とんだエッセイ 2月下旬号
「産む機械と産む機会」
最近のニュースによると、ドイツのカトリック司教が政府の進める保育所増設計画を「女性を『産む機械』におとしめるものだ」と批判したところ、
首相をはじめ反発が広がっているという(東京07・02・25)。日本の厚労相と同じ表現だが、ニュアンスが違うのではないか……。
それはさておき、私より十歳ほど若い友人が、三人目の子どもができたとき、「親の責任が果たせた」といったのは十数年前である。
私自身、結婚して間もなく、年輩の方から「早く奥さんにおもちゃ(子ども)を与えなくちゃ」といわれ、唖然とした記憶がある。
さて、いま結婚すれば、必然的に子どもが産まれる世の中ではなくなっている。男性の精子が減少しているのは、わが国も例外ではない。
これは女性ではなく、男性の"責任"ではないのかしらん。
そこで、昔なつかしい国語の「五段活用」…未然・連用・終止・連体・仮定・命令の六つの形による、多様化した「産む」の実態を見よう。
未然…「産まない/産みたくても産めない」、連用…「産みたい/産みます」、終止…「産む/産んだ」、連体…「産む機械/産む機会」、
仮定…「産めれば産みたい/産めるけれど産みたくない」、命令…「産め!/産むな!!」。例外として、勝手に何人も産む、産んだら殺す、
放置する、虐待する、など。
先の命令形「産め」は、いま厚労相を代表とする社会保険料の財源確保のためであり、昔は戦争に駆り出すため「子は国の宝」などと囃し立て、
子だくさんの母親を表彰することが盛んに行われた。
ついでにいえば、「産むな」に近いのは、たとえば、幼い一人娘のいる故藤澤周平が再婚相手にいった言葉だという。
「貧乏人の子沢山」という言葉がある。対極にあるのは、金持ちの安倍総理なのかどうか。
私の周りにも、子どものいない夫婦がかなりいる。事情はいろいろであろう。
「早くも混迷?! 都知事選挙」
知事は、時に国の首相より巨大な権力をほしいままにできるらしいのは、最近の宮城・福島・宮崎各県知事の汚職(天の声→談合)などによる逮捕劇で証明されている。
さて、この4月の統一地方選と今夏の参院選に向け、さまざまな動きがあるが、都知事選はどうなるのか。
3選を目指す現職のオリンピック知事(74)に対抗する、強力は候補を指名できない民主党は本当に情けない政党だが、
にわかに名乗り出た世界的な建築家の黒川紀章(72)の魂胆は奈辺にあるのだろうか。
新聞報道などによれば、現職知事とは長年の友人だが、彼が「出馬を取りやめない場合に出馬する」といい、
「いい終わり方をしてほしい」のだそうだ。また、公約として、都が進める2016年夏季五輪招致の中止や首都機能の一部移転を積極的に支援することなどを掲げている。
無所属で出馬し、当選しても任期は1期のみで、無給で務めるという。
突然の出馬宣言について、「現知事を応援する気持ちに変わりはないが、大規模開発を当てこんだ五輪招致や側近政治など弊害も目立つ。
都民の意思に反している」と説明する。
何だか、現代風な建築物で有名なわりには、その立候補の動機が古典的、強いて言えばバロック的で、難解すぎないかしらん
(かつて、結婚相手の女優若尾文子に「バロックのような方」といったという故事にちなむ)。
もっとも、オリンピック招致に反対なのは、自分より若い建築家安藤忠雄が、そのプロジェクトに入っているための嫉妬からだとか、
いやいや浮動票などを分散させ、らくらく現知事を当選させる出来レースであるとか、まわりのスズメたちのさえずりは、かまびすしい。
その昔、「都市博」中止を叫んで現職の鈴木俊一を破り当選した青島幸男の例もある。ともかく、棄権票を少しでも減らす効果があればそれでよしとするか、
いやいや若い人たちの声を反映するためには、70代同士の争いより、もっと若い人が出るべきではないかい、団塊世代の諸君よ!!
さらに、2・26の日、新聞を見ると「出馬を固辞していた浅野史郎前宮城県知事も、立つ」かもしれないとか。
混迷なのか、都民に政治的関心をもたらすのか?!
「聴衆の反応、いろいろ」
24日午後、横浜市開港記念会館で行なわれた大佛次郎記念館主催の「第23回歴史講座」で二つの講演を聴いた。
藤原作弥「私の満州体験」と内海孝「梶山季之の横浜と朝鮮―流行作家の原点を改めて思いやる―」。
中国大連生れの私にとって、前者は少し役に立ち、後者はちがった観点からの梶山像を知るいい機会となった。
また、会場で、いく人か旧知の方に会えたのも嬉しかった。
さて、本論。会場の記念館は、1917年市民の寄付により建造された、赤レンガによる横浜の代表的な建造物だそうで、
シンボルの時計塔(約36メートル)は、ジャックの塔といわれ、キング(神奈川県庁)・クイーン(横浜税関)とともに、
横浜三塔という。
同市中区の公会堂としても利用され、かつ1989年国の重要文化財に指定されているという、実に立派な会場であった(以上、同記念館のHPより)。
天井は高く、正面の大きなステンドグラスには、キリストを抱く聖母マリヤ像ではなく、波間に漂う勇壮な船が描かれていたように思う。
さて、無料の講演会に集まるのは、ヒマなお年寄りが多いと、かつて老人会の会長をやっていた父(1976年、88歳で没)に聞いたことはあるが、
今回も例外ではなかった。
この建物、国の重要文化財だけあって、改造はできないからだろうが、床(フローリング)は、講演中に出入りする男女の靴音を吸収するに乏しく、
やたら耳障りであった。また、資料を床に落とす人もままあり、居眠りする人や、咳をする人は止むを得ないにしても、あまり遠慮がない。
なかには、飲食禁止にも関わらず、変な音がすると振り向くと、その男は小さなカップに入ったヨーグルトだかを、せわしく何回も啜っているではないか。
そして、会場のだれしも、司会者から、講師に盛大に拍手をと促されると、一斉に手をたたいていた。
いや、間もなく"老人"といわれる年齢を迎える私だが、ユメユメ同じ道を辿らないように、気をつけよう、と大きな声でいっている夢を見てしまった。
(以上、07年2月27日までの執筆)
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