでは、受講生が減ったから、4月期は開講しないとし、かつ「今後、先生に講座をご依頼することは見合わせたい」ともある。
その真意は、私が「一部受講生からは支持されておりましたが、その他の受講生からは厳しい意見も頂戴しておりました
(この件に関しては先生とは何度もお話し合いを持たせていただきました)」からだという。
現実には"支持"した受講生は十人以上、"厳しい意見"は二人だけでしかない。そこで、私は「その他の受講生からは厳しい意見も」とありますが、
これはたいへん誤解を与える表現ですね。「一部の生徒」からは支持されたが、それ以外の"多数"から総すかんを食ったという、
意味に取れますね。悪意に満ちた、ありていに言えば、「為にする」物言いで看過できません、と。
さらに、「要するに、橋本はトラブルメーカーであり、だから生徒も来ない、橋本を外せば、という短絡的な"発想"による決定だったようですね」と。
年明けに、責任者に会ったのは、講座を支える受講生、つまり顧客を侮辱する表現に、我慢がならなかったからである。
私は真意だけ伝えると、預けていた講座用のテキストを持ち帰った。
ただ、途中で、ある女性の講師とすれ違い、「先生、おめでとうございます。今年もどうぞよろしく」と声をかけられ、
「こちらこそ」と答えたものの、気持ちは複雑であった。
ともあれ、「その1」といい、二つのケースの共通点は、相手がかなり若い人たちであったこと、
組織はお役所と同じということに、私はいまや絶望感を抱き始めている。これにも、困ったものだ。
(以上、07年1月30日までの執筆)
kenha@wj8.so-net.ne.jp